Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「墳丘・平原・立石」について
「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は3番目の「墳丘・平原・立石」について、留意した台詞を取り上げます。「立石は時間と空間のなかで、僕らが僕ら自身を測るための目印を表す。僕らは生物としての時間に埋没してしまっているけれど、石は宇宙の時間のなかにある。子どものころにストーンヘンジに連れて行ってもらった。10代のころには今度は自分の意思でストーンヘンジに行ったし、大人に成長してからもストーンヘンジに行った。恐らく老人になってもまたストーンヘンジに行くと思う。そうやってそのときどきの自分のスケールに対する感覚と、そのときまでに自分が培ってきた経験をほかのものと比較したときの価値を教えてくれるんだ。彫刻は人間の時間軸と異なった環境をもたらせてくれる。それは彫刻の持つ『機能』のとても強力な部分だ。」(A・ゴームリー)世界各地に残る遺跡を論じた後、現代彫刻に話が及びました。「ブロッガーの輪やステネスの立石群のような先史時代の記念碑を、現代美術家のリチャード・セラがつくっている鋼鉄製の碑と切り離して考えることはできないと確信している。高さの異なる耐候性鋼の塊。その厚みは30cmにも達する。観客はそのなかに没入するように誘われる。それはまるで完全に視界を遮るかもしくは視線の高さを意識させる、鉄製の垣根のようだ。」(A・ゴームリー)「けれど彼はかつて私にこう説明してくれたことがあるのです。自分が若き芸術家であったころにした決定的な体験は、地面に置かれた石の配置から来たものだった、と。カルナックやストーンヘンジの石ではありません。日本の京都にある、禅寺の庭の石だったと。~略~京都の庭を見たことで、セラはまた別の啓示ー日本語でいう『悟り』ーを得たのですね。つまり彫刻とは、その周囲をめぐることのできるものであっていい、と実感したのです。彼が西洋の伝統で学んだような、ただその前に立ち、いわば見つめるものとしての三次元的な絵というよりも、ずっとそうやって積極的に観る者に動くことを要求するものなのだ、と。」(M・ゲイフォード)さらに環境的な造形についても対話は続きます。「時の経過とともに芸術が発展していくという考え方には限界があることを、スミッソンは直観的にも、そして知的にも理解していた。この作品は、地球の年齢と深遠な時の流れを知覚させるようななにかだ。スミッソンには『心の堆積作用』という名言がある。すでに地球が経験してきたことの上に重ねられた、かなり最近の薄い層として人類の記憶を捉えている。《螺旋状の突提》のようなサイトスペシフィック〔その場所の特性に依拠する〕な作品はもちろんのこと、ノン・サイト〔場所の特性を考慮しない〕の作品でも、彼はアメリカにおける先進的な技術の発展を、地質学的な時間の文脈のなかに位置づけようとした。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。