2024.11.08 Friday
昨日、東京赤坂のサントリー美術館で「英一蝶」展を見た後で、横浜の馬車道駅まで足を延ばし、神奈川県立歴史博物館で開催している「仮面絢爛」展を見てきました。ちょうど東横線・みなとみらい線一本で東京から移動できたので、都合が良かったのですが、古代から伝わる仮面に、私は昔から興味を持っていました。本展は美術的な鑑賞というより、武家に伝承されてきた仮面をその背景とともに提示しているもので、学術的要素が強いように思いました。図録に望月館長の挨拶文がありました。「本展では、神奈川、鎌倉と深く関わる仮面や、中世の武士たちが邂逅し、親しんだ仮面の数々を集めることで、単に造形や機能だけではなく、仮面の背後にある地域に息づく豊饒な音楽文化の存在を発見し、またその文化を利用しながら地域を支配しようとした領主たる武士たちの姿を捉えたい…」とある通り、現存する仮面に舞楽面と菩薩面があり、当時の音楽や舞いとともに仮面はさまざまな儀式に使われていた空気感を纏っていました。これは実際の古典芸能を見てみないと分からないところもありますが、人間の顔を誇張し、あるものは鬼の形相に見立て、演じる立場も仮面によって観者に知らしめるのは非日常空間としての宗教や政治にも役立てていたのだろうと思いました。図録にこんな文章がありました。「一般的に仮面の展覧会とは、仮面を身につける人と場ーつまり変身ともどきにより創造された異空間ーに焦点が当てられ、仮面の造形や意匠、その機能が紹介されるのではないだろうか。かかる他の展覧会と比較すれば、本展は”仮面”を題材としつつも、それらの背後にある”音”と”音楽”を定位にしようと試みた。やや趣を異にした内容かもしれない。」(渡邊浩貴著)私は展覧会場に入った途端、仮面だけではなく、その背後にある文化伝承の検証に気づきました。確かに仮面は単なる美術的な面白みだけではない要素が満載で、民俗学の視点からすれば、地域芸能、つまり音楽発祥に付随する産物としての研究対象になるものだからです。とは言っても私は仮面に造形的な面白みを見いだして、自分の創作活動の活性化を図る者です。学問とは別の観点から、カタチの誇張された際どい造形に楽しさを感じました。
2024.11.07 Thursday
英一蝶(はなぶさいっちょう)という日本画家を私はよく知らず、テレビ番組でその人物像や画風を知りました。東京赤坂のサントリー美術館で開催されている「英一蝶」展に行こうかどうしようか迷っていたら、閉幕近くになってしまい、慌てて同展に出かけていった次第です。英一蝶は主に元禄年間に活躍した絵師でした。出目は狩野派で、筆さばきが巧みだったことが作品を見て理解できました。街の風俗を得意としていたようで、私は「雨宿り図」が愉快で、作品の前に長く立ち止まっていました。人物像は単に絵師ではなく、幇間(ほうかん)もやっていたようで、これは所謂太鼓持ちの芸人です。図録によるとこんなエピソードが語られていました。「もうひとつの一蝶の顔が幇間(太鼓持ち)である。40代の初め頃は名代の幇間として大仏師民部、医者の息子村田半兵衛とともに、貴顕の家に出入りし、諸侯浪費を促すものとして、幕閣上層部からにらまれるまでになっていた。そして、将軍綱吉の生母桂昌院の甥、本庄資俊に取り入り、茗荷屋の遊女大蔵を900両で身請けさせ、100両を祝儀としてばらまかせるに及び、当時流行の生類憐みの令を風刺した浮説『馬の物言う』の流言にかかわったとして逮捕された。~略~また、桂昌院の縁につながる六角広治に菱屋の小わたを身請けさせるに及び、元禄11年(1698)再び入牢となり、一蝶は三宅島へ、民部、半兵衛は八丈島へ流罪となった。」(安村敏信著)その後、将軍代替の大赦によって、一蝶は江戸に戻ってきますが、島では絵師として代表作を描いていて、また江戸に戻った58歳から73歳で没するまで旺盛な制作を開始して、画名が広がったようです。浮世を写した巧みな作品の数々とその生命力の逞しさに私は驚きますが、犯罪者としてのエピソードは、その犯罪の状況こそ違えど、西洋宗教画家カラヴァッジョの生涯が私の脳裏を過りました。画才は人間性を問わず、その人に備わっているもので、後世に作品を残さなければ、単なる犯罪者で終わるところを、美の女神は人を選ばず、その人に使命を与えるものなんだなぁと改めて思った次第です。
2024.11.06 Wednesday
