Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「批評家マルセル・デュシャン」➁について
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第三章 批評家マルセル・デュシャン」について、さらに気になった箇所を引用いたします。まず、1955年にNBC放送が撮影したインタビューからデュシャンが答えている記事の抜粋を取り上げます。「当時の現在というのは、キュビスムでした。あるいは少なくともキュビスムの搖籃期でした。それにこの運動は、それまでのあらゆる運動とは異なっていたので、私はこの運動の方へ強く惹かれていくのを感じました。私はキュビスム絵画をやり始め、ついには『階段を降りる裸体』に到達したというわけです。」デュシャンは画業の他に仕事を見つけたようで、こんなことも言っています。「芸術家は二種類存在します。社会を相手にして仕事をするために社会に統合されるのを避けられないプロの画家とその他の画家、義務から免れた、それゆえに束縛から解放された自由契約者です。」デュシャンは「レディ・メイド」の着想に関してその経緯を語っています。「当然のことですが、芸術作品のこうした非人間化から結論なり帰結なりを引き出そうと試みているときに、〈レディ・メイド〉を着想するに至ったんです。~略~芸術というのは、あるがままの人間が本当の個人として自己を見せるときに用いるような唯一の活動形式だと私は信じてます。この形式によって初めて人間は動物的段階を越えることができるのです。芸術とは、時間も空間も支配しない領域への出口だからです。生きることは、信じることです。少なくとも、それが私の信じることです。」次の単元は創造過程というタイトルがついていて、芸術家と鑑賞者の関係が述べられていました。「要するに、芸術家は一人で創造行為を遂行しない。鑑賞者は作品を外部世界に接触させて、その作品を作品たらしめている奥深いものを解読し解釈するのであり、そのことにより鑑賞者固有の仕方で創造過程に参与するのである。こうした参与の仕方は、後世がその決定的な審判を下し何人かの忘れられた芸術家を復権するときに、一層明らかになる。」今回はここまでにします。