2024.10.29 Tuesday
私が生まれ育った昭和30年代は、娯楽と言えば外で遊ぶか、家でテレビを見ているしかなくて、私も典型的なテレビっ子世代です。当時はドラマやアニメーション、バラエティー番組など、家族揃って見ていた時代を今は懐かしく思い出します。教職に就いて暫く経つと、私は教科の特質で美術系の教養番組を見るようになりました。ニュース等の報道番組も必ず見るようになりました。スポーツ観戦は競技を選ぶようになり、それは今に至っています。パソコンやスマートフォンが生活必需品になってから、テレビをあまり見なくなりましたが、それでも私には自分が楽しみにしている番組があります。NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」です。この番組の製作のきっかけになったのは放送70周年・戦後50周年(1995年)を記念して製作を開始した一連の「映像の世紀」シリーズだったようです。NHKが保存している戦後の映像史の中から「罪と勇気の連鎖」をキーワードに歴史を振り返っていく方針がネットにあり、音楽を担当した加古隆氏の印象的な楽曲が、時折私の心に訴えかけてきます。学校教育の社会科の中で近代史、とりわけ戦後の世界の動向を扱うのはなかなか難しい側面もあり、こうしたドキュメンタリーを授業で見せている場面もあろうかと察しています。私は20代の頃にドイツ・オーストリア語圏で暮らしていたので、番組がよく取り上げているナチスやユダヤ人問題に具体性があります。何しろヒトラーが入学を認められなかった美術アカデミーに私は在籍していたし、映像に背景として登場する街並みは私の生活の一部でした。ただし、映像はモノクロが多く、過去の私の生活と多少乖離した感じも持ちますが、ヨーロッパの街並みが戦争や暴動で破壊されても、昔の様式を忠実に修復再生していることで、私自身の過去に連れ戻される錯覚を持ちます。日本にいると不安定な情勢もピンとこないまま暮らしていますが、国際情勢は常に動いていて、歴史が繰り返される場面が映像を通して伝わってきます。皆が平和を願っているのに、不都合なことが罷り通る状況は一体どうなっているのでしょうか。
2024.10.28 Monday
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅴ 抽象絵画の主流 」の文中に出てくる多くの芸術家を今回も3人取り上げます。まずエステーヴ。「エステーヴのタブローでは、映像の心的投影と感覚の運動とのあいだに、稀にみるほど強靭な造形上の大きな統合が組織されている。この組織化は、ただ形態と色彩の構築が、固有の論理、固有の『理知』を課せられてゆくにしたがって、合理的になるだけであり、それは、理知的というより、はるかに感性的なものなのだ。なぜなら精神紀以上、その都度肉体化に新しい形態を与えるために、またこの洞察と、人間と世界との深の役割は、ここでは感覚の記憶を、いくつかの大きな図式に還元して、それを形態化するだけなのだから。時に幾何学的な様相を見せてはいるが、エステーヴの絵画は本質的に生命的なものである。」次にル・モアル。「タパや魔術的な描線に満ちたポリネシア芸術、高度に知的であり、その上じつに感動的な造形性を持ったポリネシア芸術が、ちょうど日本の版画が、印象主義者たちに、あるいはニグロ彫刻がキュビストたちに対して持ったと同じ役割をある世代の抽象画家たちに対して演じたといってもさしつかえない。ここでそれを詳述することはできないが、この親近関係は、きわめて啓示的である。しかし、ル・モアルを支えているものは、深い内面性、ある内向的な感覚であり、それは、この寡黙な秘められた芸術の主導線のように思われる。」最後にサンジェ。「サンジェのタブローは、宋代の中国絵画と同じくー同じ方法と理由によってー見るものの全存在が、肉体も魂も、タブローのもっとも内部の中心にまで歩みよることを要求する。作品を見るものは、このように、完全にそれに溶けこむまで、じっくりと忍耐づよく五官と心とをともに働かせ、浸透させ、統合させ、混淆させる。この融合こそ、凝視の目標なのだ。最後に人は、自分が見る対象になりきってしまい、それに自分自身のなかの最良のもの、もっとも生き生きとした活発なものを与えるのである。」本書に登場する画家は、私の浅学のために作品を知らず、画家をネットで調べた後に、その画家の文章のどこを切り取るべきか考えながらNOTE(ブログ)を書いています。日本では未だ定着していない欧州の画家が多いことが分かりました。
2024.10.27 Sunday
