Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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note > 芸術家
2006.10.25

ウィーン美術アカデミーは母校です。とはいえ、やはり外国人である自分は学生同士の繋がりも希薄だったため、日本の学校のように胸を張って母校と言えないところがあります。でも1980年代に在籍していました。学…[続きを読む]

2006.10.23

アルテピナコテークを観たその日にハウス デア クンスト(芸術の家)も観ています。ここには「青騎士」を初めとするドイツ表現主義の重要な芸術家たちの作品が展示されていました。これは何かの企画展だったのかも…[続きを読む]

2006.10.11

フンデルトワッサーや池田満寿夫の陶芸を見ていると、これはもう用途を持つ陶磁器とは異なり、むしろ陶を単なる素材として扱った立体作品と言えます。これは彫刻分野の仕事です。そこに工芸的な要素はありません。日…[続きを読む]

2006.10.10

昨日、フンデルトワッサーが作った陶芸のことをブログに書いた後、ふと思い出したのが池田満寿夫の陶彫「般若心教」です。去年、三重県にあるパラミタミュージアムに行き、池田満寿夫の陶彫コレクションを見てきまし…[続きを読む]

2006.10.08

フンデルトワッサーが亡くなってどのくらい経つのでしょうか。自分がウィーン国立美術アカデミーに在籍していた頃、アカデミーにはフンデルトワッサー教室があって、よくそこを見に行きました。観葉植物が所狭しと置…[続きを読む]

2006.10.07

オーストリアのオーバーエスタライヒ州に住む彫刻家中島修さんと一緒にカール・プランテルの自宅を訪ねたのは、もう20数年前になるでしょうか。農家を改造して中世の木の家具をモダンに配置した部屋に通されて、お…[続きを読む]

2006.10.05

先月のブログではクリムト、シーレ、ココシュカといったウィーンでは有名な画家のことを書きましたが、今月は個人的に関わりのあった芸術家について書こうと思います。ビリー・ザウワーは20世紀初頭に短い生涯を送…[続きを読む]

2006.10.02

建築からデザイン、そして彫刻へ興味が移っていった自分を振り返ると、彫刻家であり建築も手がけた作家は自分にとって大変魅力的な作家といえます。その逆に彫刻的な建築を作った建築家も魅力的です。スペインのガウ…[続きを読む]

2006.09.27

たしか「グリーヒェンバイスル」という名の居酒屋(いや、高級レストランかな?)だったと思います。なんせ20年以上も前の記憶ですから、店の名はハッキリしていません。歴史に残るような芸術家、著名人のサインが…[続きを読む]

2006.09.22

どこの街にも芸術家や作家が集まったカフェがあります。ウィーンにはカフェ・ハベルカがありました。旧市街のグラーベン通りにあるペスト記念碑の近くの路地にあったように思います。ハウズナーやフックスといったウ…[続きを読む]

2006.09.21

クリムトやシーレに比べるとココシュカはしばらくの間理解できませんでした。油彩の厚塗りされた画面が最初はピンときませんでした。ココシュカにすごい才能を感じたのは「夢見る少年たち」のシリーズです。何気なく…[続きを読む]

2006.09.20

クリムトの弟子とも言えるエゴン・シーレは若干28歳で病死しています。シーレの絵を見たのは渡欧前でしたが、衝撃を受けたのを覚えています。デッサンの線はシーレとわかる独特なもので、人物のポーズにしろ画面構…[続きを読む]

2006.09.19

世紀末ウィーンの美術界で活躍した画家です。作品はベルベデーレ宮殿内のギャラリーにありました。ウィーンではあまりにも有名な画家で、作品を絵葉書やポスターにして街のあちこちの土産物店で売っていました。刺繍…[続きを読む]

2006.09.17

自分が通っていたウィーン国立美術アカデミーの裏に不思議な建物がありました。建物の頭に金属の葉で出来た球体をのせた建物で、よくアカデミーの窓から眺めていました。その建物は「セセッション」という建物でした…[続きを読む]

2006.09.08

昔訪れた村の記憶が甦るとブログに書いておきたくなります。先日までルーマニアのあれこれを書いていましたが、今日は旧ユーゴスラビアのヘルビネ村のことを書きます。この村に行くにはたしかザグレブまで鉄道で行き…[続きを読む]

2006.08.30

たまに記憶の底から甦るところにパリのブランクーシのアトリエがあります。20数年前の当時はポンピドーセンターの近くにあって写真でしか知らなかったブランクーシの作品が所狭しと置かれていました。思っていたよ…[続きを読む]

