Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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note > 彫刻
2009.12.02

先日「河口龍夫展」に行った際、もうひとつ注目している展覧会が「河口龍夫展」と同じ東京国立近代美術館で開催されているので、併せて見て来ました。それは「権鎮圭展」。韓国籍で日本に留学して彫刻家としてスター…[続きを読む]

2009.11.21

今日から三連休です。月曜日はちょっと職場に顔を出さなければなりませんが、ともかく制作三昧の三連休がやってきました。今日は晴天で、工房の周囲にある木々は紅葉していて、青空に深紅や黄色の葉が映えていました…[続きを読む]

2009.10.30

大学で彫刻を学び始めた頃、自分にとってロダン、ブールデル、マイヨールの3大巨匠は避けて通れないほど存在感がありました。最初に自分に影響を及ぼしたのはロダンで、勢いのある量感と動きに圧倒されていました。…[続きを読む]

2009.09.16

彫刻家流政之を知ったのは高校生の時でした。書店で立ち読みした美術手帳に彫刻写真が掲載されていて、若かった自分はカッコいいなぁと思ったように記憶しています。美大の彫刻科に入って彫刻を本格的にやり始めた頃…[続きを読む]

2009.07.14

毎年夏になると何か課題を決めて勉強することにしています。義務教育で頭にすり込まれた夏休みの自由課題が今も続いている感じです。今まで「ジャコメッティ」や「ヘンリー・ムア」といった学生時代から親しんでいた…[続きを読む]

2009.07.13

先日ブログに書店で手にとって捲った文章が忘れられなくなったと書きました。まさに谷川俊太郎著「トロムソコラージュ」がそれなのです。それは立ち読みから始まって、一旦書架に本を返した後、再び手に取り、結局購…[続きを読む]

2009.05.25

新潟県に行ったことで、もう一度縄文土器を見に新潟県に来てみたいと思っています。十日町に多くの出土品があると聞いています。縄文土器を芸術として位置づけたのは岡本太郎ですが、自分も縄文土器の魅力に取り付か…[続きを読む]

2009.05.15

オーストリアのウィーンで暮らし始めた頃、生活費を稼ぐため石彫のアルバイトをしていました。ハンス・ムーアという彫刻家がウィーン郊外に工房を持っていて、彼のデッサンをもとに鏨や電動カッターで石を切り出す仕…[続きを読む]

2009.05.13

祖父が宮大工、父が造園業という環境で育った自分の周囲には木材が豊富にありました。でも木の美しさに触れたのは自分の生育歴からではなく、滞欧中に訪れたルーマニアのマラムレシュ地方に点在する木の家々を見た時…[続きを読む]

2009.05.09

故若林奮先生の作品の中に、ほとんど土中に埋めてしまって僅かしか見えない彫刻があります。府中美術館の野外にある鉄の作品も上の部分しか見せていない彫刻です。それを見ると鑑賞者は唖然としますが、自分にはその…[続きを読む]

2009.04.26

今週末は倉庫を建てる予定地の畑を整理している業者や新しい窯に付随する電気関係の業者と様々な打ち合わせをもちました。亡父の残してくれた畑はキラキラした陽を浴び、鬱蒼と繁る若葉に溢れ、そこで打ち合わせをし…[続きを読む]

2009.04.14

表題は峯村敏明著「彫刻の呼び声」(水声社)で、銀色一色のシンプルで現代的な装丁に魅かれて購入しました。彫刻とは何かを問う真摯な評論集で、時間をかけてじっくり読み込みました。一貫したテーマである「存在」…[続きを読む]

2009.03.21

ホテルの大広間を借り切って、「古代・現代 思索する手」展のオープニングレセプションがありました。スポンサーのNTT東日本の方々や美術館学芸員、博物館学芸員、画廊関係者、それに高崎市を中心に活躍する画家…[続きを読む]

2009.03.10

群馬県高崎市の企画展「古代・現代 思索する手」の案内を数名の方々に出すことにしました。もちろん実際に来ていただくことは考えていません。こんな企画を通して造形に関して何か示唆に富むお話でもいただければと…[続きを読む]

2009.02.26

群馬県高崎市から招待出品の依頼を受けて、「発掘〜鳥瞰〜」を来月19日に搬入することになりました。全部で6人の彫刻家が選定されたようです。自分がこの展覧会に興味を持ったのは、高崎市観音塚考古資料館の収蔵…[続きを読む]

