Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 我流の阿弥陀如来はいつ出来るのか
    先日、菩提寺である浄性院の住職にお会して、いずれ自分があの世に行くまでには阿弥陀如来を作るので寺に寄進したいと願い出ました。住職はこころよく引き受けてくれましたが、はたして仏師でもない自分がどうして阿弥陀如来像を作れるものか考えてしまいました。その時は左右に菩薩を配置する三尊像をイメージしていたのですが、自分なりの祈りの対象とは何か、白鳳や天平を真似ていたのでは現存する名品の足元にも及ばず、これはなかなか難しい課題を背負い込んでしまったようです。でもいずれ自分の解釈と表現力が身についてくると信じながら、日々造形活動に勤しんでいくつもりです。
    篆刻の小宇宙
    彫刻の新作を作るたびに篆刻を和紙に押印して作品の裏に貼り付けています。いわばサインの代わりです。自作のほとんどが集合彫刻なので、パーツすべてに押印しています。新作ごとに印を彫るので毎年増えていきます。初めは篆書体で忠実に彫っていましたが、最近は自由気ままに氏名をデザインして、小さな版画を作るように、また小宇宙の空間を楽しんで作るようになりました。印は彫刻作品が完成したかどうかの落款としての役目もあり、印そのものも彫刻と呼応したものにしようと考えています。いずれこうした印ばかり集めて展示して見るのも面白いかなと思います。小さいけれどピリッとした主張のある造形作品ではないかと自負しています。
    雨に思う
    梅雨は鬱陶しい季節です。朝から雨が降っていると勤めに出るのが億劫になります。多忙な仕事に追われている時はなおさらですが、ちょいと心に余裕があれば、雨粒が水溜りに落ちる時にできる文様はなかなか美しいものです。水を表現した作品が脳裏をよぎる時もあります。尾形光琳の紅白梅図の中央に流れる川は抽象的でモダンな印象です。八橋蒔絵硯箱の中にも流水がデザインされています。酒井抱一の夏秋草図にも流水が描かれていて画面に潤いを与えています。雨の季節に潤いのある表現に心よせるのもいいものかなと思います。
    版画に魅せられて
    20数年前に版画に没頭した時期があります。版を作って刷り上げる行為が好きで、自分の思うようにならないもどかしさと偶然出来る効果が気に入っていました。今日、世田谷美術館で開催している「吹田文明展」を見てきて、版画に取り憑かれていた頃の自分を思い出しました。版画は刷り上げる際に水性絵具を使うと紙に吸い込み、油性を使うと紙上に定着するので、それらを併用することによって深みと広がりが生まれることをあらためて確認しました。刷りによる効果がとても美しく花火や星々の抽象化を際立たせていました。加えて日本美術家連盟理事長で会報に度々掲載されている方なので親近感もありました。因みに自分も彫刻の会員です。
    記憶に残る彫刻
    実際の作品を見ても心が動かされることはないのですが、記憶に残って時折思い出し、その記憶によって刺激される彫刻があります。それは物質のもつ存在感であったり、周囲の空間であったりします。表現方法はまるで違う2人が私にとってそういう刺激を与え続ける作家です。一人は大学で学んでいた頃、教鞭をとっていたにもかかわらず、直接教えを受けることのなかった若林奮先生です。鉄、木、硫黄などに加工をして思弁的な作品を作っていました。見ているとわからないなりにも別にどうということもないのですが、何故か必ず展覧会に出かけ、つい作品の前で考えてしまうのです。ある意味では大変な魅力があるのかもしれません。もう一人はジャコメッテイです。作品の内面に向かって思考と試行を繰り返すところは若林先生と同じタイプでしょう。紙面がなくなったのでジャコメッテイについては別の機会に書きますが、自分の記憶の中で生き続ける彫刻です。