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上野の「本阿弥光悦の大宇宙」展
先日、東京上野の東京国立博物館平成館で開催している「本阿弥光悦の大宇宙」展を見てきました。光悦は安土桃山時代から江戸時代にかけて創作活動の革新者として評価されていますが、その実態を知りたくて、私は本展に足を運びました。目の前の作品には、当時としては斬新な世界観があって、それを味わいながら、その背景は私の浅学では図録の解説に頼らざるを得ないので引用をしていきます。「光悦は刀剣三事(磨礪・浄拭・鑑定)を家職(家業)とする名門一族、本阿弥家に生まれ、生前から能書として知られるなど、諸芸に秀でたことで高く評価されてきた。その所産として肥痩(線の太細)の差を大きくとり、運筆の速度を自在に変化させた華麗な光悦の書が『光悦流』という一大潮流を創り出し~略~そして大胆で奇抜な意匠によってつくられた国宝『船橋蒔絵硯箱』をはじめとする、いわゆる『光悦蒔絵』の多くが現在、国宝や重要文化財に指定されている。」会場には有名な蒔絵や陶器の他に「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」がありました。これは俵屋宗達の画と光悦の書のコラボレーションで、その画面配置には絶妙なバランスがあって、思わず息をのむほどでした。「光悦の造形に重要なかかわりをもつ俵屋宗達は、法華信徒であったことが想定されていたものの、確たる史料がほとんどなく、現在まで詳細不明という位置付けである。」日蓮法華宗との結びつきが光悦を中心とした集住生活を実現させ、鷹峰の地を徳川家康から拝領したことから始まったようです。「『古図』に載る五十余名は、すべて家職をもつ法華町衆とみなすことができ、鷹峰に集住することで法華信徒として紐帯を強めるとともに、彼らの日々の信仰生活が、そして、光悦が作陶や書の揮毫に勤しむこと自体が、先にみたように日常生活の結実として功徳となって、この鷹峰の地が寂光土となるのである。」(引用は全て松嶋雅人著)これは現在で言う工匠を集めた芸術家村の発祥であろうと私は考えます。ただ工匠たちは創作活動だけで集まったわけではなく、日蓮法華宗が精神的役割を担っていたのでしょう。江戸時代初期に独特な存在感を示した本阿弥光悦は、我が国が誇るマルチ・アーティストの一人と考えるべきだろうと思います。