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「ヴァイマルのバウハウス 工房教育」のまとめ②
「バウハウス-歴史と理念」(利光功著 株マイブックサービス)の「第三章 ヴァイマルのバウハウス その二 工房教育」の後半部分をまとめます。ここではバウハウスを世界的に有名にした存在感のある芸術家たちが招聘されて、所謂バウハウスらしい教育が始まる行程を書いています。予備課程での教育を一手に任されていたイッテンに対してシュレンマーが登場してきます。「イッテンが並外れた情念の持主であり表現主義的造形に走っていたのに対して、シュレンマーはつねに冷静な造形家であり、一種独自の幾何学的人間像を描いていることからして首肯されよう。」またクレーは自己表現の一環に教育を据えていたようでした。「クレーは教育というものが実に難しく骨の折れることを熟知していたが、反面、教える立場に立つことによって自己の造形を明確にしうると考え、また生活の経済的安定のことも配慮したに違いない。~略~彼自身この講義を『形式的手段とのおつき合い』と呼んだが、線、面、空間、大きさ、形、構造、価値、重量、集中、変化、遠近、律動、運動、静力学、動力学、張力、平衡、分節、自然の造形過程、水、植物、重力、明暗、色彩等々について自己の創作体験を基礎に、具体的に図形を描きつつ造形思考を重ねたのであった。」そしてカンディンスキーの講義が次に控えます。「カンディンスキーは壁画工房を指導するかたわら、クレーと同等に予備課程の授業を担当し、形態論や色彩論の講義を行った。カンディンスキーとクレーの芸術観は極めて親近な関係にあったが、その講義を進める方法は、両者の性格の違いに照応して、全く異なっていた。クレーは控え目に自己の思索を展開し、多様な考え方を提出して自分の思想を学生たちに押し付けようとはしなかった。が、カンディンスキーは熟考した結果を差し出して、『それはこうなのだ』と決め付けるところがあった。」私はこの2人が並列する講義を受けてみたいと思いました。これは美術実践というより造形哲学ではないでしょうか。最後に校長グロピウスとイッテンの対立が表面化してイッテンはバウハウスを去ることになりました。イッテンは創造力を伸ばす芸術教育家であって、グロピウスの方針と相容れないものがあったようです。グロピウスが固辞した規約を要約したものを引用いたします。「すなわち芸術はあらゆる方法を越えて成立し、それ自体教えられぬが、しかし手工は違う。学校は工房にいつの日か解消されるのであって、私のプログラムでは委託作業の問題は自明であり、バウハウスは委託作業の必要を肯定するか否定するかにより存立するか破滅するかである。バウハウスを現実世界と対立し、孤立したものとみるのは間違いである。これまで委託作業が不統一のものを生み出したことは事態そのものに関ることではなく、経済的・個人的困難によるのだと言うのである。」