2024.05.25 Saturday
週末になりました。今週を振り返ります。今週も毎日工房に通い、陶彫制作に精を出しました。1週間後に迫った図録撮影に向けて、制作は予断を許さない状況になっています。その中で陶彫には焼成という制作工程があり、作品を窯に入れている間は、窯以外のブレーカーを落としているので工房の電気が使えないのです。こればかりは焦っても仕方がないし、慎重な姿勢を軽んじれば、作品が割れることもあるのです。今週は木曜日に窯入れを行ない、その日は家内と東京の展覧会を回ることにしました。木曜日に出かけたのは先輩の版画家の個展と、京都で結成された「走泥社」の全容を見せる展覧会でした。とくに「走泥社」は陶によるオブジェを作った陶芸家たちの痕跡を示していて、私は昔から興味があり、「走泥社」が関わった展覧会には幾度となく足を運んでいました。私が誤解していたのは、私の陶彫は「走泥社」が起源と思っていたのですが、陶芸家が表現を拡大する中でオブジェを作るようになった「走泥社」と、彫刻の素材として陶を選んだ私との差異でした。確かに私は「走泥社」同人の作品を見て陶彫を始めたわけではなく、学生時代にギャラリーせいほうで見た辻晋堂氏や速水史朗氏の陶による彫刻を見て、それが現在私が作っている発掘シリーズの契機になっています。「走泥社」の始めた陶によるオブジェは、それでも私を魅了してくるのです。陶によるオブジェの中には引っ掻いた跡が不思議な文字のようになっていて、平面性が強調された作品もありました。土の表現の可能性を追求した実験作品が多くて、単なる形態を焼き締めた陶彫とは異なる世界がありました。これは陶芸家として陶土や釉薬を知り尽くした人でないと出来ない表現でもあるわけで、私としては刺激を受けることになりました。
2024.05.24 Friday
昨日、家内を誘って東京都港区虎ノ門にある菊池寛実記念 智美術館で開催していた「走泥社再考」展に行ってきました。「走泥社」は1948年に京都で結成された造形集団で、陶によるオブジェという新たな表現を世間に広めたことはよく知られていて、私も折に触れて「走泥社」同人の作品を鑑賞してきました。展覧会場の受付で、同展は前後半に分けて展示される旨を教えられ、私は両方見たいので共通券を購入しました。後半部分はまた鑑賞後にNOTE(ブログ)にアップいたします。展示作品は既に見たことがある作品も多く、改めて見直した次第です。昨日のNOTE(ブログ)に私は陶によるオブジェは陶彫の起源と書きましたが、図録を読んでいくと、陶彫とのニュアンスの違いが述べられていて、私の理解が些か雑駁であったことを反省しました。「走泥社30周年の記念誌に乾由明は『私的走泥社論』を書いている。その中で乾は『純然たる陶芸家ばかりによるアヴァンギャルドの運動としては、これが最初であった(中略)既存の彫刻への追従をいさぎよしとせず、そうかといってもちろん伝統的な陶磁器の制作をも拒否する彼らにとって、とるべき道は、まず何よりも一度土そのものに還帰し、土自体のもつ特性の中から、それに密着した形体と表現を見出すことであった。それは土と人間との、素朴で原初的なかかわり合いをつうじて、やきものの仕事を考えてゆこうとする態度である』と述べている。~略~彫刻家の辻晋堂さんやイサム・ノグチさんも土の造形を試みたが、これはあくまでも陶彫。~略~八木一夫の《ザムザ氏の散歩》(1954年)は、轆轤で成形した円環と複数の円筒形とが組み合わさったもので条痕釉と呼ばれる灰釉が掛けられている。この作品は現在では陶によるオブジェの記念碑的作品として評価されており、戦後の日本陶芸(美術)を語る上で不可欠な作品であるとして国内外で認められている。」(大長智広著)陶によるオブジェは、陶芸家として実用性のあるモノを作っていた人たちが始めた斬新な造形で、彫刻家が素材として陶を選んだ場合とは、同じ造形であってもニュアンスが異なることが私にも理解できました。私は彫刻家として陶を選んでいるので、陶によるオブジェではなく、それは陶彫に当たるわけです。それでも非実用なオブジェを作り始めた「走泥社」を私は今も変わらず評価しているのです。
2024.05.23 Thursday
昨日、陶彫作品の窯入れ準備を行ない、夕方に焼成を開始しました。今朝は窯の温度確認に工房へ出かけてきました。焼成中は窯以外のブレーカーを落としているため、陶彫制作が出来ずに、今日のところは気分転換に展覧会散策に出かけました。まず家内と行ったのは東京渋谷の古家屋というギャラリーで開催していた「加藤正展」。加藤さんは私の大学の先輩で、緻密な銅版画家として受賞歴がありますが、現在は専らモノタイプ版画をやっていて、個展期間中はワークショップをやっていました。植物をテーマにさまざまな版表現を試みた作品群を堪能してきました。次に向かったのは虎ノ門にある菊池寛実記念 智美術館で開催していた「走泥社再考」展。これは14日付の朝日新聞夕刊の記事で展覧会情報を知りました。「直径約30センチの輪から細いパイプがいくつも飛び出した姿はシュールレアリスム系の彫刻や現代美術を思わせる。陶芸の伝統を離れ、ときに機能性も希薄なオブジェ陶の記念碑的作例だ。」(編集・大西若人著)これは八木一夫作陶による「ザムザ氏の散歩」で、私は幾度となく見てきた作品です。彼らが1948年京都で結成した走泥社は、その前身の四耕会を含めて、オブジェ焼と称して新しい造形表現を模索していました。