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  • 週末 竹中ワールド&DM郵送
    週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。今週は工房での窯入れの際に、午前中で作業を切り上げて、自分の個展のためのDM(案内状)1000枚をギャラリーせいほうに持参しました。その際、友人の竹中直人が竹中ワールドとも言うべきスケッチや映像、写真による個展を開催していたので、そこも見てきました。彼の役者魂がそうさせるのか、人のあらゆる風貌に興味があるらしく、台詞も添えられて、スケッチの数だけ人生があると言いたいような展示内容でした。彼にラインで感想を送ったところ、どうやら彼にとっても好ましい感想だったらしく、暫しラインでの会話になりました。私には高校時代の友人が僅かしかいないので、彼とは貴重な付き合いであることに違いありません。金曜日になって私のDM(案内状)を、自分や家内の知り合いに料金別納で郵送してきました。以前は学校に勤めていたので、DMを職員室で全員に渡していました。今はその分がなくなり、手元にDMがかなり残ってしまいました。土曜日になって図録撮影をしたカメラマンから連絡が入り、夜の時間帯に図録の校正を確認しに自宅にやってきました。以前スマートフォンにデジタル画像で図録の内容を送っていただいていましたが、紙に印刷されたものを見ると、印象が違って見えました。毎日作り続けているアナログな陶彫と、撮影された画像では世界観が異なります。そのどちらも自分にとっては大切で、アナログとデジタルの双方があって、自分の世界が形成されるのだろうと思っています。図録を見ていると、自分の作品に果たして帰結がくるのか、自分の作品はどこに向っているのか、自分でも分からないこともあります。先々のことはボンヤリとしていて、明確な輪郭を持ちませんが、それでも毎年足りない表現を反省して、そこを補おうとまた次へ進んでいく姿勢は変わらないように思えます。
    アカデミズムからの脱却
    今日のタイトルは大袈裟ですが、何もアカデミズムから近代や前衛に移行した時代やその潮流を述べたものではありません。もっと個人的な小さな問題点で、それでも美術専門分野を志した人なら誰でも陥りやすい課題を指しています。美術系の大学に入るために、高校時代に受験専用の予備校に通いますが、そこではギリシャ彫刻の石膏像や人物や静物を対象に徹底した写実デッサンを行ないます。その正確な把握でもって大学の合否が決定するため、受験生は必死になって画面に木炭や鉛筆を駆使して写実画を仕上げます。そこから入試で篩にかけられ、選抜されて大学生活が始まりますが、自信をつけた写実画のままでは、自分の表現に至らず、ついに自己表現活動を諦めてしまう学生もいます。芸術は創造と破壊の繰り返しと言われますが、最初に訪れる破壊行為は、過去の自分との訣別であり、アカデミズムからの脱却です。それには時間がかかる者もいて私がその例です。私は海外生活5年間をかけてアカデミズムからの脱却を試みました。先日個展で見た竹中直人の人物スケッチも写実を留めていないことを見取って、同期として嬉しくなりました。ただし、私は受験デッサンを否定するものではなく、アカデミズムを脱却しても名残として、その感覚が血肉化している場合もあると考えます。デッサンの何たるかを知っていると、どんな作品を作ってもそれが底に眠っていると私は思っています。どんなにダダ的なことをしても出鱈目にならないで、微妙なバランス感覚が働くのです。最終的にアートにしようとする意志が存在すると言ったらいいのか、ギリギリのところで美意識に辿り着くのかもしれません。創造と破壊を繰り返し、その思いの強さが人の心を動かすと私はアートを定義していますが、それは生半可にはいかない尊い行為だろうと思っています。
    新聞記事より「ケチ臭い分別」
    今日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「凡庸な絵かきというものは…辻褄を合わせることだけに気を取られていて、辻褄を合わせようとして嘘をつく。洲之内徹」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「描きあぐねて、そこを無理に塗り潰すのは凡庸な画家。批評家も同じで、絵から何かを感じるのに努力は要らぬが、絵を見るには修練が必要だと、作家・画廊主は言う。己の解釈で対象をねじ伏せようという『ケチ臭い分別』ほど邪魔なものはないと。随想『セザンヌの塗り残し』(椹木野衣編『洲之内徹ベスト・エッセイ1』所収)から。」美術批評家洲之内徹の「気まぐれ美術館」(「芸術新潮」連載)を、私は学生の頃に時折読んでいました。ちょうど私は大学で彫刻を学び始めていて、当時流行した最新の美術評論に興味を抱いていました。まだ習作として人体塑造をやっていたにも関わらず、現代美術の動向に左右されてしまっていた私は、自己表現もままならないくせに、頭でっかちになっていました。前衛的な考察や評論は魅力的だけど、少し待っておこうと考えた私にとって、旅行日記のような「気まぐれ美術館」は楽しいものでした。私自身が足元を見つめ、自己表現の何たるかを考えつつ、美術雑誌に掲載された批評を注意深く選択していくのは、ずっと後になってからのことです。「ケチ臭い分別」は邪魔だと言える批評家に共感するのも、私なりに時間がかかりました。あの頃、最新の美術評論のことで意見を言い合っていた当時の仲間たちは今どうしているのだろうと思うこともあります。器用だった友人はコンクールで賞を取り、その後作品世界の辻褄を合わせようとして…という前述の文章に私も思い当たる節があります。何が正解か、どうしたら芸術の道を全うできるのか、誰も分からないからこそ、創作活動は面白いのかもしれません。
