Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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始まりは「振動尺」から
今は亡き彫刻家若林奮について、先日の武蔵野美術大学美術館での展覧会を踏まえて、再度考察しようと思います。そこには私にとってどうしても避けて通れない造形理論があって、それは彫刻という特異なものが存在する世界のことです。彫刻は日常生活に直接役立つものではないもので、さらに人によってはナンセンスと思われて、場合によっては廃棄の憂き目に遭うものと捉えられても不思議ではありません。それなのに何故手間暇かけて社会的ニーズがないものをわざわざ作っているのか、私自身もよく分からないのです。自分の興味関心が万人が向かうところではなく、人と違う扉を開けることもありうると私は考えております。さらに彫刻という誰もがイメージする西洋風の人体像がありますが、それとはまるで異なる表現を私が求めているため、それはほんの一握りの人たちの自己満足なのだと割り切っています。それでも私が注目している空間概念があります。彫刻という特異なものが存在しても調和が図れる世界、その折り合いをつけるために、自分と対象とするモノの関係を考えてみることから彫刻家若林奮は出発したのだろうと考えられます。私が学生の頃に教壇に立っておられた若林先生が創り出す不可思議な立体。題名となった「振動尺」とは何か、展覧会の図録から引用いたします。「彫刻家、若林奮の代表的な作品シリーズとして知られる『振動尺』は、この名称を冠するいくつかの作品にとどまらない射程を備えている。というのもそれは、若林の制作歴の相当部分に行き渡る、一種の認識モデルとしても機能しているからだ。~略~『振動尺』とは、観察者とその向こう側にある対象それぞれの『表面』を両端に含む『間の空間』を、物質に置き換えたものであるといえる。しかし対象が捉えがたい存在であるということは、それとの『間の空間』もまた揺らぎを抱えることにあるだろう。~略~そこで把握される対象の『表面』は、固定された輪郭線として定義されるようなものではなく、むしろ不確定に変動する触知的な感覚量=『厚み』として理解できる。前進ー後退する表面の動態は、この表面を含む『間の空間』をバネのように伸縮させるはずだ。」(勝俣涼著)つまり「振動尺」とは若林先生が造語した空間概念を示すもので、尺という言葉を使っていても実際の数値を表すものではなく、感覚的なものに立脚していることが、即ち彫刻家が考えそうなことかなぁと思っています。魅力的なことは、この「振動尺」シリーズが心の琴線に触れるほど、現代的美観を備えている物体であることです。