2009.01.18

よくぞここまで辿り着いたと思うほど今回は制作に手間取りました。梱包作業は116本の柱と9枚の土台を別々に梱包するので、全部で125個の部品に分けて行います。とくに土台は自分ひとりで梱包するのに無理があ…[続きを読む]

2008.12.07

畳9枚分の大きさの厚板を床に敷き、116本の柱をすべて立てて配置を考えました。今日はそんなことで一日が終わってしまいました。実際に彫ったり修整したりする作業は後回しです。柱に彫り込んだカタチを見ながら…[続きを読む]

2008.11.12

八木一夫のオブジェ焼に関する書物を読むと、そこにちょいちょい辻晋堂という名が出てきます。彫刻家辻晋堂は亡くなられて随分経ちますが、ギャラリーせいほうで個展をやっていた作家でした。自分は学生時代に個展に…[続きを読む]

2008.11.10

表題は樋田豊郎・稲賀繁美編集による故陶芸家八木一夫に関する本です。八木一夫が中心になって活動した「走泥社」や当時オブジェ焼と呼ばれた機能を持たない陶磁器の作品を自分なりに理解してみようと思って、京都に…[続きを読む]

2008.10.24

3年ほど前に日本美術家連盟に加入しました。恩師池田宗弘先生の推挙によるもので、会員番号は9673です。もちろん彫刻部に所属しています。連盟は度々会報を送ってくれます。今回は会員証が新しくなりました。ユ…[続きを読む]

2008.09.22

ビジョン企画が出版している新報に今年の夏にやっていた展覧会の評論が掲載されていました。フェルメール展を初めとする特別企画展から東京各地の個展までの寸評があって、自分の個展は彫刻部門の中ごろにありました…[続きを読む]

2008.09.15

三連休に課した目標は何とかクリアすることができ、次なる目標が見えてきました。今まで彫った杉の柱は62本、長い柱で2メートル、短い柱で90センチとなっています。これからは雛型を確認しながら、あとどのくら…[続きを読む]

2008.07.13

暑い一日でした。汗が梱包材の上に滴り落ちていました。創作活動ではなく搬入・搬出のため、または保存のために必要な作業ですが、面倒でないと言えば嘘になります。エアキャップで作品を包むという単純作業です。し…[続きを読む]

2008.07.12

個展に出品する「発掘〜遺構〜」のテーブルを支える柱48本。何とか補強も終わり、明日から梱包作業に入れることになりました。この48本の作品にもサインが必要と考えて、和紙に落款を押し、番号をつけて貼る方法…[続きを読む]

2008.06.30

910ミリで揃えたはずが、48本の中には微妙に高さが違う柱があって、テーブルの厚板を支えるのに不都合が生じています。これを電動工具や鋸を使って何とか揃えています。ミリ単位で一番短い柱に合わせるため、な…[続きを読む]

2008.06.08

今週末はひたすら杉の柱の炙り作業に徹しました。作業場の外は煤だらけになり、木材の焦げた臭いが周囲に漂っていました。終日作業しても48本は終わらず、また来週末も炙り作業になりそうです。かつて「発掘〜円墳…[続きを読む]

2008.02.08

ジャコメッテイの彫刻は、ムアからやや遅れて、図版によってその存在を知りました。細く削ぎ落とされた人体。大きめの台座から陽炎のように立ち、人の存在自体が無くなってしまいそうな表現。当時ムアばりの豊かな量…[続きを読む]

2007.12.09

週末になると朝から夕方まで制作三昧ですが、新作の完成予定を考えると焦ります。今日は34本の柱がようやく彫り上がりました。ただ彫り跡を整える必要があるので、よく研いだ鑿で最終的な仕上げをしなければなりま…[続きを読む]

2007.11.14

ヨーロッパで5年間生活して日本に戻ってきた時、日本も変わったなと思ったのは、新しく作られた街には広場があり、街路樹が植えられていたことでした。ショッピングモールにもベンチがあり、オブジェが設置してあり…[続きを読む]

2007.11.07

手許にE・W・コンフェールド著「エルンスト・ルードヴィッヒ・キルヒナー」という分厚い画集があります。DAVOSというところから出版されています。滞欧中にキルヒナーの風景を刻んだ木版画を見て感銘を受けた…[続きを読む]

2007.08.08

自分がまだ大学の彫刻科に籍を置いていた頃、デザイン科共通彫塑研究室に若林奮先生がいました。直接教わることはなかったのですが、個展等があれば足を運び、また文章が記載されていれば必ず目を通していました。作…[続きを読む]