Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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note > ウィーン
2006.10.09

陶芸がやりたくてもその手段が見つからなかった滞欧時代、ウィーンの目抜き通りであるケルントナー通りに洒落た工芸品を扱う店があって、そのウインドウにフンデルトワッサーが作った壺と深皿が飾ってありました。何…[続きを読む]

2006.10.08

フンデルトワッサーが亡くなってどのくらい経つのでしょうか。自分がウィーン国立美術アカデミーに在籍していた頃、アカデミーにはフンデルトワッサー教室があって、よくそこを見に行きました。観葉植物が所狭しと置…[続きを読む]

2006.10.05

先月のブログではクリムト、シーレ、ココシュカといったウィーンでは有名な画家のことを書きましたが、今月は個人的に関わりのあった芸術家について書こうと思います。ビリー・ザウワーは20世紀初頭に短い生涯を送…[続きを読む]

2006.10.04

ウィーン中央墓地は観光スポットのひとつです。音楽の都であり続けるウィーンならではの場所だからです。ベートーベン、シュトラウス、シューベルト等々錚々たる音楽家が眠っています。モーツアルトは共同墓地に葬ら…[続きを読む]

2006.10.03

ウィーンの彫刻家ボトルバの建てた教会は、大きなオブジェが大地にあるといった存在感で、とても教会とは思えませんでした。コンクリート打ちっぱなし、板材を様々な角度で構成した建造物で、なにか近未来的な生物の…[続きを読む]

2006.10.02

建築からデザイン、そして彫刻へ興味が移っていった自分を振り返ると、彫刻家であり建築も手がけた作家は自分にとって大変魅力的な作家といえます。その逆に彫刻的な建築を作った建築家も魅力的です。スペインのガウ…[続きを読む]

2006.09.28

クリムトとシーレ。以前のブログに書いたウィーンの有名画家です。ウィーンではこの2人を知らない人はいないくらいです。クリムトは優雅な作風で知られ、ブルジョア的な雰囲気が漂っています。シーレは身の回りの人…[続きを読む]

2006.09.27

たしか「グリーヒェンバイスル」という名の居酒屋(いや、高級レストランかな?)だったと思います。なんせ20年以上も前の記憶ですから、店の名はハッキリしていません。歴史に残るような芸術家、著名人のサインが…[続きを読む]

2006.09.26

ウィーンのカフェのことをあれこれ思い出しながらブログを書いていたら、ふと今の自分はどうなんだろうと考えてしまいました。今は語る時間があれば、ひたすら制作をしています。作品のイメージをどう具現化するか、…[続きを読む]

2006.09.25

大学で彫刻を学んでいた頃は、お洒落で手軽な「スタバ」や「ドトール」はなく、いわゆる喫茶店があって、友達と長い時間をそこで過ごしました。芸術論議は大好きで、制作もままならないうちに精神性ばかり語っている…[続きを読む]

2006.09.24

ウィーンの旧市街には、シュテファンス寺院の地下にあるような墓地があちこちにあり、埋葬された骨を片付けて、居酒屋を営んでいるところがありました。洞窟のような居酒屋は、もともとそこに何があったかを知らなけ…[続きを読む]

2006.09.23

ウィーンの街の中心にシュテファンス寺院があります。目抜き通りであるケルントナーとグラーベンが交差する広場にあるゴシック様式の立派な寺院で、まさにウィーンのシンボルです。そのシュテファンス寺院の地下に墓…[続きを読む]

2006.09.22

どこの街にも芸術家や作家が集まったカフェがあります。ウィーンにはカフェ・ハベルカがありました。旧市街のグラーベン通りにあるペスト記念碑の近くの路地にあったように思います。ハウズナーやフックスといったウ…[続きを読む]

2006.09.20

クリムトの弟子とも言えるエゴン・シーレは若干28歳で病死しています。シーレの絵を見たのは渡欧前でしたが、衝撃を受けたのを覚えています。デッサンの線はシーレとわかる独特なもので、人物のポーズにしろ画面構…[続きを読む]

2006.09.19

世紀末ウィーンの美術界で活躍した画家です。作品はベルベデーレ宮殿内のギャラリーにありました。ウィーンではあまりにも有名な画家で、作品を絵葉書やポスターにして街のあちこちの土産物店で売っていました。刺繍…[続きを読む]

2006.09.18

最新型テーマパークのアトラクションは結構好きで、そろそろ人気が落ち着いたかなと思う頃に出かけています。でも衝撃のアトラクションとは違う意味で忘れられないのが、浅草花やしきのローラーコースターです。民家…[続きを読む]

2006.09.17

自分が通っていたウィーン国立美術アカデミーの裏に不思議な建物がありました。建物の頭に金属の葉で出来た球体をのせた建物で、よくアカデミーの窓から眺めていました。その建物は「セセッション」という建物でした…[続きを読む]

2006.09.16

ウィーンの旧市街のうねうねと曲がった小路を行くと、建物の壁を塗り替えようとした時に現れた古い壁画をそのまま残していたり、昔の店舗を当時のまま残している所がありました。その中に鍛冶屋の仕事場がウインドウ…[続きを読む]

2006.09.15

ウィーンに住み始めて、まず驚いたのが店が閉まるのが早いことと、夕暮れから夜にかけて街を散歩する人が多いことでした。目抜き通りであるケルントナー通りにはストリートミュージシャンが現れ、アコーデオンやバイ…[続きを読む]

2006.09.14

自分が住んでいた頃のウィーンには中心街をはずれたところに古い映画館があって安いチケットでマニアックな映画を観ることができました。イタリアの村の風情を描いた「木靴の樹」やギリシャの島に生きる人々を描いた…[続きを読む]

2006.08.31

ウィーンで学生だった頃、紀行作家のみやこうせい氏と学生食堂で知り合い、それが縁で彼が取材していたルーマニアに度々同行しました。自分は彫刻を学んでいたので、ルーマニアといえばブランクーシに関連するものが…[続きを読む]

2006.08.22

中学生の頃から大学卒業まで父の家業を手伝っていて、そのアルバイト代を貯めてヨーロッパに出かけました。気候風土は日本の湿った環境とはまるで違い、乾燥した空気に心地よさを感じました。日本のような肥沃な土地…[続きを読む]

2006.05.05

ウィーンにいた時、そこの美術館にE.バルラハの刀を振りかざした人体彫刻がありました。最初はK.コルビッツが作ったものだと誤解していました。あまりにもコルビッツの素描や版画と似ていたのです。人物を簡潔で…[続きを読む]