2024.11.27 Wednesday
昨日に続いて、夕方は横浜のミニシアターに出かけていきました。その前に今日は工房で夕方まで窯入れの準備をしていました。明日、家内と美術館へ行く約束をしているので、窯入れをして明日の工房の電気を窯以外は使えないようにしておくのです。このところ毎週窯入れをして木曜日は美術館やら映画館に出かけていますが、今週は昨日に続いて今日も夕方の時間帯に映画を観に出かけていきました。「シュルレアリスム100年映画祭」の一環で、「マックス・エルンスト 放浪と衝動」を観てきました。今日は家内が邦楽器の演奏があるため、私一人で出かけました。シュルレアリストの中で私はエルンストが描く超現実的な風景が大好きで、近隣の横浜美術館が代表作を所蔵しているため、よく見に出かけていました。デカルコマニーやフロッタージュといった彼が考案した技法は、中高美術科の教科書でも取り上げられていて、生徒たちがポスター等の制作に利用しています。そのエルンストの生涯も、戦争に駆り出されたり、米国への移住があったりして、安穏とした生涯ではなかったようでした。図録より引用いたします。「ドイツ出身の彼は第一次大戦への出征、レオノーラ・キャリトン、ペギー・グッゲンハイムらとの恋愛や別れ、第二次大戦時の迫害と亡命、ブルトンとの確執など波乱の人生を送った。」とありました。解説では「亡命を助けたペギー・グッゲンハイムとの暮らしは波乱に満ちていたが、エルンストの流浪の先々で彼の制作活動に伴走した女性たちは、単なる『ミューズ』という紋切り型では語れない重要なパートナーである。本作では、必ずしもその相互関係に踏み込むわけではないが、数多くのパートナーとの出会いがエルンストの放浪と衝動を駆動していたことが描き出されている。」(石井祐子著)1924年アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表してから、今年が100年目。その運動は文学、美術、映画、音楽、思想など広い範囲に及び、現在にも受け継がれています。横浜のミニシアターの企画で、私はとりあえず3本のシュルレアリスムの映画を観ることができました。貴重な機会だったなぁと改めて思い返しています。
2024.11.26 Tuesday
現在、横浜のミニシアターで「シュルレアリスム100年映画祭」と称して日本初公開を含むシュルレアリスム映画7本が上映されています。私はそのうち3本を観ようと考えていて、今日の夕方に中区長者町まで出かけてきました。当初一人で行くはずが、家内が付き合ってくれることになり、専門性のある内容なので大丈夫かなぁと思っていたところ、家内も大学でデザインを学んでいるので杞憂だったようです。今日は「謎の巨匠 ルネ・マグリット」と「アンドレ・ブルトン ドキュメンタリー集」の2本を観てきました。まず「謎の巨匠 ルネ・マグリット」ですが、図録から引用します。「本作は、ベルギーでの幼少期から、デ・キリコの絵との出会い、パリのシュルレアリストたちとの交流、ブリュッセルでの国際的成功、第二次世界大戦期の苦境と戦後の新たな活動まで、マグリットの映像と作品をふんだんに使ってその足跡を追い、作風を移行させながら独自の世界を築いた彼の知られざる複雑な個性に迫る。」とある通り、一般的に知られた絵画の裏に潜んだ彼の確執を描いていて、坦々と制作していたように見えた風景が時に苦渋に満ちたものであったことが分かりました。次に上映された「アンドレ・ブルトン ドキュメンタリー集」は、まず彼の活動の軌跡を追った「A・ブルトン あらゆるものにもかかわらず」と、伝説のアトリエの映像と彼の肉声によって、追い求めていたものに迫る「野生の目」、オークション前にコレクション展示を撮影した「2003年3月31日 ホテル・ドルーオ」の3部作で構成されていました。ブルトンの部屋に所狭しと置かれた収集品の数々に、私は魅了されました。とりわけアフリカやオセアニアの民芸品に、芸術家の発想の源泉となる素朴な美を見いだし、稀有な生命力を感じたのは私だけでしょうか。そんな環境を作ることで彼はシュルレアリスムの提唱者となり、現代美術を牽引していくことになるのです。人の美意識を変革するために何が必要か、映像を通して働きかけてくるパワーに、私も突き動かされていく感覚を持ちました。
2024.11.25 Monday
