Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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週末 時を経た素材
私の実家を解体する時に、大黒柱にしていた古木を工房に運び込んできました。それは実家が存在した証と言うより、私にとっては時を経た素材としての魅力があったからです。実家の大黒柱はたいした歴史はなく、しかもクギ穴も細かい枘もあり、古木としての値打ちは下がりますが、それでも素材の発するエネルギーに私は惹かれていました。日本の古民家には立派な梁や柱の構造体が剝き出しになったものがあり、そうした建築物に、私は憧れにも似た気持ちを持っているのです。私が高校生の頃に建築家を志したのは、まさに無垢な素材の魅力の虜になった経緯があったからです。建築家と言っても私の場合は現代工法の高層建築ではなく、村落の活性化にも繋げられるであろう木工素材の有効利用を考えたいと思ったことが契機になっていました。彫刻の道に変わったとしても、私は素材の魅力に憑りつかれていて、木や土は自然の恵みが齎した私たちの生活に近いモノとして認識しています。現在私は土を造形し、焼成した作品を作っていますが、粘土になる土は永く地層で育まれ、可塑性の高い物質になっています。古代から人間はそうした土を発見し、火によって高温で焼くことで、モノを貯蔵する器を作り出してきました。時を経た素材には魅力が詰まっていて、私は素材を作品化することで、それを導き出し、縄文時代から続く豊かな美的創造力に追従していく者になりたいという自覚があります。今日も朝から工房に籠って、土と対話し、それを彫り込み、土肌にアクセントをつけてきました。木を彫る行為もそうですが、土を削ったり膨らせたりしていると、無心になって時間が経つのを忘れる瞬間があります。それが何とも快いのです。頭が空っぽになるのは他の仕事ではなかなか見いだせない行為と言えそうです。時を経た素材を扱うことを、私は生涯をかけてやっていきます。