Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • ウィーン分離派
    自分が通っていたウィーン国立美術アカデミーの裏に不思議な建物がありました。建物の頭に金属の葉で出来た球体をのせた建物で、よくアカデミーの窓から眺めていました。その建物は「セセッション」という建物でした。自分がアカデミーにいた頃は「セセッション」館は閉鎖されていましたが、まもなく修復されて、内部ではクリムトの「ベートベン・フリーズ」という壁画を見ることができました。この「セセッション(分離派)」に興味を持って書籍も手に入れましたが、ドイツ語の原書を読む気が起こらず、書棚に眠っています。分離派とは、旧態依然とした19世紀美術界からの分離を意味し、モダニズムを提唱した運動だったようですが、完全な抽象までは到達しないまま短期間に終わったようです。でも画家や彫刻や工芸家が一同に集った展示内容は革新的なものだったのではないかと想像されます。
    ウィーンの鍛冶屋
    ウィーンの旧市街のうねうねと曲がった小路を行くと、建物の壁を塗り替えようとした時に現れた古い壁画をそのまま残していたり、昔の店舗を当時のまま残している所がありました。その中に鍛冶屋の仕事場がウインドウ越しに見られる路地があって、自分のお気に入りの場所でした。「アルテシュミーデ」と書かれた看板も素敵な演出でした。わざわざ遠回りして「アルテシュミーデ」を見て目的地に向かいました。アトリエもそのひとつですが、自分はこうした作業場の雰囲気が大好きです。何故か元気になるのです。
    ウィーンの古い街角で
    ウィーンに住み始めて、まず驚いたのが店が閉まるのが早いことと、夕暮れから夜にかけて街を散歩する人が多いことでした。目抜き通りであるケルントナー通りにはストリートミュージシャンが現れ、アコーデオンやバイオリンを聴かせてくれました。こんな時間帯まで商売をやっているのは野暮、店の美しくデイスプレイされたウインドウを眺め、流れてくる音楽を楽しもうとしている人たちの心の余裕に、慌しい日本から来た一介の留学生は暇を持て余していました。暇に任せてあちこちを歩き回ったりしました。ギャラリーの絵をじっくり観れたのもこんな時間があったからだと思います。文化が育つのはこういう環境があればこそと思いますが、当時は国民がこんなゆったりと構えていて、この国の経済事情はどうなっているのかなどと思いを巡らせたりしました。でも今でもそんな散歩が印象に残っているなんて素敵なことかもしれません。
    ウィーンの古い映画館で
    自分が住んでいた頃のウィーンには中心街をはずれたところに古い映画館があって安いチケットでマニアックな映画を観ることができました。イタリアの村の風情を描いた「木靴の樹」やギリシャの島に生きる人々を描いた「その男ゾルバ」は印象に残っています。実際にヨーロッパでそういう風習の残る東欧諸国を歩いたことも印象を鮮烈にしている要因でしょう。「ゾルバ」の一場面で住人が亡くなると、村人が挙ってやってきて家裁道具をすべて持って去ってしまうところはちょっとびっくりしましたが、実際のギリシャで牧童たちと山々を歩いた時は、そんな風習はないにしても、まるで映画に出てくるような場面によく出会いました。そんな映画が懐かしくて日本でDVDをレンタルして観てもしっくりこないのは、やっぱり環境のせいでしょうか。
    ギリシャの遊牧の村
    旧ユーゴスラビア旅行と前後してギリシャの内陸の村々を訪ねたことがあります。これも昔の記憶を頼りに綴りますが、地図で細かく確認していないので、今もあるのかどうか定かではありません。しかし日本のように村や町の併合がよくあるわけではないので、きっと今も当時のようにのんびりとした時間が流れていることでしょう。テサロニキまで鉄道で行き、あとはバスで山道を走りました。サマリナ村に入ったのは夏の終わりだったように記憶しています。海沿いにある村と同じように家々が白く塗られていました。そこからしばらく行ったところに移牧の村があり、夏の間は羊飼いが羊の群れを連れて山々を巡るという生活をしていました。山には羊飼いの小屋があり、そこで成分無調整の羊乳をいただきました。草原に落ちていた狼の白骨と羊の角をリュックに積めて村を後にしました。それら土産は今もアトリエに飾ってあります。