2006.08.28

昨日のブログに具象に対する憧れを書いたのは、自分とは縁のない肖像彫刻について考える機会があったからです。先日長野県に行ってきましたが、碌山美術館に行く前に立ち寄った豊科近代美術館には高田博厚による肖像…[続きを読む]

2006.08.27

ストイックな抽象表現をやっていると、具象的な表現に憧れ、人物を塑造してみたくなります。具象的なカタチには自分の頭では考えられない様々なカタチがあって観察を極めたくなるのです。抽象と具象は割り切って区別…[続きを読む]

2006.08.26

荻原守衛(碌山)は自分が大学で塑造を習い始めた頃、最初に影響を受けた彫刻家です。その頃から碌山美術館に通い始めました。もう20年以上も前のことです。当時は新宿から各駅の夜行に乗ると朝早く穂高駅に着くの…[続きを読む]

2006.08.25

池田宗弘先生の最近の仕事はもっぱらキリスト教に関するもので、麻績のアトリエもいずれ祭壇を作り教会にする計画があるそうです。画家藤田嗣治はフランスの田舎に小さな礼拝堂を建てて自作の壁画で飾り、自らもそこ…[続きを読む]

2006.08.24

中央高速を松本方面に向かい、さらに長野自動車道を北に進むと麻績インターがあります。そこで降りて山道に入ると民家がなくなります。木立に囲まれた細い道をさらに進むと、木立の間に真鍮の彫刻がいくつも立ってい…[続きを読む]

2006.08.23

先日から書いている土地にまつわる話です。日本でやっていた造園の仕事とヨーロッパでやっていた石彫の仕事。それぞれ親方の下で半端な助手として働いていましたが、滞欧生活2年目で訪れたパリでその融合とも思える…[続きを読む]

2006.08.09

ぼんやりテレビを眺めていたら、しっとりとした色彩が全編を覆う画面が映し出され思わず見入ってしまいました。アトリエの窓から淡い光が入り、佇む人物や身に着けた衣装に微妙な陰影を作っていました。まさにフェル…[続きを読む]

2006.08.08

ヒロシマに関わることをブログに書いていたら、もうひとつ脳裏をよぎったことがあります。イサム・ノグチは学生時代からよく知った彫刻家ですが、彼の作ろうとした原爆慰霊碑があったことです。これの存在をつい最近…[続きを読む]

2006.07.29

今読んでいる本は保田龍門遺稿「自画裸像」です。大学で彫刻を学び始めた頃、同大にいられた保田春彦先生にご挨拶すらできなかった理由は、先生の御尊父が保田龍門で、父子ともに自分にとってみれば雲上の人に思えた…[続きを読む]

2006.07.16

今まで写真でしか知らなかった彫刻家のまとまった作品が見られると知って鎌倉の近代美術館まで行ってきました。チリーダは巨大なモニュメントを多く手がけている作家なので、どんな作品が日本に来ているのか興味津々…[続きを読む]

2006.07.10

梅雨は鬱陶しい季節です。朝から雨が降っていると勤めに出るのが億劫になります。多忙な仕事に追われている時はなおさらですが、ちょいと心に余裕があれば、雨粒が水溜りに落ちる時にできる文様はなかなか美しいもの…[続きを読む]

2006.06.20

実際の作品を見ても心が動かされることはないのですが、記憶に残って時折思い出し、その記憶によって刺激される彫刻があります。それは物質のもつ存在感であったり、周囲の空間であったりします。表現方法はまるで違…[続きを読む]

2006.06.14

20代の頃、直接教えていただいた師匠は池田宗弘先生で、真鍮で人物や動物などが繰り広げる場としての彫刻を作っていました。枯れ木や壁も金属で作り、その洒脱で軽みのある表現にとても惹かれていました。今も長野…[続きを読む]

2006.05.07

地元の横浜で「イサムノグチ展」をやっているので見に行きました。このところ展覧会づいていて、フットワークも軽くなっています。イサムノグチはかなり昔から展覧会があると出かけるので、今回は旧知の作品もいっぱ…[続きを読む]

2006.05.05

ウィーンにいた時、そこの美術館にE.バルラハの刀を振りかざした人体彫刻がありました。最初はK.コルビッツが作ったものだと誤解していました。あまりにもコルビッツの素描や版画と似ていたのです。人物を簡潔で…[続きを読む]