日曜日になりました。今日は衆議院選挙の日で、家内と投票に出かけました。私は20代の頃に5年間ヨーロッパにいたので、その時だけは投票をしていませんが、それ以外は必ず選挙に出かけています。若い頃は両親の言うままに選挙に行きましたが、学校管理職になってからは政党や個人の政策をよく読んで投票先を決めていました。選出された議員が公約通りに実行できるのかどうか、私も校長職にあった時に自ら掲げたマニフェストに苦しんだ時もありました。学校は公費の扱いには厳正であったので、今回選挙で話題に上がっている裏金については、私は驚きを隠せません。政治とは何か、何度も原点に返る必要がありそうです。話は変わり、今日は工房に出入りしている私の教え子が美大で染織を学んでいて、その子の案内で大学の学園祭に行ってきました。美大は学園祭のことを芸祭と呼んでいて、各専攻による展示作品があって充分楽しめます。教え子は型染めの大きな作品を展示していました。彼女は生真面目な性格で、地道な作業が向いています。時間に追われながら課題をやり遂げなくてはならず、日々大変だったと言っていましたが、なかなかどうして頑張っている姿勢が伺えました。就職のことを考えると憂鬱になるらしく、いい意味でも悪い意味でも彼女は美大生になっていました。社会人になれば自分のための仕事はまずないのが普通で、会社の利益を優先するのが世の常です。美大在学中は自分の事ばかり考えている学生にとっては、近い将来には厳しい試練が待っているのです。それでも自分自身を見つけられる美大の生活を充分堪能して欲しいものです。最近の美大はアニメーションを作ったり、コスプレを楽しむ学生もいます。外国人留学生も多く、多様性に富んだキャンパスライフで、羨ましい限りですが、このストレスのない緩い雰囲気に飲まれないように、将来に向けての準備もしてほしいと老婆心ながら思っているところです。
2024.10.26 Saturday
週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。今週も朝から夕方まで工房に籠って、陶彫制作に明け暮れていました。火曜日に窯入れの準備を行ない、水曜日は焼成を行なったために工房の電気が使えず、その日は東京の美術館や博物館に出かけました。上野は外国人観光客が多く、私が昼食をとったレストランは、ほとんど外国人ばかりでした。遠足に来ていた小学生の集団がいて、上野動物園に入っていきました。秋になると大きな展覧会が企画され、私が立ち寄った美術館や博物館は平日にも関わらず混雑していました。東京都美術館で開催されていた「田中一村展」は、奄美大島で制作された絵画作品を私は過去に幾度となく見ていましたが、その以前の作品も充実していて、見応えはありました。彼の画力の凄さに今更ながら驚きました。一村が学んでいた東京美術学校(現東京藝術大学)時代に、その隣りに東京府美術館(現東京都美術館)が開館し、一村が逝去されたずっと後になって、現在の当館で展覧会が企画されるなど、生前の一村は想像していたでしょうか。次に足を運んだのが東京国立博物館で、同館で開催されていた「特別展 はにわ」は絶対に見に行こうと決めていた企画展でした。私は縄文土器の展覧会はよく見に行った記憶がありますが、古墳時代の埴輪に特化した展覧会は初めてかなぁと思いながら、興味深く展示品を見て回りました。日本独自の美意識を感じながら、素朴な生命感を味わいましたが、埴輪に可愛さがあると思ったのは私だけでしょうか。現代の日本人が作る可愛いキャラクターの祖型があるように思えます。とりわけ家形埴輪や動物をかたどった埴輪には遊戯性があり、その単純化にもユニークな感覚があると思いました。今週は制作と鑑賞の両輪をしっかり実践した1週間でした。帰りに横浜駅にあるスーパー成城石井に行って、私のお気に入りである岩泉ヨーグルトを買いました。ドジャーズ大谷翔平選手が何かのインタビューでこのヨーグルトを愛用していると言っていたので、私も試してみたら、本当に美味しいヨーグルトだったので、その時から継続して購入しているのです。
2024.10.25 Friday
先日、東京上野の東京国立博物館平成館で開催している「特別展 はにわ」を見てきました。私が現在作っている陶彫の原点は埴輪とも言えるので、本展は必ず見てこようと思ったのでした。「3世紀後半、奈良県桜井市の箸墓古墳が築造される。卑弥呼の墓ではないかと推察される古墳であるが、ここからは日本列島最古の埴輪が出土している。もともと埴輪は、弥生時代の墳丘墓の上で葬送儀礼用の土器として使用された特殊器台や特殊壺を祖型として、古墳時代に入ってから作られた土製品であり、円筒埴輪や壺形埴輪から始まった。以降、徐々に埴輪はその種類を増やしていくが、仏教文化が浸透し、前方後円墳が築造されなくなる7世紀の飛鳥時代には姿を消してしまう。」私は「挂甲の武人」と称された埴輪が、埴輪の代表作と思っていて、それが本展では5体集まって展示されるのは珍しいことではないでしょうか。「あわせて5体の『埴輪 挂甲の武人』は、群馬県太田市ある駒形窯もしくはその周辺の窯で焼かれ、同一工房(同一埴輪製作工人集団)の作品と評価される。現在、群馬県に残るのは相川考古館所蔵品(群馬県太田市成塚町出土)のみである。~略~この『埴輪 挂甲の武人』は埴輪群像のなかで、どのような役割を担っていたのであろうか。貴重な挂甲(礼甲)を着用しているので、身分の高い人物がモデルであったことは間違いない。問題は亡くなった被葬者をかたどったのか、もしくは被葬者とは別の人物かであるが、研究者によって意見が分かれている。」(引用は全て河野正訓著)図録を読むと今後の研究が待たれる事案も多く、古代の謎を紐解く面白さが満載です。本展には「挂甲の武人」の他に形象埴輪と称される家や船をかたどった埴輪があったり、動物をかたどった埴輪、とりわけ馬の埴輪は美しい形態を作り出しているのが印象的でした。自分の陶彫作品に近い造形と思ったのが棺の埴輪で、施された彫り込み加飾がよく似ていました。古墳時代に私が生を受けていたら、埴輪製作工人集団にいて、一所懸命埴輪作りに明け暮れていたのではないかと空想しながら、本展を後にしました。