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彫工石川雲蝶の人物像
先日、夏季休暇を取って訪れた新潟県魚沼市。そこで目にした「越後のミケランジェロ」と称される江戸時代の彫工石川雲蝶の傑作の数々に、私は心を奪われました。とりわけ永林寺と西福寺開山堂に残されている木彫の超絶技巧とその迫力には、ただただ感服するばかりでした。石川雲蝶とはどんな人物だったのか、酒と博打に関するエピソードが残されている一方、職人気質の塊だった仕事ぶりに私も気持ちが奮い立ちました。永林寺で購入した書籍に次の文章がありました。「爾来、十三年間永林寺に留まった安兵衛(雲蝶)は、酒と博打にその大半を費やしたが、一たび筆を採り、ノミと刀を手にすると寝食を忘れて仕事に打ち込んだ。江戸で一度、越後三条でも一度結婚していたが、魚沼ではついぞ妻子の話を口にした事がない。弁成和尚も、ことさら身の上のことは触れなかった。また、安兵衛は弟子を育てることに執着がない。二人の男が、安兵衛のもとに弟子入りらしい真似事をした時期もあるにはあったが、安兵衛はただの一度も情を示したことはなかった。世事世情の絡みや仕来りに、安兵衛は殆んど冷淡と思える身勝手さを通し続けた。春風に流れる雲のように、江戸から越後へ漂い、自からの運命さえも意識することなく、狂気に動かされて彫り続けた作品が、根小屋の永林寺にこの男の生涯を今も物語っている。」(鹿毛直歩著)これは幸福な人生だったのか、彫工として由緒ある寺での仕事を与えられ、現在も市の指定文化財として大切に保存されている作品群を見ていると、羨ましさを感じるのは私だけでしょうか。永林寺では雲蝶の彫った天女が有名ですが、空を舞う姿(飛天)で表されていて、妖麗な素肌を顕して楽器を奏でていました。また天女の背中が見られるのも妙に生々しい印象がありました。天女に近い表現として迦陵頻伽が彫られていて、これは上半身には翼があり、下半身は鳥の姿でした。迦陵頻伽は極楽浄土を表す想像上の生物とされ、雲蝶が単なる彫工の達人でなく、仏教美術を熟知していたことが分かります。雲蝶の作品については西福寺開山堂に残された木彫を中心に、改めて稿を起こそうと思います。