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「悔恨の山」について
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第8章 末期の相貌 」の「1 悔恨の山」の気になった箇所を取り上げます。この単元では殺人を犯した宗教画家カラヴァッジョの作風の変化などが描かれています。「《ダヴィデとゴリアテ》は、血のしたたる切断されたゴリアテの首に自らの憔悴した姿を重ねた自画像となっており、殺人体験からくる自己断罪と贖罪への欲求を視覚化したものと精神分析的に解釈されることが多いが、芸術家の生涯や人格を時代や文脈から切り離して作品に結び付けて解釈することは警戒しなければならない。~略~これは恩赦を得るために時の教皇パウルス五世かその甥シピオーネ・ボルゲーゼに送られたものであり、自己を究極の謙遜と悔恨のうちに表すことによって教皇の慈悲を嘆願した一種のメッセージであるという。」犯した罪を許してもらいたい思いがカラヴァッジョにはあったはずで、逃亡期にあっても恩赦を願っていたようです。「あくまでも仮説に過ぎず、今後の資料の発見と調査を待たなければならないことはいうまでもないが、新奇な図像を生み出したものは画家の芸術的創意や宗教的な贖罪意識というよりも、パトロンに向けた恩赦嘆願という現実的な要請であったと思うのである。そう考えると、ラツィオ逃亡期に特徴的に示された『死への瞑想』と『悔悛』という主題も、謫居の苦悩と悔恨を吐露したものであると同時に、ローマのパトロンに向けた一種のメッセージであったかもしれない。~略~初夏のもっとも明るい時期に、光にみちたこの山上の館で画家が描いたのはしかし、死について瞑想し悔悛の涙を流す聖人たちが身を潜める幽暗で陰鬱な画面ばかりであった。夏の太陽も、人生の蹉跌を味わい、犯した罪の底知れぬ深さに悔恨と焦燥の日々を送る画家の内なる闇には届かなかったようである。」今回はここまでにします。