「罪と罰」(ドストエフスキー著 工藤清一郎訳 新潮社)は犯罪に対する心理劇のような展開があって、読み進んでいくうちに徐々に面白くなっていきます。通勤の車中で読んでいると、うっかり下車する駅を乗り過ごし…[続きを読む]
「罪と罰」(ドストエフスキー著 工藤清一郎訳 新潮社)の上巻を読み終えました。上巻は第一部・第二部・第三部から成るもので、下巻は第四部・第五部・第六部から成っているようです。第一部・第二部のまとめを先…[続きを読む]
通勤時間帯に読んでいる「罪と罰」(ドストエフスキー著 工藤清一郎訳 新潮社)ですが、重厚なロシア文学であり、思想小説でもある本書は、当時のペテルブルグの貧困に喘ぐ民衆を背景に、貧しい元大学生が殺人を犯…[続きを読む]
昨日まで読んでいた「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)は、自分に創作の原点を思い起こさせるのに充分な説得力があって、書簡ひとつひとつのやりとりにリアルな重さを感じ…[続きを読む]
「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を読み終えました。遅々として進まなかった書籍を、仕事の合間を縫って畳み込むように読んでしまいました。本書の最後に美術評論家酒井…[続きを読む]
「今日の世界各地の青年層の彫刻が、在来のモチーヴを拒否し、素材を鉄骨や屑物や、極めて広汎に自由に駆使する面白さもある点まで解る。翻って、裸婦や人物像が今迄通りに繰り返へされてゐては、鼻むけもならぬ気持…[続きを読む]
職場に持っていって休憩時間に読もうと決めた「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)ですが、読書は遅々として進みません。休憩時間が取れない日が多く、そうかといって読み出…[続きを読む]
昨日のNOTE(ブログ)に書いた「イメージのひとり歩き」で紹介した夢は、最近よく見る彫刻の夢です。この虚無な人体表現をRECORDでやってみようと思い立ち、元旦から取り組んでいます。モノのカタチがどこ…[続きを読む]
自宅の書棚には学生時代に放り投げてしまった書籍が数多くあり、この年齢になって漸く再読を始めている次第です。O・シュペングラー、A・ブルトン等の書籍に混じってロシア文学も書棚にあります。旧ソ連で20世紀…[続きを読む]
「父が消えた」(尾辻克彦著 河出書房新社)を読み終えました。著者の尾辻克彦(赤瀬川原平)という人は、視るということ、視点を微妙に変えることに相当長けた人だと思いました。文章描写が赤瀬川流の劇画描写に似…[続きを読む]
「父が消えた」(尾辻克彦著 河出書房新社)を購入したのは、千葉市立美術館のギャラリーショップでした。「赤瀬川原平の芸術原論展」を開催していて、それを見たときに、前衛芸術家赤瀬川原平氏が尾辻克彦という別…[続きを読む]
「詩的思考のめざめ」(阿部公彦著 東京大学出版会)を読み終えました。これは自分にとってこの上なく楽しい書籍でした。これを読んだからといって自分のコトバが流暢に出てくるものではありませんが、自分にとって…[続きを読む]
「『詩とことば』という本の中で彼(荒川洋治)は『はずかしさ』について語っています。話はまず人が歌をうたうことを『はずかしい』と思わないことの不思議さから始まります。~略~曲があると、この恥ずかしさは減…[続きを読む]
昨日午後に橫浜駅周辺で2つの会議が組まれていました。職場を出て1つめの会議を終えたところで少し時間が出来ました。2つめの会議は管理職組合の集会だったので勤務時間が終わってからの開始時間になっていました…[続きを読む]
「存在と時間 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み終えました。夏から読み始めた大作でしたが、読書が通勤時間に限られていたこともあって、読破に数ヶ月もかかって…[続きを読む]
現在読んでいる「存在と時間 Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)に運命を存在論として捉える箇所があって興味を持ちました。2つの箇所を引用いたします。「決意性のうちにひそん…[続きを読む]
「存在と時間 Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)の後半部分に「歴史性」が登場してきます。「歴史性自身は、時間性から、しかも根源的には本来的な時間性から解明されるべきであ…[続きを読む]
現在読んでいる「存在と時間 Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)に時間性と空間性に関する記述があります。「たとえ『時間性』という表現が、『空間と時間』と言うときに時間とし…[続きを読む]
先日見に行った「ヨーゼフ・ボイス展」が契機になり、改めてボイスの世界観を考えてみたいと思います。ボイスに関することは過去何回かNOTE(ブログ)にアップしていますので、今回は再考とさせていただきました…[続きを読む]
職場に置いてあった各新聞が伝えていた「赤瀬川原平さん死去」というニュースに残念な思いを隠せません。たしか赤瀬川さんは自分の母校の先輩にあたる人です。東京町田市にあるご自宅の「ニラハウス」は近所に親戚が…[続きを読む]
今日は朝のうちに陶彫の成形や彫り込み加飾を行い、午後2時に工房を出て、車で一路横須賀に向かいました。現代美術の巨匠ヨーゼフ・ボイスの展覧会が明日までと知って、急遽カスヤの森現代美術館へと行ったのでした…[続きを読む]
「存在と時間 Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み始めました。「Ⅲ」に収録されている内容を見ると、「時間性と日常性」とか「時間性と歴史性」という章が眼に飛び込んでき…[続きを読む]
「詩を書くということ-日常と宇宙と-」(谷川俊太郎著 PHP研究所)を読み終えました。あっという間に読んでしまいました。文中の印象的な箇所を選んで書き出しました。「詩作品を中心にして考えると、やや衰え…[続きを読む]
「存在と時間 Ⅱ」を読み終えたところで、難解な哲学書から少々離れて休憩を取りたくなりました。サクっと読めて興味関心のある書籍はないものかと書店を探すうちに「詩を書くということ-日常と宇宙と-」(谷川俊…[続きを読む]
「存在と時間Ⅱ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み終えました。第二篇はまだ「Ⅲ」に続きますが、ここでひとまずまとめておきたいと思います。「Ⅱ」の最後は良心に関する存在…[続きを読む]
「存在と時間Ⅱ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)第二篇は時間性を論じています。時間となれば、やはり終焉という概念が入ってくることになり、存在論として死をどう扱うのかに論考…[続きを読む]
日本新聞協会が15日より1週間を新聞週間としています。私は自分の職場で数社の新聞に目を通しています。管理職になってから自らの業種に関わる記事は常に注目しています。文化欄にも目を通します。幸い職場に自分…[続きを読む]
「存在と時間Ⅱ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、第一篇から始まり、途中から第二篇になりました。ここからは「存在と時間」の存在に時間を加えた論考が中心になるようです。文…[続きを読む]
「存在と時間 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、おそらく出版編集上の都合で「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」という3冊になっていると察しますが、内容は序論と全体を通して第1部しかありま…[続きを読む]
「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を職場の休憩時間に読んでいて、自分の学生時代に教壇に立っていられた保田春彦先生になかなか近づけなかった理由が自分なりに分かって…[続きを読む]
「アーレントとハイデガー」(エルジビェータ・エティンガー著 大島かおり訳 みすず書房)を読み終えた翌日から「存在と時間 Ⅱ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)に再び挑んでいま…[続きを読む]