Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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note > ウィーン
2007.04.23

家内は大学で空間演出デザインを専攻し、卒業制作にワーグナー作曲による「さまよえるオランダ人」の舞台デザインをやっていました。そのイメージがあってか、ウィーン国立歌劇場で「さまよえるオランダ人」を観た際…[続きを読む]

2007.04.22

20数年前に住んだウィーンで爪に火を点す生活をしていた自分の楽しみはオペラの立ち見でした。ベートーベン作曲によるオペラ「フィデリオ」は、ストーリーが分かりやすく音楽も胸を打つものがあったので、何回も観…[続きを読む]

2007.04.19

プッチーニの作曲したオペラに「ラ・ボエーム」があります。イタリア歌劇の中ではよく演奏されるオペラのひとつです。今日職場でひょんなことからオペラの話になり、このリリシズムあふれる「ラ・ボエーム」を聴いた…[続きを読む]

2007.03.06

1985年晩夏、5年間住んだウィーンの住宅を引き払って、ヘレニズム時代の都市遺跡を見にトルコやギリシャに数ヶ月の旅に出ました。交通手段はもっぱらバスと徒歩でした。ヒッチハイクもしました。何といっても遺…[続きを読む]

2007.02.27

イスタンブールで病みつきになった料理はフイッシュバーガーでした。それも獲れたての魚をその場で揚げて、パンに挟んだ野趣あふれるものです。それはヨーロッパとアジアを繋ぐボスフォラス海峡のガラタ橋近くに舟を…[続きを読む]

2007.02.25

1985年夏にウィーンからイスタンブールへバスで深夜に乗りつけて、閉まったホテルの玄関前に野宿した後、バザールに見物に行きました。イスタンブールは混沌とした賑やかな街でした。絨毯商は皆そろって日本語が…[続きを読む]

2007.02.24

20歳代の終わりにウィーン生活を切り上げて帰国することになり、美術アカデミー修了を待って、数ヶ月の旅にでることにしました。1985年の夏から冬にかけてのことです。当地で生活費を賄っていたので、そんなに…[続きを読む]

2007.02.13

「発掘〜円墳〜」は、4月の個展に出品する作品のひとつです。作品をテーブルにするアイデアは新しいものではありませんが、テーブルの下に陶彫ブロックを接着する作品は初めてだろうと思います。テーブルの下にある…[続きを読む]

2007.02.04

大切な友人に鎌倉彫の彫師をやっている安斉文隆さんがいます。自分がウィーンから帰国してまもなく、ドイツ語を忘れないために在日ドイツ人学校(横浜市都築区にあるドイツ学園)の夜間クラスに通っていた時期があり…[続きを読む]

2007.01.26

かつて住んでいたウィーン10区のアパートから歩いて5分程度のファボリーテン通りに、エイリアンの棲家のようなメタリックな建物が出来ました。オットー・ワーグナーのような前世紀の建築群との調和を図った建築家…[続きを読む]

2007.01.25

再びウィーン幻想派の話です。自分がいた頃の美術アカデミーにはハウズナーの他に、A・レームデンがクラスを持っていました。同じ幻想派でもハウズナーとはテーマが異なり、戦争体験を基にした風景を描いていました…[続きを読む]

2007.01.19

ウィーン幻想派の話です。ウィーン美術アカデミーに学んでいた20数年前に、ハウズナーを1度だけお見受けしたことがあります。ハウズナーはウィーン幻想派の画家の中でも最年長でリーダー的役割をしていました。画…[続きを読む]

2007.01.17

ウィーン幻想派の画家の中で、ウィーンの街中のギャラリーに作品があるのがE・フックスの銅版画です。フックスは煌びやかな油彩画を多く描いていますが、モノクロの銅版画にも力量のある画家だと思います。フックス…[続きを読む]

2007.01.16

ウィーン美術アカデミーに学んでいた当時、同校にハウズナー教室とレームデン教室があって、とくにハウズナー教室には毎年のように邦人画家が聴講生としてやってきて制作をしていました。もうかれこれ30年も前にな…[続きを読む]

2007.01.13

ウィーン美術史美術館にはブリューゲルだけの部屋があって、代表作がたくさん観られます。そんなことも知らずにウィーンに行き、この農民画家に出会った時は、息を呑むほど驚いて、ただひたすら見入ってしまいました…[続きを読む]

