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「マーク・マンダースの不在」展の図録から
先月の13日(火)に東京都現代美術館で見た展覧会の図録が郵便で送られてきました。展覧会についての自分の感想は既にNOTE(ブログ)にアップしていますが、「マーク・マンダースの不在」展について、自宅に届いた図録から文章を拾ってみたいと思います。図録には4人の執筆者がいました。一人はマンダース自身で、作家自らが語る個々の作品解説がありました。ただ、これは平易な解説ではなく、詩や思索に富んだもので些か難解な箇所もありました。残り3名の論考についてはここに引用させていただきます。「マンダースが『自画像』という言葉で探求しているのは、ヨーロッパ的主体による自己表現でも既成の知識の体系への従属でもなく、動植物や物が生存のために必要な進化をとげるうちに無駄のない形態や構造や機能を獲得したように、自分にとって良いと思われる『進化』の形を見出すことではないだろうか。~略~マンダース自身が現象世界に生きて制作していることの証に、彼の精神と身体の均衡は常に変化する。それに伴って彼の彫刻も進化を続けるのだ。幾つものイメージが繰り返し使われ、数年をかけて完成されたり、別の作品に組み込まれたりして、変容を続けている。そして近年は、彼のアトリエを土台としたインスタレーションのような、制作過程を暗示する展示を通して観客の身体感覚の拡張の可能性を広げている。観客は、呼び交わすイメージの森に彷徨いながら、そこで見つける繋がりや意味の断片が彼ら自身の精神の自画像を想起するきっかけとなるのを感じるだろう。」(松井みどり著)また外国の学芸員からこんな文章が寄せられていました。「彼は作品を通して、われわれが通常の理解の範疇で想像する世界よりはるかに詩的な、真の現実を垣間見せてくれる。彼の手にかかれば、彫刻の素材は筆記用具、いやむしろ世界を成り立たせる物質的な詩学を形成する語彙と文法の構成要素となる。マンダ-スにとって、言葉と世界は分かつことができないものなのだ。」(ダグラス・フォーグル著)最後に展覧会企画をした東京都現代美術館の関係者からの文章です。「自画像はしたがって文字通り姿かたちを表すものではなく、『精神の自画像』と呼ばれる。物によって自身の思考や身体、その輪郭を探ることー作家は、その精神や思考を探るため、1986年からこの架空の建物に『居住』し、作品を作り、その場を去っていく者として、自分と同じ名を持つ架空の芸術家『マーク・マンダース』を措定する。いわば作家自身が架空の自分を行為させ、作品をもってその自画像を組み立てるという構造である。」(鎮西芳美著)