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「設立構想と初期理念」のまとめ②
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)の「第三章 設立構想と初期理念」の後半部分をまとめます。ここではウィーン工房の組織形態や、様式の特徴である幾何学的ユーゲントシュティールについて述べられています。ウィーン工房は協同組合という組織形態を選びました。「講演や回想録で語られているように、ホフマンとモーザー自身、彼らが工房の実現をヴェルンドルファーに負っていたことを自覚していた。それでも彼らが協同組合をいう形態を選択したのは、アーツ・アンド・クラフツ運動とその社会主義的なイデオロギーに影響を受けていたためと推測される。芸術家と職人の協働の場である工房は、組合員が対等な立場で事業を運営する協同組合のあり方と一致する。そもそもクンストゲヴェルベシューレの工房教育との連携を意図し、経済活動が目的ではなかったホフマンらが、あえて株式会社を選択しようとしたとは考えにくい。~略~規約に記されている組合員への教育に関しては、ウィーン工房で独自の徒弟教育が行なわれていた形跡はない。また、ウィーン工房がクンストゲヴェルベシューレでの工房教育を補填したのは、技術的な指導ではなく経済活動に関わる実践であった。ホフマンとモーザーはクンストゲヴェルベシューレの生徒のデザインを商品化し、生徒の多くが卒業後にウィーン工房に入社した。」次に幾何学的ユーゲントシュティールについて書かれていました。「『モデルネ』の装飾批判は、装飾そのものを不要と見なす立場と、装飾の価値を認めたうえで、無意味な装飾は不要であると考える立場に分かれた。つまり、アドルフ・ロースのような建築、工芸における装飾の全否定と、一旦過去の装飾を否定し、装飾に新たな意味を与える二方向に分岐した。ホフマン、モーザーは後者の立場であった。~略~ホフマンとモーザーの簡潔なデザインは、1900年頃にドイツ語圏で流行したビーダーマイヤー様式に通じる。ビーダーマイヤー様式とは、ウィーン会議から三月革命の間の1815年から1848年頃に見られた、反動的な復古体制期のドイツとオーストリアの都市中間市民層の文化様式である。~略~ホフマン、モーザーによる幾何学様式は1907年頃までウィーン工房製品全般にわたって用いられた。国際的な工芸改革運動の理想とともに、オットー・ヴァーグナーによる装飾刷新、ビーダーマイヤー様式の再評価というウィーンのローカルな近代化過程を映し出し、理念的側面と同様の国際性と都市の文化的固有性が確認できる。そして、分離派の芸術刷新運動に通じる伝統や歴史との親和性、そして極端な装飾否定や歴史否定に向わなかったデザイナーの中庸性から、世紀転換期ウィーン特有の『近代』観念が浮上する。」今回はここまでにします。