2018.01.11 Thursday
現在読んでいる「触れ合う造形」(佃堅輔著 西田書店)の中に、表題にある画家同志の友情を取り上げている章があります。画家の友情とはドイツ表現主義のキルヒナーとブライルのことです。フリッツ・ブライルは私にとって未知の画家で、作品すら見たことがなかったのでした。調べてみるとブライルは1880年から1966年まで生きた人で、享年88歳というのは当時としては長生きだったと思います。彼は教職に就いたり、建築事務所に勤務していたので、画家としての活動は短かったようです。ドイツ表現主義の数あるグループに「ブリュッケ(橋)」という集団があり、キルヒナーとともにブライルはここに参加していました。2人の出会いに関する文章があります。「ブライルもキルヒナーも建築の勉強を選択した同志だった。だが、それは美術アカデミーの教育が、子供の将来にとって、経済的に何ら保証するものではない、という親の強い考えに従わざるをえなかったからで、『味気ない職業』の選択となったのだ。」これは国は違えど、私も共感できるところだなぁと思いました。ドレスデン工科大学で2人は親密になり、一緒にスケッチに出かけることも屡々あったようです。「ブリュッケ」に関してキルヒナーが木彫した宣言文があります。「進歩を信じ、創作し鑑賞する世代を信じて、わたしたちはすべての若者に集まれと大声で叫び、そして未来を担う若者として、ぬるま湯につかっている古い力に反抗し、技術および生命の自由をつくりだそうとするのである。直接に偽らずに、自己の創造へと駆り立てるものを表現する人はすべて、わたしたちの仲間なのだ。」その「ブリュッケ」以降、2人の道は大きく分かれました。キルヒナーの作品はナチスにより「頽廃芸術」の烙印を押され、次の一文にあるような状況に陥りました。「彼は『ドイツにおける誹謗』にもはや耐え切れなくなり、スイスに逃れ、ダヴォスで1938年6月15日、みずから命を絶った。38歳の短い生涯だった。芸術家の不安定な生活よりも、家族の経済的に安定した市民生活を選んだブライル…」とあり、ブライルは1966年まで生きて生涯を全うしたのでした。ブライルは「市民的な観念世界を超えるエキセントリックな自由の精神」(A・ブラトマッハー)の持ち主だったキルヒナーとは、まったく異なった運命が待っていたと言っても過言ではありません。芸術家の生涯について、そしてどこに人生の価値を置くか、対照的な2人を見ていると私は真摯に受け止めざるをえません。
2018.01.10 Wednesday
現在読んでいる「触れ合う造形」(佃堅輔著 西田書店)に登場するノルウエーの画家ムンクとドイツの画家キルヒナー。日本ではムンクは有名ですが、キルヒナーは知る人ぞ知る画家ではないかと思います。私は20代の頃からドイツ表現主義に興味があったので、キルヒナーは今も私の中で強烈な存在感を放っています。当時はキルヒナーの木版画を真似て、私も彫り跡を残した木版画を作っていました。ただし、キルヒナーの主題とする女性との関わりを描いたものや性的な表現は、私には不得意な分野で、技巧的にも内容的にも私の作品は稚拙で退屈だったと述懐していますが、数点の版画が人の手に渡ったことを私は今も憂いています。そんな私が注目してきた画家キルヒナーとムンクの対比が、本書で取り上げられていたので注目しました。それによるとムンクによる性の深淵にキルヒナーはやや稀薄ではあるけれども、同様な感覚を持っていたことが分かりました。文面を引用いたします。「ムンクの著しく神経的なものや、計り知れないものは、キルヒナーにとって、馴染みがたいものだったと思われる。というのも、『地獄の復讐の女神たち』に絶えず責めたてられ、『女難』に悩まされ続けたムンクほど、全体的に見てキルヒナーの人生の立場は、女性関係が複雑ではなかったからである。~略~キルヒナーの言葉で述べれば、とくにムンクは『人間性を強要して、より深く、自己内部へ眼差しを向けたことによって』、『人間的な根本真実』を言いあらわしたのだ。ムンクは、この人間的な根本真実を、すなわち世の中の機構を保っているあの強い性的衝動を、認識することを教えたと言えよう。~略~そしてキルヒナーも、自分が感じとった強いエモーションを、木版画の形式における絵画表現に置き換えようと試みた。こうして彼の木版画は、手段として、自分が直接的に体験したものを言いあらわし、性に関連した主題圏においても同様に言いあらわしたのである。」
2018.01.09 Tuesday
