Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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note > ウィーン
2015.06.16

ジークムント・フロイトはウィーンに関わりの深い20世紀最大の精神分析の権威です。私は1980年から5年間ウィーンに滞在していましたが、フロイトの業績に触れることなく過ごしていました。フロイトの存在は知…[続きを読む]

2015.04.23

今日の話題は私のことではありません。私の家内は大学で空間演出デザインを学び、さらにウィーン美術アカデミーでは舞台美術を学んでいました。そんな家内が舞台美術の世界でプロにならなかった理由は、舞台美術家と…[続きを読む]

2015.04.08

旧朝香宮邸はアール・デコ建築の傑作とされています。その邸宅を使って東京都庭園美術館がオープンし、最近リニューアルされたので企画展と合わせて見てきました。仏人装飾美術家アンリ・ラパンが設計を手がけた室内…[続きを読む]

2015.01.22

昨日まで読んでいた「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)は、自分に創作の原点を思い起こさせるのに充分な説得力があって、書簡ひとつひとつのやりとりにリアルな重さを感じ…[続きを読む]

2014.12.25

今日はクリスマス(聖夜)です。イエス・キリストが生まれた日で、キリスト教徒にとっては重要な日です。30年以上も前にヨーロッパで過ごした聖夜は今もなお自分の印象に残っていて、かつてNOTE(ブログ)にも…[続きを読む]

2014.11.22

三連休になりましたが、今日はスケジュールが過密でした。NOTE(ブログ)は日記としての役割があるので、今日は自分の記録として書くことにします。まず朝7時に工房に行って1時間程度彫り込み加飾をやりました…[続きを読む]

2014.11.12

国立新美術館で開催中の「チューリヒ美術館展」でオスカー・ココシュカの油彩画を見て、自分は若かりし頃に過ごしたウィーン時代を思い出しました。当時ココシュカは自分にとって馴染みの薄い画家であるばかりか、ク…[続きを読む]

2014.11.07

STOLLEN(シュトレン)とはクリスマス限定の菓子パンでドイツのドレスデンが発祥と言われています。ドライフルーツがどっさり入って周りを砂糖で覆ったもので、保存の効く高カロリーのパンです。実は私の大好…[続きを読む]

2014.09.26

先日、渋谷のミニシアターへ行った折、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「だまし絵 Ⅱ」展を見てきました。だまし絵と言えば思い出すのが、20代の頃の話ですが、滞欧中に見たG・アルチンボル…[続きを読む]

2014.09.16

先日、東京の西高島平にある板橋区立美術館に行き、表記の展覧会を見てきました。故人である種村季弘は、私が滞欧中に親しんだウィーン幻想絵画を取り挙げた文学者で、深層心理に働きかけをするドイツ・オーストリア…[続きを読む]

2014.09.04

「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を読んでいると保田先生が若かりし頃にフランスのパリから各地を経てスペインに赴く旅日記がありました。手持ちの金銭が少なく、食事や…[続きを読む]

2014.07.21

今日から東京銀座のギャラリーせいほうで私の個展が開催されます。今年で9回目の個展になります。初めての時のようなワクワク感は自分にしては半減したもののオープニングにはいろいろな知人友人が訪ねてくれました…[続きを読む]

2014.07.05

フォトエッセイストみやこうせいさんはウィーン滞在時代からの知り合いで、当時ルーマニアやギリシャによく連れて行っていただきました。みやさんが出版した写真集や随想集はほとんど持っていて、自分はみやさんの人…[続きを読む]

2014.06.12

彫刻家池田宗弘先生は自分の大学時代の恩師です。先生は30年前にスペインに滞在され、サンティアゴ巡礼路を歩かれました。ちょうど自分がウィーンに滞在中の頃で、自己表現を求めていたものの確固たる指標も持てず…[続きを読む]

2014.05.16

森鴎外、寺田寅彦、山田耕筰、小山内薫、村山知義、千田是也、和辻哲郎、山口青邨の8人が書籍や展覧会、音楽会等を通して自分が名前を記憶しているベルリン留学に纏わる人々です。「言語都市・ベルリン」(和田博文…[続きを読む]

2014.04.25

「言語都市・ベルリン」(和田博文・真銅正宏・西村将洋・宮内淳子・和田佳子共著 藤原書店)を読み始めました。副題に1861ー1945とあるので、本書は第二次世界大戦を終えるまでのドイツ帝国の首都ベルリン…[続きを読む]