先日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「正しく見られ、認識されれば、ありふれた事物も奇跡なのだ。チャールズ・シミック」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「古道具屋や古本屋で漁った小物や写真、ポスター等を小さな木箱に収め、一つの詩的宇宙を形づくる美術家、ジョセフ・コーネル。その彼の作品に寄せて、セルビア系の米国人詩人は、芸術は『創る』というより『見つける』ものだと語る。それはきっと、人生自体が日々の地味な努力の積み重ねでかろうじて保たれているからであろう。『コーネルの箱』(柴田元幸訳)から。」私は米国人芸術家ジョセフ・コーネルの創り出すボックス・アートが大好きで、充実したコーネルのコレクションを持つ千葉県のDIC川村記念美術館に幾度となく訪れています。常設展示されているボックス・アートから、機会がある度に私はコーネルの詩的世界観を読み取ろうとしました。その謎の解明が楽しくて、どんなにその時が多忙であったにしても、心に落ち着きを取り戻すのです。コーネルのボックス・アートは、数々のコラージュを組み合わせたもので、それは「創る」より「見つける」モノで構成されていて、そこに作者の心に潜む謎の解明に鑑賞者が挑む図式が存在するのです。文中にある「人生自体が日々の地味な努力の積み重ねでかろうじて保たれている」のは、あくまでも非日常の世界で、人生を豊かに彩るものは何も経済的な豊かさではなく、自分の夢や憧れを身近なモノで代弁させる喜びにあります。それはただの収集癖だけでなく、そのモノの組み合わせによって、自分だけで微笑していたい独り占めの世界ですが、敢えてそれをボックスに貼り付けて展示してしまうところが芸術家の性だろうと思っています。自分の記憶を表現行為にしてしまう性、恥ずかしいような誇らしいような複雑な気持ちが交叉するのは誰にでもあるのかしら、故コーネルに聞いてみたいと私は思っています。
2024.11.24 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動について書いていきます。今日の話題はホームページに関することです。昨日、ホームページにあるギャラリー・ページに「発掘~根景~」をアップしました。これまで私はさまざまなテーブル彫刻を作ってきましたが、「発掘~根景~」は最大の高さをもつテーブルに陶彫部品を設置した作品です。テーブルの高さは2m24㎝あり、私の身長より高いため、設置には2つの三脚に複数のスタッフが乗って柱を押さえながら陶彫部品の吊り下げを行ないました。床面からも陶彫部品を積み上げていき、吊り下げられた陶彫部品の中に積み上げられた陶彫部品が被るように微妙に調整を行いました。「発掘~根景~」は横幅5m、縦幅も5mあって、同作品は今のところ私の作品の中では最大規模ではないかと思っています。テーブルの下部に造形を行なうのは、敢えて空間を狭い範囲に区切って、そこに構築物を配置したい狙いがありました。私が作りたかった空間は、決して伸びやかなものではなく、内に凝り固まり、さまざまな制約に雁字搦めになった社会そのものを描こうとした空間です。四方に伸びた根は、地中で充分養分を貯め込んだ表れではあるけれでも、壊死しかねない状況を、自ら得意とする彫刻媒体を通して表現しようとしたのです。その発想に立ち返ってホームページにはコトバを添えています。コトバは作品の説明にならないようにイメージの源泉を探りましたが、視覚表現とは異なり、自分にとっては難しい課題なのは言うまでもありません。それでも、ホームページの「発掘~根景~」を見ていただけるなら、まずホームページのギャラリー・ページをクリックしてください。それぞれの作品の部分画像が出てきますので、高さのある作品にカーソルを当てていただければ、画像が一点ずつ現われます。ご覧になっていただけると幸いです。
2024.11.23 Saturday
週末になりました。今週を振り返ります。今週も相変わらず陶彫制作に励み…と言いたいところですが、今週は体調を崩しました。月曜日の夜から微熱が続いていて、火曜日は一日工房での作業を休みました。自宅で眠れるだけ眠っていましたが、その他に不調なところはなく、翌日には体調も元に戻ってきました。原因は何かを考えると、週末も含めて休むことなく工房に通い、陶彫制作に明け暮れていたことで疲労が溜まっていたのかもしれないと思っています。水曜日には体調が回復してきたので、窯入れの準備をして窯入れを行ないました。木曜日に家内と映画を観にいこうと決めていたので、いつものように工房の窯以外のブレーカーを落としました。木曜日に出かけた映画は「SHOGUN 将軍」で、アメリカでエミー賞作品賞を初めとする18冠に輝いたテレビ放映の作品でした。映画ではその1回と2回を合わせて2時間少々にしていましたが、図録はありませんでした。テレビ放映の作品なので図録は作っていないとのことでした。ハリウッドが本気で製作した時代劇は見応えがあり、それを牽引した俳優真田広之氏の功績には驚きました。これは元々創作された物語ですが、日本の歴史にはまだまだ面白い解釈も出来る事件があるのではないかと思います。それでもこれはアメリカ映画だなぁと思わせる部分もありました。真田氏の指導のおかげで人々の所作は不自然なところがまったくなく、室内の障壁画や武士の服装に至るまで日本そのもののようでしたが、全体的に派手で、敢えて目を引かせようとする視点がそこかしこにありました。それは観客の目を楽しませるエンターティメントをよく理解するハリウッドならではの性質のように思えました。だからこそ映像としての美的価値を持つのだろうと考えました。体調が回復し元気になった身体に、さらに元気がもらえる映画を観た1週間だったと思っています。