Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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上野・横浜の2つの展覧会散策
このところ陶彫制作が続き、そろそろどこかの美術館に出かけたいと考えていました。今日は朝のうちに工房に出かけ、個展用の梱包作業をやっていましたが、昼まえに家内を誘い、東京上野にある東京都美術館に行きました。先日、当館で開催中の「マティス展」の予約を取りましたが、都美術館に着いてみると大変混雑していて、改めてマティスの人気の高さに目を見張りました。アンリ・マティスは、私が20代の頃は理解のできない芸術家の一人で、どうしてこの絵画が世界的に認められているのか分かりませんでした。マティスが理解できたのは30代になってからで、線描されたデッサンか版画によるものでした。そこに色彩がなくても何気なく描いた線が、軽やかで、それしかないような決定さがあって、私は忽ち魅了されたのでした。色彩もその組み合わせと配置に、心が浮足立ちました。「マティス展」の詳しい感想は後日改めたいと思います。次に訪れたのは横浜のデパートでした。そごう美術館は久しぶりにやってきました。そこで開催されていたのは「大森暁生展」で「霊気を彫り出す彫刻家」という副題がつけられていました。素材は木彫で、主に動物をモティーフにしていました。表現は具象ですが、その写実を伴う形態把握は極めて的確で、鬼気迫る動物の表情にも才気が感じられました。香川県讃岐國分寺に奉納予定の大日如来坐像の制作過程の動画があり、この作家の今後が楽しみにもなりました。ただ、並んだ作品を見ていくうちに、私にはどうしても馴染めない要素があって、それが気になり始めました。作品の技巧は上々で、照明を巧みに使い、ドラマティックな演出もあって申し分がなかったのですが、作品が饒舌になり過ぎていて、劇画的な雰囲気を纏っていたと感じたのは私だけでしょうか。現代アートは表現の幅を広げるだけ広げているので、あらゆる世界を網羅していると言えますが、作品が内蔵する哲学が全て晒されて、彫刻を見たというより、サブカルチャー的な立体造形を見た印象を持ちました。凄い表出力を匂わせる世界観が、それほど印象に残らないというのは私のあまりにも個人的な感想なので、それはどうでもいいことですが、マティスの世界観に触れた後だったので、尚更そう感じたのかもしれません。では芸術とは一体何なのか、私にも分からないもので、だからこそ私も毎日制作に励んでいるのです。それほど巧みではない私が言うのも妙ですが、私にはそれを表す言葉が見つかりません。