Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

archive

note > ウィーン
2007.01.10

ウィーン分離派は、自分にとってどのようなものかを考えてみると、予備知識もないままウィーンに住んで初めて知った革新的な芸術運動で、その美的なるものに感動を覚えたのが分離派でした。現代は芸術の捉え方、表現…[続きを読む]

2007.01.08

昨年のブログに、ウィーン美術アカデミーの窓から、鉄製の植物を模った球体のオブジェをのせた不思議な建物が見えていたと書きました。このブログでウィーン分離派のことにも触れたと思いますが、この分離派の中心的…[続きを読む]

2007.01.07

ウィーンの中心にある聖シュテファン寺院の向かいにかなり現代的な建物が出来たことで、ウィーン市民の間で物議を醸しだしたという話を聞きました。自分の帰国後のことで実際には見ていませんが、ネットで調べると曲…[続きを読む]

2007.01.06

自分がウィーン美術アカデミーに学んでいた頃、フンデルトワッサーが教室をもっていたので会いに行ったことがありました。フンデルトワッサーは絵画に留まらず、陶芸やタペストリーを制作していました。とくに建築に…[続きを読む]

2007.01.05

ウィーンの中心に近いところに青果市場(ナッシュマルクト)があります。その青果市場から、オットー・ワーグナーがデザインした住宅2棟が見えます。当時流行したユーゲントシュテイール様式の植物模様が壁面いっぱ…[続きを読む]

2007.01.04

20代でウィーンに住んで、いろいろな芸術家から刺激をもらいました。帰国後、長い時間をかけて自分なりに刺激を受けたモノを噛み砕き、理解しようと努めてきました。これらが今の作品に繋がっていると思います。そ…[続きを読む]

2007.01.02

ウィーンムジークフェライン(楽友協会)でのニューイヤーコンサートの模様が毎年TVで衛星中継されます。1980年から85年まで住んでいたウィーンで、このニューイヤーコンサートは何度も立見席で聴いていまし…[続きを読む]

2006.12.24

ウィーンで迎えたクリスマスは地味ながら、しっとりとした落ち着いたクリスマスでした。イエス・キリストの誕生を祝う神聖な日だからこそ、家族で団欒をして心安らかに過ごすというものでした。日本のようにケーキの…[続きを読む]

2006.12.23

10区のプッフスバウム通りというのがウィーンで長く住んだ場所でした。このあたりは外人労働者が多く住んでいましたが、治安は悪い方ではありませんでした。地下鉄Uー1の終点であるロイマン広場から何本か延びた…[続きを読む]

2006.12.22

ベートーベンは生涯50数回も引越ししたと言われていますが、それほどではないにしろ自分もヨーロッパでは数回の引越しを経験しています。初めはドイツのバイエルンにある全寮制の語学学校、次に語学学校のクラスメ…[続きを読む]

2006.12.20

自分が行く前からウィーンで暮らしていた留学生仲間が、古くなった住居の壁に平織りの絨毯を張り巡らして独特な空間を作っていました。平織りは幾何模様があったり、動物や人物が象徴的に単純化されていたりして、そ…[続きを読む]

2006.12.19

所謂「蚤の市」で、日本でも最近はあちこちでこうしたフリーマーケットが開かれています。その先駆けとも言うべきヨーロッパのマーケットはかなり歴史があって、自分の留学生時代には盛んに行われていました。ウィー…[続きを読む]

2006.12.18

ドイツ語ではユーゲントステイールと言っていました。20世紀初頭に流行した美術様式で、建築から工芸品にいたるまで、それとわかるフォルムをしています。植物の葉・茎や蔦の曲線をデザインに取り入れて、自然に独…[続きを読む]

2006.12.14

1980年代にウィーンに住んでいたので、まだソビエト連邦を中心とする共産圏が隣国にありました。ハンガリーや旧チェコスロバキアに出かけていくと、広場にはよく労働者や兵士を賛美する具象彫刻のモニュメントが…[続きを読む]

2006.12.13

自分の作品が具象傾向から抽象化していく過程で、歯車という具体的なイメージを使ったのは、あるいは本当の意味で抽象化と呼べるかどうかわかりません。ウィーンではアールヌーボーやアールデコ様式がよく目につきま…[続きを読む]

2006.12.12

凹凸のついた歯車をよく自分のモチーフに使います。螺旋や渦巻きと違い、若い頃から自分の作品に繰り返し出てくる要素です。具象の作品から出発して、人体を離れる契機になったのが歯車の使用でした。歯車は具象とし…[続きを読む]

