2017.09.01 Friday
9月になりました。秋の気配が待ち遠しいこの頃です。創作活動は涼しくなる秋が一番向いていると思っています。今月は先月の陶彫成形の遅れを取り戻したいと考えています。先月の目標だった大きい陶彫6点のうち出来上がった2点を引いて、残り4点は今月中に作りたいと思っています。工房は若いスタッフが出入りして活気があるので、私も彼女らに負けないように身体に鞭打って頑張っていきます。鑑賞は今月も東京で大きな展覧会が開催中ですので、ぜひ見に行きたいと考えています。ウィークディ金曜日の夜間開館時間が狙い目かなぁと思います。映画もミニシアター系で観たいものがあります。ただし、今月の3連休は職場の男性職員の結婚式があったり、地域行事が入っていたりして、3日間全てを制作に充てることが出来ません。RECORDは今のところ順調なのでペースが乱れないように頑張るつもりです。読書は低調が続いています。何とか盛り返したいと思っています。あれもこれもと欲張ると苦しい1ヵ月になってしまいそうですが、一番の目標としては陶彫一辺倒の1ヵ月にしたい、これが優先目標です。
2017.08.31 Thursday
8月の最終日を迎え、今月の制作状況や鑑賞したこと等を振り返りました。陶彫制作は残念ながら目標に達成せず、6点中2点しか出来ませんでしたが、テーブル彫刻の柱の木彫は8本彫り上がりました。というのは久しぶりに土錬機の分解掃除を行い、陶彫を暫し休んだせいで、制作が遅れたのでした。来月は遅れた陶彫制作を取り返したいと思っています。RECORDは順調な仕上がりをしています。現時点では一日1点制作という初心に帰って制作を進めていますが、一日1点が下書きだけにならないように今後も気を緩めずにやっていこうと思っています。鑑賞は充実していました。まず日本での美術展ですが、「ジャコメッティ展」(国立新美術館)「川端龍子展」(山種美術館)の2つ、台湾の國立故宮博物院では紙面に暇がないほど数多の美術品や工芸品に接してきました。古代遺産として第一級の作品ばかりで、一つひとつ驚嘆しながら鑑賞しました。これ以上の鑑賞は望めないのではないかと思うほどでした。國立故宮博物院で受けた印象はいずれ自分の中に取り入れていきたいと願っています。映画鑑賞では横浜のミニシアターへ「ブレンダンとケルズの秘密」と「ヒトラーへの285枚の葉書」を観に行きました。今月遅滞したのは読書でした。毎年夏になると読書に精を出す癖が私にはありますが、このところそれが薄れつつあります。夏季休暇を取得しても海外に出かけたり、制作に没頭して、読書に気が向かないのです。書籍から離れることは私にとって忌々しき事態です。来月の課題は読書です。ともあれ今月は充実した1ヵ月を送れたのではないかと思っています。
2017.08.30 Wednesday
毎年、東京銀座のギャラリーせいほうまで足を運んでいただいた方々にお礼状を出しています。懇意にしているカメラマンが個展会場に来て、ホームページ用の撮影とお礼状作成のための撮影してしてくれます。ギャラリーに展示された作品の一部を切り取った画像は、光と陰影が織りなす面白い風景になっていて、私も思わず見惚れてしまうほどです。画像は全てカメラマン任せにしている理由がここにあります。実制作者である私は、作品の虚を突かれたような視点を発見できません。他のアーティストの眼を通すことで、新たな発見ができるのです。私のホームページに掲載してある画像は全てカメラマンの作品です。ホームページは言わば協働で作っていて、そこが私にとってワンランク上の自己満足を得られる要因になっています。お礼状は芳名帳から氏名と住所を探して印刷をしています。知人で住所がわかる人なら芳名帳に氏名だけ書かれてあっても問題がないのですが、ギャラリーが招待した人の中には、氏名だけで住所のない方々も多くいらっしゃいます。その方々には失礼をお詫びいたします。わざわざ遠方より来られた方々に住所がわからず、お礼状が出せないのは心苦しい限りですが、このNOTE(ブログ)をもって感謝申し上げる次第です。個展の折は本当に有難うございました。
2017.08.29 Tuesday
先日、1通の封書が自宅に届きました。母宛の手紙でしたが、差出人は母方の甥にあたる人でした。母の弟、つまり私にとっては叔父ですが、7月末に病気で亡くなり、8月に先祖の墓に埋葬をしたという内容でした。NOTE(ブログ)は私の記録でもあるので、親戚が亡くなった場合には必ず書くようにしています。叔父は理由があって遠くで暮らしていました。叔父の子どもたちは叔父のことをよく知らず、遺骨だけ引き取ったようです。私は幼い頃から叔父によく遊んでもらっていた関係で、叔父とは親しい間柄でした。私が生まれたところは、横浜と言えども農村地帯で、周囲には田畑が広がっていました。母は東京蒲田で生まれていたので、母からすればよくぞこんな田舎に嫁いだものだと思っていました。母の実家は和菓子屋をやっていて、向かいには映画館があったというのですから、嫁ぎ先でのカルチャーショックは大きかったではないかと察します。母の実家は蒲田を引き上げて、横浜の中心(西区)にやってきていました。その頃の私は、横浜の街中で叔父と遊んでもらっていたのでした。舗装された道路が珍しかった時代で、道路にチョークで絵を描いて遊びました。母方の祖父に商店街にあるおもちゃ屋で電気仕掛けのロボットをねだったりしました。クリスマスにそのロボットが届いた時は、祖父はサンタクロースなんだと本気で信じていました。そんな思い出の中に叔父がいました。その叔父とは30年以上も疎遠になっていたので、叔父がどんな生涯を送ったのか、私にはわかりません。ただただ冥福を祈るだけですが、久保山にある先祖の墓に入れたことで、叔父は安らかに眠れているのではないかと思っています。
2017.08.28 Monday
スイスの彫刻家・画家であったジャコメッティは、自己疑念に陥って、それまで熱心に作っていた自分の作品を破壊する行為もあったようです。私も20代の頃は、自分の作品をよく壊していました。私の場合のそれは高尚な理想からくる破壊ではなく、稚拙な技能による自己嫌悪に他なりません。ジャコメッティのモデルを務めた哲学者矢内原伊作の著作の中に、ジャコメッティの創作へ向かう真摯な姿勢が描かれていて、若かった私は共感を覚えました。自己を確立したわけでもないのに、私は初めから自己疑念に陥ることがあって、とにかく人体塑造による空間デッサンをやっていれば、彫刻家として人並みに何とかなると信じていました。自己疑念に深く沈むと、危うい人生が待っているような気がして、深追いは止めようとさえ思っていました。もっと陽気に振る舞えれば気分が楽になるのになぁと、若い頃はいつも感じていました。救いとしては神経が自分が思うほど細くなく、心が病んでしまうことはありませんでした。それでも家内と付き合い始めた頃の私には悲壮感があったらしく、よくぞ家内が一緒にいてくれたものだと今でも思っています。私の自己疑念は、人生半ばで方向転換をしていったようで、自分の造形表現が確立されると、健康的な精神が宿ってしまったのではないかと振り返っています。それでも自分の造形表現に今も満足は得られませんが、不安定な精神状態からは解放されました。ジャコメッティの作品を見ると、自己疑念に陥った頃の自分を思い出すのです。