凹凸のついた歯車をよく自分のモチーフに使います。螺旋や渦巻きと違い、若い頃から自分の作品に繰り返し出てくる要素です。具象の作品から出発して、人体を離れる契機になったのが歯車の使用でした。歯車は具象とし…[続きを読む]
先日、螺旋の造形をブログに書きましたが、螺旋を平面にしたものが渦巻きで、当然渦巻きも造形要素としては大好きです。中心に向かって巻き込まれていく、また中心からグルグルと外へ広がるカタチは、一点から展開す…[続きを読む]
昨日の中島さんの個展に続き、もう一人大学の先輩が銀座で個展をしています。加藤さんは中島さんや池田先生のような師匠としての存在ではなく、年齢も近いので、むしろ気が通じ合った先輩といったところでしょうか。…[続きを読む]
ウィーン国立歌劇場の立ち見席で何度もオペラを観るうち、歌唱の巧みさがわかってきました。観客は正直なもので、実力派歌手が出演するオペラは立ち見席の窓口に長い列ができました。歌劇場を一回り以上の長蛇の列が…[続きを読む]
初冬の季節になると情緒豊かなウィーンの街並みが寒々と夕暮れていく情景が目に浮かびます。オペラが上演されるのは国立歌劇場ばかりではなく、フォルクスオパーやもっと小さな劇場でも雰囲気に応じた演目がかかりま…[続きを読む]
まるでロシアのリアリズム絵画を見ているような舞台。群集の合唱に圧倒され、クレムリン宮殿の豪華な広間の隅々にもリアルを追求した大道具や小道具が置かれ、まさにロシアの歴史に遭遇しているような錯覚に陥ります…[続きを読む]
ウィーンで初めて観たオペラはR.シュトラウスの「エレクトラ」でした。下調べもせず、音楽留学生から立ち見席のことを聞いて、まず飛び込んだ劇場でやっていた演目が「エレクトラ」。真っ暗な舞台。登場人物も少な…[続きを読む]
音楽評論を読むとこの「魔笛」の筋書きには、当時モーツアルトが関わった秘密結社なる存在もあるのですが、そんなことを気にせずに観た「魔笛」は音楽や舞台装置、衣裳のデザインがとても楽しく、おそらく5年間のウ…[続きを読む]
ウィーンに住んでクラシック音楽に接しないのは愚の骨頂のような気がしてコンサートにはよく出かけました。幸い立ち見(というか立ち聴き)があって安い料金で一流の音楽が堪能出来ました。爪に火をともす生活をして…[続きを読む]
美術的興味からウィーンに暮らし始めたのですが、ここが世界的に有名な音楽の都であることはよく知っていました。美術留学生は一握り、ところが音楽留学生は音大に行くと、ここは日本じゃないかと思えるほどたくさん…[続きを読む]
音楽家の家系か、親が特別な趣味を持っていない限り、クラシック音楽が身近にあることはありません。職人家庭に育った私は歌謡曲や浪花節の方が身近でした。妹が音大に進んだのですが、それでもクラシック音楽を身近…[続きを読む]
横浜市の教員向けの研究会でオーストリアの教育システムについて講演をしたことがありました。オーストリアは日本と違い、一斉に9年間の義務教育があるわけではなく、早い時期に職業技能を身につける学校に進む方法…[続きを読む]
ウィーン美術アカデミーは母校です。とはいえ、やはり外国人である自分は学生同士の繋がりも希薄だったため、日本の学校のように胸を張って母校と言えないところがあります。でも1980年代に在籍していました。学…[続きを読む]
このところ朝晩めっきり冷え込んできました。こんな季節になるとヨーロッパに暮らしはじめて嫌気がさした長く暗い冬のことを思い出します。夕方4時になると辺りは暗くなり、釣瓶落としの如く夜の帳がおりて、翌朝は…[続きを読む]
ウィーンの学生食堂で、中華あんまんを売っているのか?と誤解したのが、この「ゲルムクヌーデル」でした。訳すと「イーストの入ったダンゴ」。確かに中華あんまんに近いものでした。中味の餡は芥子の実が原料と思わ…[続きを読む]
