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「カラヴァッジョにおける回心」について
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第3章 回心の光」の中の「4 カラヴァッジョにおける回心」の気になった箇所を取り上げます。第3章はこの単元で終了です。そのため今までの単元で述べられていたカラヴァッジョの3点の宗教画を総括するような内容になっていました。「奇蹟というものは基本的に個人の内面にしか起こらない。特に回心のような内面的な変化は第三者に知覚できないものである。周囲の人物はすぐにはこの回心に気づかない。カラヴァッジョは、天使などの超越的な存在は描かず、現実的な光のみによって主人公の内面に起こった変化を暗示するにとどめた。さらに、それに迫真性を与えるために、写実的な細部描写と、現実の光を取りこむ巧みな明暗表現によって、作品内のドラマが現実空間で起こっているようなイリュージョンを与えた。それによって、礼拝堂内の回心劇は、観者にとってごく身近でリアルな出来事のように感じさせ、強い説得力を持ってその内面にも訴えかけるのである。こうした奇蹟の現実的解釈によって、カラヴァッジョの画面は同時代の観客や芸術家を惹きつけ、また時空を超えて奇蹟に懐疑的な現代人をも惹きつけるのである。」最近でも美術館で企画されたカラヴァッジョの展覧会は、多くの鑑賞者を集め、盛況な印象があります。それは神の存在を可視化した従来の伝統的宗教画でななく、実際の一場面として私たちが認識し、あたかも奇蹟は人間が内面で捉えたものとして表しているためだろうと思います。「《聖マタイの召命》では鋭く人物を直撃していた光が、《聖パウロの回心》では現実の堂内の光と同化するような薄明となり、《ラザロの復活》にいたっては、人物たちは濃い闇に沈み、彼らを断片的にしか照らしていない。画家は回心、あるいは内面で神に出会うということが、それほど容易に起こりうるものではないと悟っていたのかもしれない。」今回はここまでにします。