Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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連盟ニュースより記事抜粋
私は日本美術家連盟(一般社団法人)の彫刻部に所属しています。そこから毎月「連盟ニュース」が郵送されてきて、記事を楽しみにしています。4月号は「ご意見番に聞く」というコーナーで、私にとってお馴染みのギャラリーせいほうの田中譲さんのインタビューが掲載されていました。東京銀座8丁目にあるギャラリーせいほうは、師匠の池田宗弘先生の個展を手伝うために、私は20代の頃初めて足を踏み入れた画廊でした。その頃、ギャラリーの母体である聖豊社では専門誌「現代彫刻」を発刊していて、私は定期購読をしていました。ギャラリーせいほうは、当時から私が憧れる画廊だったのでした。田中さんが語るギャラリーせいほうの歴史から引用いたします。「聖豊社創立者の中里豊次郎は出版社に勤めていましたが、彫刻に興味を持ち、会社を辞めて木彫家の関野聖雲に弟子入りしました。聖雲の『聖』と『豊』の字をとって聖豊の雅号をもらいました。~略~昭和50年に銀座の6丁目に彫刻を扱う専門の『ギャラリーせいほう』が開廊されました。聖豊社という名前はしばしば葬儀会社と間違われたりしましたので、平仮で『せいほう』にしたのです。」それから10年経って8丁目に移転したようですが、私が関わりを持った時は、既に8丁目にありました。次に画廊経営についてコメントしている箇所があります。「ギャラリーせいほうも野外彫刻ブームの恩恵を受けていましたが、百貨店などを通して最終消費者に売っており、木彫、ブロンズ作品、記念品、胸像・銅像などと幅広く彫刻を扱っていたから生き延び得たのかもしれません。」最後に売れない作品を作り続けている私が勇気づけられたコトバがありました。「売れる傾向の作品に影響されることなく、純粋な気持ちで作品を制作してほしいですね。特に美術品は飛ぶように売れる物ではありません。売ることを考えて作ると、どうしても下品な作品になってしまい、結果として売れない場合が多い。純粋な気持ちで作品を作るとその気持ちが伝わって、結果として見る人に感動を与え売れるのではないでしょうか。」田中さんには毎年個展を企画していただいて感謝しております。加えて私の作品はなかなか売れなくて本当に申し訳なく思っています。