先日、常連になっている横浜のミニシアターに映画「ゴッホ 最期の手紙」を観に行きました。レイトショー初日だったためか比較的混んでいて、ゴッホの絵画を使った奇抜なアニメーションに関心が集まっているのかなぁと思いました。当初はストーリーより技巧の方に目が奪われるのではないかと思っていましたが、次第に内容に引き込まれていって、ゴッホの自殺を巡る原因や事実解明に、それなりの解釈を加えた映画だという感想を持ちました。内容は郵便配達をやっている父から、ゴッホの手紙をゴッホの弟であるテオに届けるよう、息子が託される場面から始まります。ところがテオはパリで既に亡くなっていて、息子アルマンはゴッホ終焉の地であるオーヴェール村を彷徨い、ゴッホ自殺の真実を求めていくことになるのです。今も謎の多いゴッホの生涯ですが、オーヴェール村で出会ったゴッホの主治医ガシュは何を語るのか、ここがこの物語の真骨頂かなぁと思いました。技巧に関しては本作の醍醐味になっていて、ゴッホの絵画に似せた油絵がアニメーションとして動きます。図録によると、本作はまず俳優が演じる実写として撮影され、それを基に1秒12枚の油絵を高解像度写真によってアニメ化されたものなのです。なんと62,450枚もの油絵が、各国から選ばれた125名の画家たちによって制作されたようです。図録には美術家森村泰昌氏による「絵画が動くという美術的な時間軸と、物語が展開していくという文学的な時間軸」という言葉がありました。日本人画家として制作に携わった古賀陽子氏の語るエピソードにこんな一文がありました。「何十とあるコマの途中に不備が見つかるとその箇所以降のコマを全て描き直さなければいけませんでした。そういう事が何度かあり大変でした。オーヴェールの教会のシーンを担当した際、オーヴェールの教会の模写をしましたが『似ているだけではダメ。かすれ具合なども全て同じにして』と上司に言われ、苦労しました。」本作は技巧的に渾身を込めた映画であることは疑う余地はありません。
2018.01.08 Monday
12月23日から設定した職場独自の三連休、12月29日から1月3日までの6日間に亘る休庁期間、1月6日からの成人の日までの三連休、といった年越し連休は今日が最終日になりました。飛び石連休だったとは言え、創作活動には有効な日々でした。ただし、今年は昨年の年越し連休のように連続して創作活動に埋没することは出来ませんでした。今年の夏に企画していただいている個展に向けて、連休が終わった今、全体の作品としてはまだ半分ほどの出来上がりですが、制作工程の上では順調です。今日は成人の日で、工房は今までにない寒さになりました。どんよりとした天候で、時折雨が降ったために体感的に寒く感じたのかもしれません。数年前の成人の日に大雪が降りました。家内が神奈川公会堂に演奏に出かけ、私は徒歩で駅まで迎えに行ったのでした。その時は成人を迎えた晴れ着姿の女性たちが長々と列を作ってタクシーを待っていました。成人の日と言えば思い出す辛い一日ですが、今日も雨の中を成人式に向う人たちは大変だなぁと思っていました。工房では彫り込み加飾をやっていました。今日一日で3点出来上がりました。彫り込み加飾は、成形した陶彫部品に矩形の文様を彫っていくもので、平面的で地道な作業です。ずっと作業台の前に座っていたため、寒さが堪えたのだろうと思います。夕方、自宅に帰ってきたら寒さで疲れました。今日も小さめのテーブル彫刻には手をつけられませんでした。窯入れも予定していましたが、明日から暫く若いスタッフが工房を使うため、窯入れは1週間遅らせることにしました。窯入れしてしまうと電気の関係で工房が使えなくなるからです。私はまた来週末に作業を行います。
2018.01.07 Sunday
三連休の中日です。朝から工房で陶彫制作に明け暮れました。昨年暮れの休庁期間に立てた制作目標である陶彫の「根」部分16個の完成は、何とか今日出来上がりました。と言っても彫り込み加飾は明日行うので、実際の完成は明日になります。「根」部分とは、新作の大きなテーブル彫刻の床に配置する陶彫部品から4つの根を4方向に這わせていく部分を言うのですが、その4本の根は4個の陶彫部品の連結によって長くしていきます。2013年に発表した「発掘~地殻~」の屏風から迫り出した部分や、2014年に発表した床置きの「発掘~増殖~」が今まで作った連結する集合彫刻でした。今回新作で応用する「根」部分はそうした過去作品と同じように連結するものです。4本の根にそれぞれ4個ずつとなれば陶彫部品は全部で16個になりますが、私の計算ミスで1個多く作ることになり、「根」部分は17個で構成される予定です。4本のうち1本の根が一関節長くなってしまったのですが、案外面白いかもしれません。今日は陶彫成形に終始してしまって、小さめのテーブル彫刻の2点目のテーブルを作ることが出来ませんでした。それは明日の三連休最終日に持ち越しになります。小さめのテーブル彫刻3点の厚板切断は、この三連休は無理そうです。とにかく制作目標は「根」部分の完成を目指していたので、目標達成と言って差し支えないと思います。今日は夕方になって、古くなった自宅のテーブルクロスを買いに、家内と横浜中華街に出かけました。今のテーブルクロスは中華街にある雑貨店「チャイハネ」で随分前に買ったものでインドネシア製の織物です。綻びがあちらこちらに目立つようになり、色彩も薄れてしまいました。これだけ使えば多少値の張るものでも充分ではないかと思っています。今回もアジアの織物を仕入れてきました。食卓は生活には大切な空間です。食器の下に敷くものも美しさを意識したいと私は考えていて、創作は衣食住の生活環境からも影響を受けるものと思っているのです。