2007.01.12

みやこうせいさんの写真を久しぶりに見て、ウィーン美術史美術館にあったP・ブリューゲルの絵画世界が現存しているかのような印象を持ちました。自分もかつてみやさんと一緒にそこにいたのですが、現在生活している…[続きを読む]

2007.01.10

ウィーン分離派は、自分にとってどのようなものかを考えてみると、予備知識もないままウィーンに住んで初めて知った革新的な芸術運動で、その美的なるものに感動を覚えたのが分離派でした。現代は芸術の捉え方、表現…[続きを読む]

2007.01.08

昨年のブログに、ウィーン美術アカデミーの窓から、鉄製の植物を模った球体のオブジェをのせた不思議な建物が見えていたと書きました。このブログでウィーン分離派のことにも触れたと思いますが、この分離派の中心的…[続きを読む]

2007.01.07

ウィーンの中心にある聖シュテファン寺院の向かいにかなり現代的な建物が出来たことで、ウィーン市民の間で物議を醸しだしたという話を聞きました。自分の帰国後のことで実際には見ていませんが、ネットで調べると曲…[続きを読む]

2007.01.06

自分がウィーン美術アカデミーに学んでいた頃、フンデルトワッサーが教室をもっていたので会いに行ったことがありました。フンデルトワッサーは絵画に留まらず、陶芸やタペストリーを制作していました。とくに建築に…[続きを読む]

2007.01.05

ウィーンの中心に近いところに青果市場(ナッシュマルクト)があります。その青果市場から、オットー・ワーグナーがデザインした住宅2棟が見えます。当時流行したユーゲントシュテイール様式の植物模様が壁面いっぱ…[続きを読む]

2007.01.04

20代でウィーンに住んで、いろいろな芸術家から刺激をもらいました。帰国後、長い時間をかけて自分なりに刺激を受けたモノを噛み砕き、理解しようと努めてきました。これらが今の作品に繋がっていると思います。そ…[続きを読む]

2007.01.02

ウィーンムジークフェライン(楽友協会)でのニューイヤーコンサートの模様が毎年TVで衛星中継されます。1980年から85年まで住んでいたウィーンで、このニューイヤーコンサートは何度も立見席で聴いていまし…[続きを読む]

2006.12.24

ウィーンで迎えたクリスマスは地味ながら、しっとりとした落ち着いたクリスマスでした。イエス・キリストの誕生を祝う神聖な日だからこそ、家族で団欒をして心安らかに過ごすというものでした。日本のようにケーキの…[続きを読む]

2006.12.23

10区のプッフスバウム通りというのがウィーンで長く住んだ場所でした。このあたりは外人労働者が多く住んでいましたが、治安は悪い方ではありませんでした。地下鉄Uー1の終点であるロイマン広場から何本か延びた…[続きを読む]

2006.12.22

ベートーベンは生涯50数回も引越ししたと言われていますが、それほどではないにしろ自分もヨーロッパでは数回の引越しを経験しています。初めはドイツのバイエルンにある全寮制の語学学校、次に語学学校のクラスメ…[続きを読む]

2006.12.20

自分が行く前からウィーンで暮らしていた留学生仲間が、古くなった住居の壁に平織りの絨毯を張り巡らして独特な空間を作っていました。平織りは幾何模様があったり、動物や人物が象徴的に単純化されていたりして、そ…[続きを読む]

2006.12.19

所謂「蚤の市」で、日本でも最近はあちこちでこうしたフリーマーケットが開かれています。その先駆けとも言うべきヨーロッパのマーケットはかなり歴史があって、自分の留学生時代には盛んに行われていました。ウィー…[続きを読む]

2006.12.18

ドイツ語ではユーゲントステイールと言っていました。20世紀初頭に流行した美術様式で、建築から工芸品にいたるまで、それとわかるフォルムをしています。植物の葉・茎や蔦の曲線をデザインに取り入れて、自然に独…[続きを読む]

2006.12.14

1980年代にウィーンに住んでいたので、まだソビエト連邦を中心とする共産圏が隣国にありました。ハンガリーや旧チェコスロバキアに出かけていくと、広場にはよく労働者や兵士を賛美する具象彫刻のモニュメントが…[続きを読む]

2006.12.13

自分の作品が具象傾向から抽象化していく過程で、歯車という具体的なイメージを使ったのは、あるいは本当の意味で抽象化と呼べるかどうかわかりません。ウィーンではアールヌーボーやアールデコ様式がよく目につきま…[続きを読む]