Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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週末 陶土に拘る理由
日曜日になって、いつものように後輩の木彫家や美大生が工房にやってきました。私も含めてそれぞれが自らの課題に一生懸命に取り組んでいる時間は、珠玉のような時間だろうと私は認識しています。創作活動は真摯に立ち向かっている人間でないと分からない側面があります。「良い趣味をお持ちですね」と人から言われて、苦笑いをしたこともありました。機械的に作業をしているだけでは、腑抜けた作品が出来てしまい、自分の納得が得られるものではなくなってしまうのです。心を込めるということはどういうことか、創作活動に関わっているとそれが日常の姿勢になっていることに改めて自分を見直すこともあります。後輩の木彫家は、嘗ての私と同じ二束の草鞋生活を送っていて、双方の仕事に辛さを覚えることがあろうかと思います。私は教職にあって創作活動を続けていく難しさを実感していたからこそ、彼の内情はよく理解できます。初めて教壇に立った頃は、授業のことや生徒理解のことで創作活動のことなど二の次になっていました。美術準備室の隅の方に彫刻の素材を放っておいて、多忙に動き回っていましたが、彫刻をやりたいという気持ちだけは忘れずにいました。これではいけないと思い始めたのはいつ頃だったか、私は焼き物に注目していました。陶土は常に手間をかけていないと、使い物にならない素材になってしまうので、これを創作の契機にしようと考えたのでした。教職に支配されていた生活を、少しでも創作活動に腰を移すためには、陶土を常に気にしておくことが必要でした。つまり私の自由意志ではなく、陶土の事情に問題をすり替えたのです。陶彫は私の都合など関係なく、陶土の乾燥具合で進めていく制作工程があり、人の手が及ばない焼成があるため、それが私をして二束の草鞋生活を成功させる秘訣でもありました。生徒が下校し、学校の会議が終わり、私一人になった時に、毎晩陶土に触れて自分を取り戻す時間、それが私には何より大切な時間だったのでした。私が陶土に拘る理由はそんなところにあったと思っています。