Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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note > 芸術家
2008.01.16

「バウハウス」はドイツの都市ヴァイマルの工芸大学と美術大学を統合して作られたと本で読んだことがあります。国立の学校でした。初代校長は建築家のグロピウス。ドイツ工作連盟を調べていくうちにグロピウスの存在…[続きを読む]

2008.01.15

自宅の書棚に「バウハウス」について書かれた本が結構あります。ドイツ語による原書もあるのですが、もうオーストリアから帰って20年経ち、とてもドイツ語を読む気になれません。写真図版を見てちょっとしたコメン…[続きを読む]

2007.12.28

以前から興味はあったもののなかなか身近に感じることができなかったものがドイツ工作連盟です。19世紀末にあったユーゲントステイールからさらに前進して、美術と産業が密接に結びついた組織。20世紀初頭にミュ…[続きを読む]

2007.12.08

高校時代に油絵を描き始め、最初に影響を受けたのが佐伯祐三でした。鋭く素早い筆致で描かれた風景画を見ながら、どうしてこんな空気を感じさせる雰囲気が出せるのだろうと思っていました。佐伯祐三画集にあったフラ…[続きを読む]

2007.12.06

ロシア人画家カンデインスキーについては度々ブログに書いてきました。当時進歩的だった刊行物「青騎士」についても触れたことがあります。「青騎士」の翻訳が出版され、さっそく読んで感想を述べたこともあります。…[続きを読む]

2007.12.04

法律文化社「ドイツ表現主義の世界」を読んでいたら、画家クレーとマッケがチュニジアを旅行し、そこから絵画表現が大きく変わったことが書かれていました。北アフリカの風土から受けた影響は、とくに色彩に表れてい…[続きを読む]

2007.11.08

昨年の5月5日のブログにE・バルラッハのことについて書いてあります。上野の美術館でバルラッハの展覧会をやっていたので、期待に胸をふくらませて出かけたのでした。期待は裏切られず、自分の滞欧時代に見たバル…[続きを読む]

2007.11.06

ドイツ表現主義を調べていくとベルリンの「ブリュッケ」とミュンヘンの「青騎士」という2つの芸術家集団に出会います。「青騎士」は年刊誌が発行され、カンデインスキーの理論が核になった集団であるのはよく理解で…[続きを読む]

2007.11.05

「デイ ブリュッケ」はドイツ語で「橋」を意味します。ドイツ表現主義の中で重要なグループだった「ブリュッケ」は、自分が渡欧するまで日本でほとんど作品が紹介されることがなかったように思います。キルヒナーや…[続きを読む]

2007.11.02

職場の同僚にK・コルヴィッツの画集を貸したことで、自分が影響を受けた女流芸術家について書いてみたくなりました。学生時代は先日のブログにも書きましたが、コルヴィッツ一辺倒でした。その後はレンピッカが好き…[続きを読む]

2007.09.08

芸術家の生涯を描く映画には、芸術家がドラマチックなエピソードを持っている場合と、芸術家の作品を映像表現に置き換えて作る場合があると思います。たとえば「炎の人ゴッホ」は前者、今回観た「クリムト」は後者で…[続きを読む]

2007.08.29

西田秀穂訳によるカンデインスキー著「点・線・面」を読んだ感想としては「バウハウス」時代のの教材研究のひとつとして書かれた内容が、今でも新鮮さを失っていないことに気づいたことです。ただ内容は内容として理…[続きを読む]

2007.08.26

日本画家小泉淳作氏による「双龍図」は、かつてテレビで放映された制作ドキュメントで知りました。北海道の学校の体育館を借りて、綿密に描かれた下図から、いよいよ巨大な天井画に移していく過程は気迫に満ちていま…[続きを読む]

2007.08.08

自分がまだ大学の彫刻科に籍を置いていた頃、デザイン科共通彫塑研究室に若林奮先生がいました。直接教わることはなかったのですが、個展等があれば足を運び、また文章が記載されていれば必ず目を通していました。作…[続きを読む]

2007.08.06

昨日行った横須賀美術館には谷内六郎館があって、「週間新潮」の表紙になった絵をまとめて見ることができます。この日は自分の教え子で仕事の同僚になった人が一緒でした。彼女は谷内六郎の世界が大変気に入って、「…[続きを読む]

2007.07.25

年刊誌「青騎士」は1912年ミュンヘンで出版された、という訳者の前書きから始まって、この貴重な本に様々な芸術家が評論を寄せています。1912年といえば20世紀初頭。ほとんど1世紀前に書かれたものです。…[続きを読む]

