2006.08.02 Wednesday
8月になりました。毎年のことですが、8月は集中して作品制作に明け暮れるため、あっという間に過ぎてしまいます。まさに光陰矢の如しです。今月をどう乗り切るかで来年の展覧会出品が影響してきます。計画はあえて少しばかり無理のあるものにしています。ハードルを高くすることで自分を鼓舞させるのです。日々坦々とした作業ですが、休むことなく焦ることなく牛歩の如く仕事をこなしていきます。集合彫刻なので、パーツをひたすら作ることに没頭しているのです。これが全て出来上がり組み始めた時、心はざわめいて焦燥感と満足感が交差します。これは冬になってからのお楽しみです。今は黙して語らずといったところでしょうか。
2006.08.01 Tuesday
ギャラリーに先月末ふたつの作品をアップしました。コトバを書くことで造形が甘くなることがあるだろうかと自問自答しています。文学性に逃避してカタチに真正面から向かうことができていない作品を多く見かけるからです。そうしたことが自分の満足を得るならそれでよいと思いますが、自分が造形をする時にはコトバは介在しません。コトバを操る時は造形を見ずに、発想がどうであったかに注目して、コトバを生み出すようにしています。カタチとコトバ、どちらに寄りかかることなく自立した表現でありたいと願うばかりです。
2006.07.31 Monday
今や現代美術の表現は多様化し制作方法も様々です。自分の方法は従来の方法と変わらない古典的なものです。額に汗して木を彫る、または土を練ることが自分にあった方法なので、この世界に関わった時からずっとこれでやっています。作業場は空調設備がないので、この季節は汗が滴り、作業着を何回も替えて朝から夕方まで仕事をします。手仕事は一気呵成にはいかないので、毎日坦々と行うのがよい方法です。職人のような生活ですが、日々のここちよさがあって苦にはなりません。梅雨明けして本格的な夏を迎えましたが、木材を荒彫りしていると、そこにだけ涼風が立つような木の爽やかさを感じています。
2006.07.30 Sunday
先日父が亡くなり、墓地を移転する計画が持ち上がりました。我が家の墓地は地方に行くとよく見られるような田畑の一角にある本家.分家の小さな墓地です。今では「こども自然公園」に行く道端になって区画もはっきりしないままです。そこで菩提寺である浄性院に墓地を移そうと言うことになり、墓碑も新しくすることにしました。昨日は移転するため魂抜きを行い、墓地を掘り起こしました。祖父以前は土葬でしたので、かなり気が滅入ることになりはしまいかと思いを巡らせましたが、墓堀り職人の手際の良さもあって、あっさりと終わりました。相原の一代目は市五郎という人で分家をして田畑を耕し、二代目の銀蔵は近隣では有名な大工だったようです。三代目の鶴松も大工の棟梁、四代目の市太郎は造園業、これが父なので自分は五代目になります。いずれも勤勉な先祖だったようで、貧しい小作人から出発し、やがては屋敷を構えるようになったと亡き祖母からよく聞かされました。自分はといえば芸術に現を抜かし、どうも先祖に顔向けできないナマケモノになっているようです。先祖はあの世で相原家の行く末を心配しているでしょうか。
2006.07.29 Saturday
今読んでいる本は保田龍門遺稿「自画裸像」です。大学で彫刻を学び始めた頃、同大にいられた保田春彦先生にご挨拶すらできなかった理由は、先生の御尊父が保田龍門で、父子ともに自分にとってみれば雲上の人に思えたからです。自分が彫刻に目覚めたきっかけになった人は荻原守衛です。守衛と同じ志をもった保田龍門の作品にもすごい気骨があって真摯なものを感じていました。遺稿を読むと、その時感じたものが間違っていなかったと思います。貧困の中で美を享受できる喜び、造詣の深さ、その精神性において自分の姿勢が足元にも及ばないことを痛感しています。春彦先生にも堅固な造形があって、やはり近づき難い存在です。当時、そんな精神性を持ちつつ自由な発想と楽しさに溢れる作品を発表していた師匠を自分は選びました。それが池田宗弘先生です。池田先生は保田先生に負けず劣らず難しい気性の持ち主ですが(すみません)、自分にない軽やかな発想と頑固な姿勢が大変気に入って、この先生について徹底的に学ぼうとしたことを思い出しています。