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  • 「劇場のグラフィズム」について
    「劇場のグラフィズム」(笹目浩之著 グラフィック社)は「宇野亜喜良展」のギャラリーショップで発作的に購入してしまった書籍です。副題に「アングラ演劇から小劇場ブーム、現代まで」とあって、演劇における宣伝美術に、いろいろなアーティストやデザイナーが関わった軌跡を一冊にまとめたものです。その多様な表現にはさまざまな要素が節操なく入っていて、何だかとても元気な時代を反映していると感じています。「近代演劇に大きな影響を受けた新しい演劇ということで『新劇』といわれた。新劇は写実的でリアリズムを大切にした。1960年代、リアリズムを追求した新劇に対抗し、劇団を飛び出し自分たちの思想を表現したいという演劇人が登場する。学生劇団出身者も多く、彼らは次々と小劇団を旗揚げ。これが『小劇場運動』のはじまりである。」私は大学時代にアングラ劇やミニシアターに通い出し、演目の情報は専らポスターで得ることにしていました。携帯電話のない時代に私は実際のポスターを見て、次はこれに行こうと決めたのでした。「1960年代のアングラ劇団のポスターを眺めていると、まさに人の心を虚構の世界に誘おうとする強烈な意志が伝わってくる。この時代の前衛的な演劇人にとって、ポスターは単に告知をするための道具ではありえなかった。芝居によって社会を変えたいと思った彼らは、ポスターにもその想いをこめようとした。ポスターは、そんな自分たち自身の宣伝であり、自分のドラマの宣伝でもあり、芝居をつくるための、いわば最初の一手だった。」若かった私が惹きつけられた演劇のポスターはこんな要因があったのだろうと思います。それでも当時は、私がヴィジュアルな世界に飛び込んでいかなかったのは、彫刻の力があったからだと述懐しています。私はアカデミックな人体塑造をやりながら自分と距離をとったところで、アングラ劇やそれに付随する多様なポスターを味わっていたのでした。自分の表現する手段や方法に対し、自分に合ったものとは何かを、私は当時から考えていたのかもしれません。
    映画「関心領域」雑感
    今日は家内と映画に行きました。この映画鑑賞の時間を確保するために、昨日は工房で窯入れを行ない、今日は陶彫作品の焼成で他の電気が使えず、工房での作業を一旦中止したのでした。映画「関心領域」は、その内容から言っても私はミニシアターで上映されると思っていたのですが、今年のアカデミー賞国際長編映画賞と音響賞を受賞したので、大きな映画館で上映されることになったのでしょう。これは万人が楽しめる映画ではなく、第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所に隣接する場所で暮らしたドイツ人家族の物語でした。映画では収容所内で行われた残虐行為は映されず、その轟音と空に吹き上がる黒煙で残虐行為が暗示されていました。壁一つこちら側ではルドルフ・ヘス親衛隊中佐を父とする一家の穏やかな日常そのものが描かれ、母は数年かけて庭を設計・植栽し、プールや温室まで作り上げていました。子供たちも元気に育てられ、友人家族を呼んでパーティをやっていました。この映画の中で私は2つの出来事に着目しました。図録から引用いたします。「ヘス家を訪れた母(祖母)は夜中に収容所の騒音や煙突から上がる炎に耐えられなくなり、娘に何も言わずに家を立ち去る。」祖母は住居の素晴らしさを娘に褒めていたにも関わらず、日々の環境にはやり切れなさを感じていました。「ルドルフが二人の子どもたちと川で水遊びをしていると、焼却炉の灰が流れてくる。彼は驚いて二人を岸辺に上げ、家に連れ帰って浴槽で体中を洗い流す。彼らの関心は日常から暴力の痕跡を拭い去り、夢の生活を維持することに向けられている。この意味で『関心領域』の醜悪さを照らし出すことこそ、本作の狙いだと言えるだろう。」(引用は全て田野大輔著)戦争シーンのない戦争映画として、私にとって本作は比類のない恐怖を感じる映画でした。強制収容所の生活を描いた数々の映画を、私は観てきましたが、本作ほど心に刺さった映画はありませんでした。音響の効果を改めて知った秀作だと思います。
    「シュルレアリスムのために」読後感
    「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)を読み終えました。本書に掲載された評論は1930年から1940年の間に発表されたもので、第二次大戦前から大戦に至るまでの、社会的には緊迫した激動期に当たります。戦争に向かうキナ臭い世相の中で、よくぞシュルレアリスムについて書けたものだなぁと思っています。日本が強いた軍国主義は多様な価値観は認めず、美術作品は戦意高揚のために使われました。同じようにナチスドイツも革新的な表現に対し、退廃美術の烙印を押したのは余りに有名です。著者も案の定、警察に検挙される憂き目に遭っています。それでもシュルレアリスムの運動を信じて疑わなかったのは筋金入りの信念があったからでしょう。本書最後の覚書にこんな文章がありました。「当時の私にしても、芸術運動としては画壇の一角から起こりうる可能性をつよく感じていたし、事実、太平洋戦争の前夜にかけての数年間、若い画家たちの動きは活発をきわめた。