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イサム・ノグチ 各国の旅から日本へ
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第28章「ボーリンゲン基金調査旅行」と第29章「先触れの鳩」のまとめを行います。ノグチは創作活動の停滞を打破するため、助成金を得て旅に出ることを決めました。「1940年代後半のノグチの著述は実存の不安に満ちていた。ノグチは空虚を、混沌を、意味の喪失を語った。~略~力を見つけるために、ノグチには彫刻の意味を革新する道を探求する必要があった。」さて、ヨーロッパを皮切りにノグチは各国に旅立ちました。「パリではブランクーシを訪ね、かつての師は恨みがましくなったと感じ、その理由はおそらく戦争中あまりにも孤立していたためだろうと考えた。~略~イタリアでは、つねにアートと生活の結びつきを探求しながら大型彫刻のモニュメントや建築を研究した。」その後、ノグチはギリシャ、エジプトを経てインドに到着しました。「ノグチはインドと恋に落ち、何度も再訪した。目にしたものの多くがそののちの作品に明らかに影響をあたえている。たとえばジャイプールやデリーにある18世紀建造の天文台の日時計、円形の井戸、ドーム、球体、螺旋階段はノグチの彫刻庭園にふたたび登場する。」そして日本へ向かいます。「1931年の日本滞在時には、増大する国粋主義と軍国主義のせいで自分は招かれざる者だと感じた。今回、温かく迎えられたのは驚きだった。~略~日本到着後、東京の大新聞『毎日新聞』が主催する現代アーティストによる『連合展』を見る。ノグチは日本の伝統家屋には合わないであろう西洋風の巨大なキャンバスを嫌った。」ノグチの通訳には画家でもあった長谷川三郎が同伴しました。ノグチと長谷川は議論をしながら仲を深めていきました。「ふたりは近代の西洋美術、日本の現代美術対古美術、禅、茶道、日本文学、アートと生活の関係について語りあった。どちらもが日本の古い文化に敬意を抱いており、どちらもが茶道、生花、日本庭園や日本家屋に具現されているような『全く生活と芸術との互の融合一致』(長谷川)を信じていた。~略~京都到着後、ノグチと長谷川が最初に見学したのは、17世紀の優美な桂離宮、慎ましやかだが美しく均整のとれた建物で、日本でもっともみごとに設計された庭のひとつを見おろす。離宮そのものについてノグチは、離宮はその『理想的な簡潔さ』のなかで自分を『より完璧な世界』に運ぶ啓示だったと書いた。」