Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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郵送されてきた「若林奮」展の図録
NOTE(ブログ)のアーカイブによると、去る6月29日に私は武蔵野美術大学美術館で開催されていた「若林奮 森のはずれ」展に出かけていき、昔から見たかった噂の「鉄の部屋」を見てきました。若林先生は私が同大の彫刻学科に籍があった頃に共通彫塑研究室で教壇に立っておられました。展覧会を見た後、図録の注文をして帰ってきましたが、若林ワールドに再び釘付けになった私は、その後もずっと彫刻の在り方について考え込んでしまいました。7月4日付の朝日新聞に掲載された記事もNOTE(ブログ)にアップしましたが、若林先生が求めた造形理論の焦点が、私の中でどうしても合わずにいました。そこに漸く今日になって図録が届きました。学芸員や評論家の論考に頼らざるを得ない私は、まず豊田美術館の北谷正雄氏の文章から手がかりを得ました。「彫刻家として現実世界のものごと、それを自然と言うとして、それらを対象として制作するのだが、自身が制作するものは本物、自然そのものではありえず、それからはずれたものとして存在する。そしてまた、そのような彫刻が置かれる場も然り。しかし、実際には作品は自分の手元で現実のものとして出来上がり、そしてまた現実空間に置かれることになる。この感覚のずれが若林の苦悩であったのではないか。とすれば、若林が探究したものは、自分が制作した彫刻とそれが置かれる場が、対象とした自然とも、また自分が存在する場とも矛盾しないで成り立つ在り方を見つけ出すことにあったのではないか。それが、自身が自然の一部であることを確かめる営みであったのではないか。~略~1970年代後半に〈振動尺〉の作品群が生まれ、80年代には一連の〈所有・雰囲気・振動〉が制作される。〈振動尺〉は、自然の中から選択された対象、それと自身との間の変化する距離を測定するもの、〈所有・雰囲気・振動〉は、対象と自身との間にある空間を領域として認識しようとするものであった。そしてそれらの彫刻は、自分が観察した対象を表現するのではなく、対象と自身との間の距離、空間、関係に対する思考が形象化されたものである。若林が、自分が作ることができる彫刻として考えたものは、本物、自然を相手にしつつも、それを再現するのではなく、自然、本物と自身との関係についてであった。自然に対する畏怖のような感情を持ちつつ、それをつぶさに観察し、認識することで自分のものとする。それによって自分が自然の一部であると理解しようとしているとも考えられるだろう。」成程、自分と周囲との関わりを彫刻として具現化した試みだったことは、私にも分かりました。それでもまだ謎が残ります。図録を読みながら、今暫し拘ってみたいと思います。