しかし、いま読み返してみて、私の書いたものにそれほど具体的に反映していないようである。もちろん今日と比較すれば、それはジャーナリズム圏外の動きであり、文章による反映は小さなパンフレットか機関誌に限られていたのであり、それ以上に、時代はつるべ落としに暗さを増し、発言の機会は抑えられつつあった。若ものたちは相ついで召集され、その多くは帰ってこなかった。本書について言えば、『ホアン・ミロ』を書き、『シュルレアリスム十年の記』を書いた翌年の1941年の春まだ寒いころ、私は検挙されるにいたる。しかし私自身はすでにシュルレアリスムへの熱中期から十年のあいだに『シュルレアリスムは、いま日本の夜の中へ、溶解の一途を辿っているかも知れぬ。それは超現実がひとつの純粋性に達する一形式でもあるからだ…』といった、捨てぜりふともとれるような言葉でしか本音を吐けなかったところまで落ちてしまう。」著者は戦後になっても一貫した姿勢でシュルレアリスムの思想を広めていったことは、後世に生きる私にとって、大変ありがたい存在だったと思っています。
    「前衛芸術の諸問題」について
    「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「前衛芸術の諸問題」について、気に留めた箇所をピックアップいたします。本書はこれが終盤になります。「私のもっとも遺憾とするのは、超現実主義批判といえば、多くはフランスの画集や紹介記事を根拠とした批判であって、日本にかくも浸潤した、いわゆる超現実主義的傾向の底に流れる歴史的な欲求の生理を読み、その点に立って指導的な意見を吐露する人の皆無であったことである。わたしは盲目的な超現実主義擁護者よりは、むしろこのような真摯な、洞察ある、直観的な批判家を尊重したいと思う。」著者がフランス発祥の超現実主義について、日本の現状を鑑みて論考するのに、かなりの手厳さはあったとしても、当時の状況はこれによってよく理解できます。また著者は日本文化の特徴を次のようにも語っています。「わたしだけの見方かもしれないが、日本人がやや『超現実性』に近い観念を、民族としてもつようになったのは、禅学的な教養によって一種の詩的弁証法を摂取(創造といった方が適切であろう)しえて後のことであって、これが世阿弥の努力ー能芸術の創造となり、俳諧連歌の創造となってからであろうと思われる。象徴芸術としての能の偉大さはいうまでもないが、わたしは何といっても俳諧における日本人の詩的飛躍力に、『超現実性』への跡絶えない暗示の一線を認めることができると思う。なぜなら、それは日本人が『超現実性』にも通ずる観念連合の新しい世界を感得しえた画時代的な出来事であったからである。」最後にこんなことも述べられていました。「さてわたしはダリやエルンストの絵画は現代の空気のなかに、現代の夢と狂気とをあきらかに可視的に、具象化していると信じている。少なくともわたしには、ブレイクやファン・ゴッホをかつて理解しえたと信じたと同じように、あるいはそれ以上に、しかも同時代的に理解しうると信じている。~略~わたしは元来、いわゆる純粋絵画と応用美術という、形式的な差別にたいして、多くの疑問を抱いているものであるが、それは別としても、超現実主義の、かかる訴求力をもった造型的な認識が、新しい芸術の発展の少なくとも動機にならないとどうしていえるのであろう。」本書は以上で終わりになります。
    初台の「宇野亜喜良展」
    先日、東京都新宿区の初台にある東京オペラシティアートギャラリーで開催している「宇野亜喜良展」に行ってきました。図録が売り切れとなっていて、予約注文をしたので、そのうち図録は郵送されてくると思いますが、その時に改めて作者や作品の背景について探っていきたいと思います。ともかく現在90歳になる宇野亜喜良氏の10代の習作デッサンから展示されていた本展は、その圧倒的な作品数で、見応えは充分ありました。私が学生時代から第一線で活躍されている宇野氏の画風は一貫していて、少女の風貌に特徴があり、眉を剃り落とした顔は無表情でありながら、強烈なインパクトをもっていました。また華奢な肢体からは頽廃的なムードが漂っていました。先日放映されたNHK日曜美術館で美術家横尾忠則氏と対談していて、横尾氏が宇野氏のことを90歳まで少女を描いているのはヘンタイだろうと言っていましたが、これは明らかに褒めの言葉です。常軌を逸した表現まで追求すれば、作者はヘンタイやヲタクと呼ばれて、創作活動の名誉であると私は考えるからです。900点を超える作品の中で、私が気に留めたのは何と言っても鉛筆によるデッサンで、ここで考え抜かれた雛型が、やがてポスターや絵本等になっていく過程を知りました。少女とともに馬の絵もよく登場してきて、巧みに空間に配置されたそれらのものが美意識を醸していました。これはグラフィック・デザインの仕事で、見る側の眼を瞬時にキャッチする効果があるのです。イラストレーションもグラフィック・デザインも消耗されていく美術作品なので、時代を反映し、また風俗に敏感になる傾向があります。そこが絵画と違うところですが、私は宇野ワールドを見て、若かった頃にアングラ劇に夢中になった時代を思い出したのはそんな要因があったのかもしれません。図録が送られてきたら、もう一度NOTE(ブログ)に書いていこうと思います。