Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 記憶に残る彫刻
    実際の作品を見ても心が動かされることはないのですが、記憶に残って時折思い出し、その記憶によって刺激される彫刻があります。それは物質のもつ存在感であったり、周囲の空間であったりします。表現方法はまるで違う2人が私にとってそういう刺激を与え続ける作家です。一人は大学で学んでいた頃、教鞭をとっていたにもかかわらず、直接教えを受けることのなかった若林奮先生です。鉄、木、硫黄などに加工をして思弁的な作品を作っていました。見ているとわからないなりにも別にどうということもないのですが、何故か必ず展覧会に出かけ、つい作品の前で考えてしまうのです。ある意味では大変な魅力があるのかもしれません。もう一人はジャコメッテイです。作品の内面に向かって思考と試行を繰り返すところは若林先生と同じタイプでしょう。紙面がなくなったのでジャコメッテイについては別の機会に書きますが、自分の記憶の中で生き続ける彫刻です。
    発想の部屋・制作の部屋
    近隣にあるスポーツ施設で身体を動かした後、新たな創作に入ることはなかなか困難です。スポーツによる明確さと敏捷さに頭脳も反応してしまうためかもしれません。発想する部屋は自分の好きな仮面がところ狭しと壁に掛けられ、気に入った石ころやら流木やらが無造作にあって、怠惰にぼんやり眠った状態が一番いいと思っています。そうした中で作品は生まれます。イメージをつかみかけた時に、自分の仕事場は一転します。自分が画家や版画家ならそのまま作品を作り続けることもできますが、立体作品となるとイメージに工程計画を与えなければならず、広い作業場に移り、まるでスポーツをするように作業を始めます。何もない部屋。必要な工具が必要なだけ置いてある部屋。それが自分の立体を制作する理想的な環境です。頭脳回路は単純化し健康な状態を保ちます。そうした環境はなかなか得にくいのですが、発想段階とはまるで変わり、清掃をまめに行いながら、土をこねたり木を彫る毎日です。
    師匠の思い出
    20代の頃、直接教えていただいた師匠は池田宗弘先生で、真鍮で人物や動物などが繰り広げる場としての彫刻を作っていました。枯れ木や壁も金属で作り、その洒脱で軽みのある表現にとても惹かれていました。今も長野県の山奥でキリスト教をテーマにした彫刻を作り続けています。ちょうど池田先生に彫刻の基礎を習っていた頃、大学に彫刻科とは別にデザイン科の学生のために共通彫塑という科目があり、そこに保田春彦先生や若林奮先生が来られていました。自分は直接教わることはなかったのですが、保田先生や若林先生の作品にも惹かれ、とくに保田先生は大学で制作されていたので仕事場を盗み見ては刺激を受けていました。今ならお話を伺うこともできるでしょうが、あの頃は何をどうアプローチしてよいかわからず、ただ仕事場の光景やら先生が取り組んでいられる様子をひたすら目に焼き付けていたのを思い出します。当時の先生方の年齢に今自分がなっているのが不思議です。自分も仕事場いっぱいに作品を広げていると、何となく当時が懐かしいように思えます。
    仕事と労働
    自分にとって仕事は創作行為であり、一生続くものと心得ています。今年は板材と木彫の柱を組み合わせた立体作品と、主に墨を使った屏風による平面作品を作ることです。自分にとって労働とは日々の糧を得るための手段です。最近はこの労働が忙しくやらなければならないことが山積です。朝から勤務してこの労働に追われ、気がつくと夜になっています。これで一生を終わったら、きっと後悔するだろうと考えるから創作行為の仕事に精を出すのかもしれません。労働も決して退屈な仕事ではなく充実感は得られるのですが、創作には麻薬のような魅力があって、これが不足すると元気が失われることも事実です。
    仮面収集癖
    別に高価なものを求めてはいませんが、気がつくと家の壁にぎっしりとお面があって異様な雰囲気が出ています。海外のものはイタリアのベニスで買った陶製のお面が白黒一対、ギリシャのクレタ島で買ったテラコッタ製のお面がいくつか、インドネシアのバリ島で買ったものは木製で、アフリカやその他アジアのものは日本で手に入れたものばかりです。日本のものは木彫りの神楽面やら和紙でできた民芸風のものが多く、鬼や狐やおかめやひょっとこがあります。眺めているだけで満足できるものは仮面をおいて他にありません。自分で作りたい欲もありますが、仏と同じで邪念がにじみ出て、いい表情にならないのです。自分でつくるものは抽象ばかりという理由が実はこんなところにあるのかもしれません。