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「印象主義彫刻と写真」について
「像をうつす」(金井直著 赤々舎)の「2 印象主義彫刻と写真」について、気に留めた箇所をピックアップいたします。本章は彫刻家ロダンとロッソについて、彼らの写真との関わりを含めて論じられたものです。「ロダンが本格的に自作の複製写真を用意し始めたのは、《青銅時代》以後、多くの刊行物に図録が掲載されるようになってからである。その点で興味深いのが《青銅時代》が被ったスキャンダルへの作家の対応である。同作はその律動する表面の造形が、古典主義的な平滑さとはまったく別様の、鮮烈な印象を多くの鑑賞者に与えた一方で、生きたモデルから直接型取りしたのではないかといった嫌疑もかけられた。これを晴らすべく、ロダンは彫刻の複製写真と、像のモデルを務めたオーギュスト・ネイにあらためて彫刻と同ポーズを取らせて撮影した写真とを用意したのである。」ロダンと写真についてロダン美術館のE・ピネの言葉がありました。「1890年から1910年にかけてロダンのために働いた写真家たちが手掛けた代表的なイメージを分析すれば、この間を通して、『彫刻とその(写真)複製の従属的な関係は、複製という観念そのものが潰えるほどに反転し』それによって多様化という複雑な概念が導かれたことがわかる。時を経るほどに、彫刻の特徴は消され、写真家の個性が優勢となっていくのである。」次にロッソについての考察です。「制作活動のかたわら、ロッソは自身の彫刻観をよく言葉にも残していて、『彫刻における印象主義』(1907年)では、『土や木、ブロンズ、大理石でできた作品のまわりを回る必要がないのは、画布に描かれた作品のまわりを回らないのと同様だ。そういう考えで作られる彫刻は、無限に刺激的で、無限に生動し、同質で、すぐれたものとなろう』と述べ、彫刻を観る視点の固定を訴える。~略~ロッソは彫刻=被写体を置く角度や位置、情景設定の多様さに加え、現像・焼付の各場面での光の操作、裏焼きやフォトモンタージュ、写真の写真、さらには印画紙の切断、台紙への意のままの貼り込みなど、躊躇なきポストプロダクションを展開し、一体の彫刻から多様な写真を実現した。それらは彫刻の見方指南、あるいはイメージ戦略を超えて、むしろ写真のオブジェクト性に呼びかける実践であったようにも思われる。」まとめとして、この文章で締め括りたいと思います。「ロダンが写真を通して、彫刻の絵画化(まさしくイメージ操作である)を試みたとすれば、そもそも彫刻を絵画へ近づけていたロッソはむしろ写真の彫刻化に足を踏み入れているとも言えそうだ。」今回はここまでにします。