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夏季休暇① 越後のミケランジェロを訪ねて
5日間ある夏季休暇の2日を取得して、上越新幹線で新潟県魚沼市に家内とやってきました。目的は彫り物師石川雲蝶が残した木彫りの数々や水墨画を見て回ること。石川雲蝶の名を知ったのはテレビ番組だったように記憶していますが、西福寺開山堂の天井一面に施された彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」をテレビ画面で見て、ただならぬ気配を感じていました。自分なりに石川雲蝶を調べていくうちに、ひとたび鑿を握れば「彫りの鬼」と化したという雲蝶が、越後のミケランジェロと称される由縁もわかった気がして、どうしても実物が見たくなったのでした。新幹線の越後湯沢駅からレンタカーを借りて、関越道を走り、堀ノ内ICで降りました。そこから数分で曹洞宗の名刹である永林寺に到着、さっそく天女が彫られた欄間が私たちを迎えてくれました。1855年から13年という歳月をかけて、永林寺に保存される作品を数々を制作した雲蝶でしたが、その時の逸話も有名で、博打好きな雲蝶が弁成和尚と賭けをしたようで「雲蝶が勝ったら金銭を支払い、弁成和尚が勝ったら永林寺の本堂一杯に力作を手間暇惜しまず制作する」というものでした。この勝負は和尚が勝って、後世に残る作品の数々が生まれたのでした。次に向ったのはこれも曹洞宗の名刹である西福寺で、ここの開山堂には「越後日光」と呼ばれている天井彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」がありました。これには私は心底圧倒されて、暫し形容する言葉を失いました。この作品を保存するために開山堂の外観をさらに木造建築が覆っていたのでした。西福寺を最初に見た時は二重構造の何とも不思議な寺の作りだなぁと思っていて、その理由が分かりました。西福寺には雲蝶による襖絵「孔雀遊戯の図」が残されていました。木彫だけでなく、絵画にも力量をもっていた石川雲蝶。さらに次の場所へ私たちは出向いたのでしたが、穴地十二大明神を見つけることが出来ずに、住所のある周囲を車でぐるぐる回っていました。え?あの小さな神社がそうなの?と近づくと勝手に扉を開けて中に入るよう指示がありました。確かにそこにも雲蝶の浮き彫りがありました。ひょっとして未完成と思わしき作品があって、それはそれで興味が湧きました。最後に向ったのは龍谷寺で、ここの観音堂はインドグプタ王朝様式が取り入れられた独特な雰囲気の寺院でした。そこには獏や麒麟などが緻密に彫られた完成度の高い雲蝶の欄間がありました。これら石川雲蝶の数々の作品に関する考察や感想は別稿を起こそうと思っています。宿泊場所である越後湯沢に帰る途中に十日町市博物館に立ち寄りました。10年前に一度来たことのある博物館で、縄文土器のコレクションが有名なのです。もう一度縄文土器が見たくなってやってきたのですが、もう間もなくしたら新館が完成するらしく、そのせいか展示会場はやや狭くなっていました。それでも目指す土器を見つけて嬉しくなりました。