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅴ 抽象絵画の主流 」の文中に出てくる多くの芸術家を今回も3人取り上げます。今回は宗教絵画に関するものです。「(アルベール)グレーズの探究は、1900年頃表明された宗教芸術の未来についての不安に解答を与えたものであった。いわゆる聖シュルピス教会の芸術が端的に示していたような妥協と平俗にたいするきわめて強力な反抗が独創的で新しい表現の探究をひき起したのである。しかし、そのうちのあるものはきわめて貴重なものだったが、大半は目的を失い、あるいは目的を逸脱したものだった。なぜなら、新奇さと独創性を求めるあまり、人は、キリスト教芸術の本質的な目標のうちでも特に大切な宗教的感動、神聖の感情を忘れていたからである。」次にマネシュ。「(アルフレッド)マネシュは自然のきわめて近くにいる。そして脳髄の力そのものには、徹底的に反抗している。このようなかれ独特の自然表現ー非具象的という意味での抽象的な表現ーによってこそ、かれは宗教的感動の表現に非凡な能力を得ることができたのである。これこそ、かれをわれわれの時代の偉大な宗教画家たらしめているものだ。なによりもまず、かれのおかげで、抽象芸術はもっとも純粋な伝達手段と思われるようになった。なぜなら、これこそ唯物主義的な要素や、宗教的な現象の再現なしにすませられる最上のものだからである。」最後にザック。「抽象的な宗教画の持つ感動と暗示の力に異義ある芸術家や美術史家に、私は(レオン)ザックの『十字架の道』を研究することをすすめたい。おそらく非具象的な形態というものが、じつに苦行的な節制の手段を用いながらも、どれほど驚くべき感動の力を持つものかに気づかれるだろう。また苦行的というこの言葉を聞くと、神秘主義者たちが、日常的な可視的な姿と形態の言語を用いて、かれらのヴィジョンを転写するのにいかに苦心したかが、われわれの記憶にまざまざとよみがえってくるだろう。」今回はここまでにします。
2024.11.05 Tuesday
先日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「生き延びるためには、勇ましくあってはならない 森村泰昌」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「美しさを究めようとする者は、美しくないものを容赦なく消し去ろうとする。そしてその刃は、美しくないものの筆頭として、美を求める自分自身に向けられると、美術家は言う。勇ましさばかり求めるのも同じ。芸術にできるのは、生き損ねた人や出来事に、『わすれないでいるからね』と、孤独なまなざしを向けることだけだろうと。『生き延びるために芸術は必要か』から。」芸術とは何かを問いかける文章は、勇ましくない強かさを持って、私の胸に沁みわたってきました。軍事力を鼓舞する国際社会になると、芸術や文化は沈黙します。と言うか、芸術や文化の発する声が聞き取りにくくなると私は考えます。私たちがやっている創作活動は、直接国家に利益を齎すものではありません。それは生産性のないものなので、強いものが罷り通る世の中になれば、真っ先に芸術は棄てられます。芸術の主張は声高に叫ぶ要素がないため、社会の中の厄介なものの扱いを受け、時には嘲笑の的にもなります。そんな風潮になっても、全体統一国家の中で生きづらいと考える人がいて、そういう人に芸術の声が俄かに届くのです。芸術は価値の統一を求めず、寧ろ個人個人の価値観の相違に活力を見いだす分野です。時代によっては後ろ向きな生き方と映るかもしれませんが、そうしたお互いの相違を認め合う社会に芸術は根付きます。芸術が豊かに実る社会は、多様化が進んだ成熟した社会なのだろうと私は思っています。
2024.11.04 Monday
昨日の日曜日が文化の日だったので、今日は振替休日になりました。昨日、工房では作業終了時に窯入れを行ないました。電気の関係で今日は工房での作業は出来ず、それを言い訳にして今日は多摩美術大学の芸祭を見に出かけました。工房に同大でグラフィックデザインを学んでいる子が出入りしていて、彼女の案内で、女子美大染織専攻の子とともに八王子にある同大に出かけたのでした。三連休最終日は好天に恵まれ、美大の芸祭に行くには絶好の日となりました。多摩美術大学のグラフィックデザイン科はレベルが高く、入試も難関で知られるところですが、芸祭で発表している学生たちの作品も高水準であり、楽しさや多様性に溢れていました。グラフィックデザインは視覚全般にわたる表現として商業美術界には欠かせぬ存在になっています。最近はITを駆使したり、手による描画との共作もあり、また最近のアニメーションに登場するキャラクターを創作したりして、表現の幅はますます広がりを見せています。校舎の中に自分のブースを作って、自分の世界観を表している一角は、なかなか見応えもありました。若い世代の創り出す世界を見ていると、現代の世相も見えてきて、その中にはドギツイ表現も多々あり、不条理な世界が罷り通る雰囲気も伝わってきました。校舎外ではフリーマーケットが所狭しと並んでいて、学生たちが小物を売っていました。自分の学生時代と変わらぬ風景がありましたが、売られているグッズは現代風で、洒落た趣がありました。相原工房には現在2人の美大生が出入りしていますが、彼女たちが美大を卒業してしまうと、こうした芸祭に来ることはなくなるのだろうなぁと思いつつ、芸祭会場を後にしました。