私がこの動きを知ったのはずっと後のことでしたが、まだ陶で作品を作ろうという自分の思いはなく、学生時代は粘土による人体塑造に夢中になっていたのでした。それから海外生活を経て、改めて陶彫に取り組むことになった私ですが、思えば陶彫の起源は、あの頃の走泥社の試みにあったのではないかと考えています。勿論、陶による機能を持たない表現としては縄文時代の土偶も考えられますが、その時代は芸術の概念がなく、宗教や呪術として存在していたのではないでしょうか。私は学生時代に師匠の池田宗弘先生の手伝いとしてギャラリーせいほうを訪れ、そこで眼にした辻晋堂氏や速水史朗氏の陶を使った彫刻に強い関心を抱いたことが、陶彫を始める直接の契機になっていますが、それでも芸術表現としての陶彫の起源を走泥社に設定することは、強ち不自然ではないと私は考えます。「走泥社再考」展についての詳しい感想は後日改めます。
2024.05.22 Wednesday
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「或る年表への注釈」について、気に留めた箇所をピックアップいたします。この単元では日本の近代美術を取り上げていて、瀧口流の切り口に興味を感じました。「日本の近代美術発達史を見ようとする場合、『二科』と『独立』という二つの展覧会史の消長で抽象されると考えられるかもしれない。事実、24年も継続した二科は、周囲のあらゆる変化と激動にもかかわらず生き残ったという印象を与えている。(本稿は1939年に書かれています。)~略~『独立』の意義はたしかに、概念的にフォーヴィスムとして代表されたように、絵画・自我の主張にあった。そしてこの会の成立の直接的動機は同じく『二科』に即している。」次に登場するのは村山知義で、私も著書「構成派研究/現在の芸術と未来の芸術」(本の泉社)を既読しています。「震災前年頃に村山知義氏がドイツから帰っている。氏がダダ、未来派、絶対派、表現派、構成派等の渦巻く欧州大戦後の画壇を駆けめぐってきた過程は、『美術の通った路』という短い一文のうちにも興味深く読まれる。おそらく震災前において、これら戦後美術は氏によってはじめて体系的に、しかも若い世代の主張として紹介されたものと考えられる。」(ここでいう震災とは関東大震災です。)「過去の構成派的抽象主義者には、たとえばモンドリアン的なネオ・プラスティシスムやさらにハンス・アルプなどの要素は見出されなかった。そして多くは彼らの主張にもかかわらず、平面的な『デコレーション』に終わった観がある。この場合、当時の構成主義者が、立体派固有の造形意識の把握を通過していなかったこと、また大震災のような災害が、彼らの形成力を洗練させるだけの余裕を与えなかったことなどが考えられる。しかしもっとも本質的な理由としては、当時の日本の文化的ないしは社会的な段階が、それらを摂取しうるほどに成熟していなかったことであろう。」今回はここまでにします。
2024.05.21 Tuesday
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の、「影響について」は四つの論文に分かれていて、それぞれの気に留めた箇所をピックアップいたします。四つの論文は写真、ピカソ、エルンスト、ダリで、論文に貫通するのは影響についてです。「新即物主義、超現実主義、抽象主義などのイズムが、絵画でも写真でも並行的に存在するが、その相互の交流はかならずしも形式の領域内にとどまっていない。要するに写真が絵画に与える影響というべきものに関するかぎりは心理的であり、潜在的である。」次にピカソ。「ピカソの切断された風景、双生児的な肖像、色彩と面の解剖図、ゲルニカの火花、等々が模倣されるよりも、ピカソが歩いて来た路、彼が辿って来た体系を精密に知ることが現在われわれに残されたもっとも有意義な影響と見るべきかも知れない。それによって妙に伝説化されたピカソの前半生の過程がもっと明るみに出されるであろうし、おそまきながら、日本の近代絵画におけるキュビスムの『穴』を埋めることができるであろう。」次はエルンスト。「植物の群生を描いたエルンストの最近作のシリーズはわれわれの注意を惹いた傑作であった。この作品の解釈はいろいろな風になされるであろうが、一瞥して奇妙にアンリ・ルソーの原始林の傑作を想起させたことは、構図や、素材の類似からくる形の連想ばかりでなかったと思われる。エルンストの最近作の与える感動は、原始的なものと文明的なものとを結合させる磁力にあるといえないであろうか。(コラージュにおいては、『デペイズマン』(置換法)が露出していたが、これら油絵では技術のなかに完全に隠蔽されている)。」最後はダリ。「極端な超現実的な象徴性が、寸分の隙もなく、画面の持続性をもって描写されていることは従来のモンタージュ的方法に対して、画然と新しさを示した。これは映画のような現代的な物理感覚と絵画のあいだにも痛切に感じられていた。いわば深淵のように深い時間的空間的な飢えを満たしてくれるように思われたのであった。またそれは永遠性と現在性との抱合という古い絵画的な理想が、思いがけない現代の色彩と造形性とによって眼ざめさせられた驚きでもあった。謎と描写との結合が新たに絵画の生きたスペクタクル性を刺激しはじめたのである。」今回はここまでにします。