2014.03.12

Spazierenはドイツ語で「散歩をする」という意味です。20代の頃にウィーンで暮らしていた時は、毎日Spazierenしていました。Spazieren以外にすることがなかったと言った方が正確なとこ…[続きを読む]

2014.01.01

2014年になりました。今日だけは工房に行かずに過ごしました。例年通りの元旦で、朝は母の実家で雑煮を食べました。昼には家内と東京赤坂に初詣に出かけ、家内安全、身体堅固、芸道精進の祈祷をしてもらいました…[続きを読む]

2013.12.30

自分が彫刻家として活動を始めるに至った経緯を振り返って見ると、数人の彫刻家の存在を忘れるわけにはいきません。大学に入って実際に指導を仰いだのが池田宗弘先生で、今も長野県の住居兼工房に伺っています。精神…[続きを読む]

2013.12.25

街がイルミネーションで煌びやかになる季節です。職場が横浜市西区にあり、その西区には横浜駅やみなとみらい地区があるため、この時期は大勢の観光客で賑わっています。職場を一歩出ると街は浮かれ気味で、仕事を終…[続きを読む]

2013.10.31

先日、東京汐留ミュージアムで開催中の「モローとルオー」の展覧会に行ってきました。フランスの画家ギュスターヴ・モローは、自分がオーストリアにいた頃に知った画家でした。もうかれこれ30年前になりますが、私…[続きを読む]

2013.09.09

今月のRECORDのテーマを「渦」にしました。渦巻紋や直弧紋のことを先日来よくNOTE(ブログ)にアップしていますが、実際に図版資料をもとにキュビズム紋と言われる直弧紋を自分なりに試みてみたい意欲に駆…[続きを読む]

2013.07.09

九州の土俗面を考察する書籍を読み始めて、自分が興味を持っている仮面についての書籍を、今まで一度も読んだことがなかったことを思い出し、改めて自分の興味に関する学術的な裏付けが欲しいと思いました。昔から仮…[続きを読む]

2013.06.10

1980年から85年となれば、今を遡ること30年前になります。オーストリアの首都ウィーンは地下鉄の交通網がシュタットバーン(市街電車)に取って代わろうとしていました。そんな頃に自分は市街から遠い10区…[続きを読む]

2013.05.27

自分は20代の頃、オーストリアの首都ウィーンに住んでいました。同地の国立美術アカデミーに通って、最初は版画科に、次に塑造科に移ってレリーフを学んでいました。今思えば素晴らしい環境に身を置いていたことに…[続きを読む]

2013.05.16

オーストリア在住の石彫家中島修さんが4月4日に急逝しました。自分にとって中島さんはウィーン時代の師匠でした。もうひとりの師匠池田宗弘先生と中島さんは学校で共に彫刻を学びあった仲間で、この2人の巨大な先…[続きを読む]

2013.05.02

先月の制作追い込みの大変な時に次なる作品のイメージが浮かびました。これはいつものことで気持ちが追い詰められている時ほど発想が豊かになるのかもしれません。今回は中世のフランドルの画家P・ブリューゲル作「…[続きを読む]

2013.02.20

植木畑の中に建つ相原工房は、制作途中の作品がかなりの空間を占めて所狭しと置いてあります。これは現実の工房の状況ですが、自分が寝床に就く時に気儘に思い描く架空の工房があります。そこは相原工房よりずっと狭…[続きを読む]

2013.01.23

今年初めのNOTE(ブログ)に書いたことですが、ヨーロッパに昔住んだ記憶をもとに今日は書いてみます。1980年から85年までの5年間、自分はオーストリアの首都ウィーンにいました。1980年の夏、初めて…[続きを読む]

2013.01.02

2013年になって2日目です。今朝から工房に行って制作を再開しました。窯の上にお供えをして、今年1年間の無事を火の神にお願いしました。昨日は朝早く母の実家で雑煮を食べて、昼ごろから東京赤坂まで初詣に行…[続きを読む]

2012.11.26

オーストリアで暮らしていた若い頃、ソビエト連邦を中心とする社会主義体制の東欧諸国の中にポーランドがありました。ポーランドは行ってみたい国のひとつでしたが、ついに足を踏み入れることなく帰国してしまいまし…[続きを読む]