Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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週末 卒業制作展に行く
工房に出入りしている美大生の中で、多摩美術大学でグラフィックデザインを専攻している子がいます。その子からラインが来て、卒業制作展に誘われました。今日は朝早く工房に行って窯内の温度を確認してから、工房に出入りしているもう一人の美大生とともに、東京都八王子にある多摩美術大学に向いました。工房に美大生が複数出入りしているおかげで、私には毎年こんな機会が訪れます。卒業制作展に行くと、様々な思いが去来し、溌溂とした作品群に接することができると同時に心身ともに疲れることも確かです。卒業制作は4年ないし6年間の集大成で、力の漲る作品がある一方で、何がしたかったのか分からない作品も見受けられます。絵画や彫刻は旧態依然とした表現の方が、分かり易く伸びしろが感じられるのは私だけでしょうか。最近多くなったインスタレーションは、表現の充実も作者の人間的成長もよく見えず、その意味するところを汲み取るのが難しいと感じます。失礼な言い方をすると、卒業制作期間になったので、その場の思いつきで作ったとしか判断できない作品もあるように思えます。勿論、思索を重ねて辿り着いたインスタレーションもあるのでしょうが、造形哲学を持つのは経験が足りない気がします。ともかく頑張った作品には拍手を送ります。と同時に卒業後も制作活動を継続できるかどうかが分かれ道で、大学の設備が素晴らしく、仲間たちに囲まれて制作できた環境が、この先なくなっていくことに対する心配は尽きないと思います。学生によっては制作は大学時代だけと割り切っている人もいるように聞いています。それはそれでいいと思いますが、後悔はないのでしょうか。前述した、様々な思いが去来するというのは、そんな私的な事情によるもので、私自身も経験した人生の一大転換期を思い出したからでした。創作の魔力に憑りつかれた私は、諦めの悪い人間だったと今も振り返っています。