Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

週末 作品に容貌を見る人
週末になると、美大生が工房にやってきます。現在、工房に出入りしている美大生は2人いて、染織を専攻している子とグラフィックデザインを専攻している子です。2人とも大学が夏休みに入り、バイトの合間に夏季課題をやりに来ているのです。今日は時折強い雨の降る日でしたが、グラフィックデザイン専攻の学生が工房に来ていました。私は新しく仕入れた陶土を使って土練りをしていました。工房は蒸し暑く、私の頭に巻いた手ぬぐいやシャツは汗でびっしょりになっていました。先日終わった個展に来ていただいた人の中で、嘗ての管理職仲間だった人の感想が今も頭に残っています。彼は幾度か個展に来ていただいていて、いつも印象的な言葉を残してくれます。前にも同じことを言っていましたが、私の陶彫作品に彼は顔というか容貌が見えていて、しかも笑っているように感じると言うのです。私は具象を作っている意識はなく、ましてや陶彫立方体に開けた穴が顔に見えるようであれば、デザインを変えています。それでも容貌に見えるのはどういうことなのでしょうか。無意識でも私が創作する時に、生に対する喜びは確かにあります。それは顔が綻ぶというような表象的なものでなく、造形そのものに喜びを覚えるような根源的なものです。具体的な顔の要素がない中で、彼は私の心中にのみ沸き立つ喜びを見取っているのでしょうか。今回、個展会場で彼と時間を取って話をしていくうちに、彼が早大でフランス哲学を専攻していたことが分かりました。成程、彼は書籍を多く読んでいる空気を感じていましたが、そうした深い洞察力があればこそ、こういう感想を持ってくれていたのだということも分かりました。私も人が創作した造形物には、何か説明のできない気配を感じることがあります。私もそこに拘りを持つ人間なので、彼に共感を覚えました。自作が象徴性、抽象性を持っているからこそ、鑑賞者の視点によってさまざまな感想を導き出すことに、私は確かな手応えを感じているのです。