    個展「なんだか今日はだめみたい」雑感
    昨日、東京銀座8丁目にあるギャラリーせいほうに私の個展用のDM1000枚を持参した折、銀座1丁目まで足を延ばし、友人の個展会場へ向かいました。友人とは高校時代の同級生で俳優の竹中直人さんです。NOTE(ブログ)では友人を「さん付け」して書いていますが、付き合いが長いこともあって敬称をつけずにお互い呼び合っているので、ここでも竹中と呼ばせていただきます。彼とは横浜の金沢区にある高校で学んでいました。2人とも美術系の大学志望が一緒だったので、学校帰りに東京代々木にある受験用予備校に通っていて、デッサンに精を出していました。大学卒業後に彼は俳優になり、私は教職に就きましたが、自己表現意欲を持ち続けられたことで、お互い個展が開催できる現状になったと思っています。竹中は俳優や映画監督業の他に表現領域が広く、造形美術にも自分の持ち味を示していて、ある意味では一色では語れない多面性を持っているように思います。演技では渋い役やどぎつい役をこなしていますが、肩肘張らない気軽な描写も彼自身の個性であることに違いありません。個展「なんだか今日はだめみたい」で発表していたのは人物の風貌で、色々な顔のふとした表情を細描きのペンで捉えていました。題名のところには台詞があって、そのモデルが背負っている架空のドラマを書き込んでいました。人は皆ドラマを演じているとでも言いたいのか、彼の役者としての才覚がそうさせているのか、即興画と名づけられたスケッチは、なかなか内容の深いものがありました。私は彼にラインで感想を伝えながら、竹中直人という人間が昔から変わっていないことに気づきました。彼が監督する映画は幾層にも心理描写が重なり、じっくり観なければ分からない場面があります。よく芸能人の趣味として絵画展を開く人がいますが、彼は映像もスケッチもすべて彼自身が発する心的表現であって、本業と趣味の境がありません。彼は俳優業としては自我を出さず、役に徹することに務めてきました。役を演じることに照れはなかったはずですが、さすがに個展では恥ずかしさがあるのか、竹中流の言い訳も示しています。彼の創る映画作品も個展と同じです。ただし、映画製作には組織的な取り組みがあるために個性がぼかされているに過ぎません。そんな竹中と長く付き合っている私は幸運なのだろうと思っています。
    ギャラリーへDM持参&友人の展覧会へ
    昨日、窯入れの準備をして夕方になって焼成のスイッチを入れました。窯を稼働している時は、窯以外のブレーカーを落としているために工房の電気は使えず、今日の午前中は自然光の中での作業になりました。今日は昼頃に近隣のスポーツ施設で水泳をやってから、午後はギャラリーせいほうへDM(ダイレクトメール)1000枚を届けに行きました。愈々個展が近づいてきた感覚になり、私は焦りを覚えています。ギャラリーの田中さんに会うと、何故かホッとしてしまうのは、もう20年近く個展を企画していただいている恩もあるのかもしれません。久しぶりの銀座は外国人観光客が目立っていました。ギャラリーの真向かいにあった天國の赤煉瓦のビルがなくなっていて、工事の音が響いていました。銀座も変わりつつある中で、ちょっと驚いたのは昭和レトロのビルをそのまま残して画廊を営んでいる場所があることを知ったからです。ギャラリーせいほうを後にして私が向かったのは、銀座1丁目にあるギャラリー巷房で、ここは敢えて観光資源として古いビルを残しているのかもしれません。ここで高校時代の同級生で俳優の竹中直人さんが個展をやっていました。彼とは高校の時に美術系大学受験のために予備校に通っていました。彼はグラフィックデザイン科志望、私は工業デザイン科から途中で彫刻科に転向していて、2人ともデッサンや専門の受験科目などを熱心にやっていました。彼は多摩美術大学を卒業してから役者の道を歩み始め、映画監督もやり遂げて、ベテラン俳優と称されるほど有名になりました。個展のことは彼からラインがきて知りました。ギャラリーの3階と地下1階を使って、さまざまな人物の風貌を細い線描で何気なく描いた多くのスケッチと、写真や映像も発表していて、素の竹中直人という人物が全面に出た展示内容になっていました。素の自分を出さないのが俳優業であるならば、作品展示は自分の内面をオープンにして、人に鑑賞してもらうのが個展です。彼は意外にシャイなので、その照れくささがあるらしく、それでも人物のちょっとした仕草を即興として描いたのは役者魂によるものなのか、細かい感想は後日改めて書きたいと思います。