2006.12.10

先日、螺旋の造形をブログに書きましたが、螺旋を平面にしたものが渦巻きで、当然渦巻きも造形要素としては大好きです。中心に向かって巻き込まれていく、また中心からグルグルと外へ広がるカタチは、一点から展開す…[続きを読む]

2006.11.25

昨日の中島さんの個展に続き、もう一人大学の先輩が銀座で個展をしています。加藤さんは中島さんや池田先生のような師匠としての存在ではなく、年齢も近いので、むしろ気が通じ合った先輩といったところでしょうか。…[続きを読む]

2006.11.17

ウィーン国立歌劇場の立ち見席で何度もオペラを観るうち、歌唱の巧みさがわかってきました。観客は正直なもので、実力派歌手が出演するオペラは立ち見席の窓口に長い列ができました。歌劇場を一回り以上の長蛇の列が…[続きを読む]

2006.11.16

初冬の季節になると情緒豊かなウィーンの街並みが寒々と夕暮れていく情景が目に浮かびます。オペラが上演されるのは国立歌劇場ばかりではなく、フォルクスオパーやもっと小さな劇場でも雰囲気に応じた演目がかかりま…[続きを読む]

2006.11.15

まるでロシアのリアリズム絵画を見ているような舞台。群集の合唱に圧倒され、クレムリン宮殿の豪華な広間の隅々にもリアルを追求した大道具や小道具が置かれ、まさにロシアの歴史に遭遇しているような錯覚に陥ります…[続きを読む]

2006.11.13

ウィーンで初めて観たオペラはR.シュトラウスの「エレクトラ」でした。下調べもせず、音楽留学生から立ち見席のことを聞いて、まず飛び込んだ劇場でやっていた演目が「エレクトラ」。真っ暗な舞台。登場人物も少な…[続きを読む]

2006.11.12

音楽評論を読むとこの「魔笛」の筋書きには、当時モーツアルトが関わった秘密結社なる存在もあるのですが、そんなことを気にせずに観た「魔笛」は音楽や舞台装置、衣裳のデザインがとても楽しく、おそらく5年間のウ…[続きを読む]

2006.11.10

ウィーンに住んでクラシック音楽に接しないのは愚の骨頂のような気がしてコンサートにはよく出かけました。幸い立ち見(というか立ち聴き)があって安い料金で一流の音楽が堪能出来ました。爪に火をともす生活をして…[続きを読む]

2006.11.09

美術的興味からウィーンに暮らし始めたのですが、ここが世界的に有名な音楽の都であることはよく知っていました。美術留学生は一握り、ところが音楽留学生は音大に行くと、ここは日本じゃないかと思えるほどたくさん…[続きを読む]

2006.11.08

音楽家の家系か、親が特別な趣味を持っていない限り、クラシック音楽が身近にあることはありません。職人家庭に育った私は歌謡曲や浪花節の方が身近でした。妹が音大に進んだのですが、それでもクラシック音楽を身近…[続きを読む]

2006.10.26

横浜市の教員向けの研究会でオーストリアの教育システムについて講演をしたことがありました。オーストリアは日本と違い、一斉に9年間の義務教育があるわけではなく、早い時期に職業技能を身につける学校に進む方法…[続きを読む]

2006.10.25

ウィーン美術アカデミーは母校です。とはいえ、やはり外国人である自分は学生同士の繋がりも希薄だったため、日本の学校のように胸を張って母校と言えないところがあります。でも1980年代に在籍していました。学…[続きを読む]

2006.10.24

このところ朝晩めっきり冷え込んできました。こんな季節になるとヨーロッパに暮らしはじめて嫌気がさした長く暗い冬のことを思い出します。夕方4時になると辺りは暗くなり、釣瓶落としの如く夜の帳がおりて、翌朝は…[続きを読む]

2006.10.14

ウィーンの学生食堂で、中華あんまんを売っているのか?と誤解したのが、この「ゲルムクヌーデル」でした。訳すと「イーストの入ったダンゴ」。確かに中華あんまんに近いものでした。中味の餡は芥子の実が原料と思わ…[続きを読む]

2006.10.12

ウィーンの青果市場(ナッシュマルクト)に売っている食べ物でペースト状にしたレバー肉を焼いて小さなパンに挟んだ「レバーケーゼ ミット センメル」が美味しくて、買い物に行ったついでによく食べました。レバー…[続きを読む]