2007.07.23

ドイツ表現主義に興味を持ってから、当時住んでいたウィーンで資料集めをしていた時期がありました。「EXPRESSIONISMUS(エキスプレッショニスムス)」と表題にあった書物をいろいろ購入したものの原…[続きを読む]

2007.07.22

20数年前にドイツやオーストリアで生活し、表現主義の枠に括られる多くの画家や音楽家の遺産をこの目で見ておきながら、表現主義の何たるかを知らず、キルヒナーやノルデの絵画世界がもつ漠然としたイメージだけで…[続きを読む]

2007.07.21

20数年前に初めてヨーロッパに渡り、最初に降り立った都市が旧西ドイツのミュンヘンでした。東京〜パリ間をフライトし、パリを見ずにそこからすぐミュンヘンまで飛んでしまいました。日本の大学に通っていた当時か…[続きを読む]

2007.07.18

ホルスト・ヤンセンと同じように、カール・コーラップもウィーンで初めて知った画家です。種村季弘著「断片からの世界」にコーラップに関する評論が掲載されていたので、これを契機にコーラップの絵を知った時の昔の…[続きを読む]

2007.07.17

ウィーン幻想派画家やフンデルトワッサーほど国際的な名声を得ていないので、カール・コーラップを日本で知ることはありませんでした。20数年前にウィーンにいた頃、コーラップのタブローや版画を多くの画廊が扱っ…[続きを読む]

2007.07.14

昨日は何故ホルスト・ヤンセン展の回想を書いたかと言えば、今読んでいる種村季弘著「断片からの世界」にヤンセンの評論が掲載されていて、20数年前にウィーンで知った卓越した素描画家の様々な面を知ることができ…[続きを読む]

2007.07.12

昨日に引き続き、種村季弘著「断片からの世界」に収められている美術評論で、今回はE・フックスに関するものです。ウィーン幻想派画家として国際的な名声をもつフックスは、ウィーンの多く画廊で銅版画を展示してい…[続きを読む]

2007.07.11

表題は種村季弘著「断片からの世界」に収められているR・ハウズナーに関する評論です。R・ハウズナーに関しては、今年初めのブログ(07.1.19)にご本人を美術アカデミーでお見かけした時のことや絵の印象な…[続きを読む]

2007.07.05

家内の母が86年の人生を終えました。義母は奄美大島の出身で、奄美の豊かな自然のことや人とのつき合いをよく話してくれました。奄美にはもう直系の親戚もいないのですが、義母が生きているうちに自分たちも奄美に…[続きを読む]

2007.06.21

職場まで自家用車で通勤し、しかも超過勤務の毎日。たまに帰りがけにスポーツクラブに行って水泳で身体を保ち、帰宅すると「365点の連作」を作ったり、このブログを書いたり。こんな毎日の生活で犠牲になっている…[続きを読む]

2007.06.16

最近急逝された現代彫刻家の飯田善国さんが出版したエッセイを、埃をはたいてパラパラ貢をめくって見ています。1977年に購入しているので、手許にあるのは初版です。自分がちょうど大学生の頃で、この本によって…[続きを読む]

2007.06.13

1929年に描かれたタマラ・ド・レンピッカの「自画像」は「デイ ダーメ(ドイツ語で婦人)」の表紙を飾り、そのイメージは自立する女性像、流行の車に颯爽と乗るモダンガール、そしてアールデコの象徴として印象…[続きを読む]

2007.06.12

タマラ・ド・レンピッカの絵は、現在に至るまで評価が二転三転したそうです。絵を見るとアールデコの時代をあまりにも象徴する空気をもち、レトロな雰囲気が漂っています。ただ、とても巧みな技術をもった画家だと思…[続きを読む]

2007.06.11

画家の生涯を映画化するとしたら、タマラ・ド・レンピッカがいいと思っています。今までフリーダ・カーロやグスタフ・クリムトの生涯が映画化されています。古くはカーク・ダグラスがゴッホに扮した「炎の人」があり…[続きを読む]

2007.06.08

表題の作品は、ケーテ・コルビッツの木版画です。20歳代の頃、ドイツ表現主義に魅かれたのはケーテ・コルビッツの版画や彫刻がきっかけになっています。戦争で息子を失った母が描く世界に強烈なアピールがあって、…[続きを読む]