ウィーンの青果市場(ナッシュマルクト)に売っている食べ物でペースト状にしたレバー肉を焼いて小さなパンに挟んだ「レバーケーゼ ミット センメル」が美味しくて、買い物に行ったついでによく食べました。レバー…[続きを読む]
陶芸がやりたくてもその手段が見つからなかった滞欧時代、ウィーンの目抜き通りであるケルントナー通りに洒落た工芸品を扱う店があって、そのウインドウにフンデルトワッサーが作った壺と深皿が飾ってありました。何…[続きを読む]
フンデルトワッサーが亡くなってどのくらい経つのでしょうか。自分がウィーン国立美術アカデミーに在籍していた頃、アカデミーにはフンデルトワッサー教室があって、よくそこを見に行きました。観葉植物が所狭しと置…[続きを読む]
先月のブログではクリムト、シーレ、ココシュカといったウィーンでは有名な画家のことを書きましたが、今月は個人的に関わりのあった芸術家について書こうと思います。ビリー・ザウワーは20世紀初頭に短い生涯を送…[続きを読む]
ウィーン中央墓地は観光スポットのひとつです。音楽の都であり続けるウィーンならではの場所だからです。ベートーベン、シュトラウス、シューベルト等々錚々たる音楽家が眠っています。モーツアルトは共同墓地に葬ら…[続きを読む]
ウィーンの彫刻家ボトルバの建てた教会は、大きなオブジェが大地にあるといった存在感で、とても教会とは思えませんでした。コンクリート打ちっぱなし、板材を様々な角度で構成した建造物で、なにか近未来的な生物の…[続きを読む]
建築からデザイン、そして彫刻へ興味が移っていった自分を振り返ると、彫刻家であり建築も手がけた作家は自分にとって大変魅力的な作家といえます。その逆に彫刻的な建築を作った建築家も魅力的です。スペインのガウ…[続きを読む]
クリムトとシーレ。以前のブログに書いたウィーンの有名画家です。ウィーンではこの2人を知らない人はいないくらいです。クリムトは優雅な作風で知られ、ブルジョア的な雰囲気が漂っています。シーレは身の回りの人…[続きを読む]
たしか「グリーヒェンバイスル」という名の居酒屋(いや、高級レストランかな?)だったと思います。なんせ20年以上も前の記憶ですから、店の名はハッキリしていません。歴史に残るような芸術家、著名人のサインが…[続きを読む]
ウィーンのカフェのことをあれこれ思い出しながらブログを書いていたら、ふと今の自分はどうなんだろうと考えてしまいました。今は語る時間があれば、ひたすら制作をしています。作品のイメージをどう具現化するか、…[続きを読む]
大学で彫刻を学んでいた頃は、お洒落で手軽な「スタバ」や「ドトール」はなく、いわゆる喫茶店があって、友達と長い時間をそこで過ごしました。芸術論議は大好きで、制作もままならないうちに精神性ばかり語っている…[続きを読む]
ウィーンの旧市街には、シュテファンス寺院の地下にあるような墓地があちこちにあり、埋葬された骨を片付けて、居酒屋を営んでいるところがありました。洞窟のような居酒屋は、もともとそこに何があったかを知らなけ…[続きを読む]
ウィーンの街の中心にシュテファンス寺院があります。目抜き通りであるケルントナーとグラーベンが交差する広場にあるゴシック様式の立派な寺院で、まさにウィーンのシンボルです。そのシュテファンス寺院の地下に墓…[続きを読む]
どこの街にも芸術家や作家が集まったカフェがあります。ウィーンにはカフェ・ハベルカがありました。旧市街のグラーベン通りにあるペスト記念碑の近くの路地にあったように思います。ハウズナーやフックスといったウ…[続きを読む]
クリムトの弟子とも言えるエゴン・シーレは若干28歳で病死しています。シーレの絵を見たのは渡欧前でしたが、衝撃を受けたのを覚えています。デッサンの線はシーレとわかる独特なもので、人物のポーズにしろ画面構…[続きを読む]
世紀末ウィーンの美術界で活躍した画家です。作品はベルベデーレ宮殿内のギャラリーにありました。ウィーンではあまりにも有名な画家で、作品を絵葉書やポスターにして街のあちこちの土産物店で売っていました。刺繍…[続きを読む]