2015.05.28 Thursday
東京都庭園美術館はアール・デコ建築による独特な雰囲気を持つ美術館ですが、同館で開催している「マスク展」は如何なものだろうと思って、先日同館に出かけました。自分は昔から仮面が大好きで、その民族が有する原初的で生命感溢れる表現に、自分の創作意欲が刺激されてきました。とりわけアフリカの黒い木彫の仮面に強く惹かれます。20世紀初頭にピカソを初めとする多くの芸術家を魅了してきたアフリカ系プリミティヴ・アート。そこに新しいダイナミズムと美的価値を見いだした当時の芸術家に改めて感謝です。図録で気になったコトバを拾ってみます。「美術館で展示される仮面は、文化的な栄養分を絶たれてしまったという意味で、もはやもとの仮面とは似ても似つかぬものであるのかもしれない。けれども外部の世界からやってきた仮面を目の当たりにすると、見る側は多少なりとも混乱に陥る。この瞬間、展示室の壁は期せずして、西洋と非西洋、自文化と他文化というたがいに異なる世界が出会う界面になっている。その界面の上で、仮面はおそらく、ふたつの世界をつないで橋渡しをしているのである。(川口幸也氏著)」「ピカソがアフリカの仮面に注目した一方で、ブルトンは、特にオセアニアの仮面に対する賛辞を惜しまなかった。~略~パプアニューギニアの住民にとっては、~略~自然との逢瀬における存在のダイナミズムにおいて、異次元の〈境界〉を行き来することとは、彼等にとって実に容易い仕草であったに違いない。ブルトンはそこにこそ、シュルレアリスムが指向した痙攣すべき美の世界を認めていたのではなかったか。(神保京子氏著)」芸術家の造形意欲を刺激し続ける仮面群。アール・デコ建築とも相性の合う仮面群。美術館を後にした自分は精神的な充実を得られました。
2015.05.27 Wednesday
先日、東京渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「ボッティチェリとルネサンス フィレンツの富と美」展を見てきて、勤務中の緊張感が消え、ほっと和んだ瞬間がありました。キリスト教美術で思い出すのは、自分が20代にヨーロッパで暮らしていた頃に、教会建築や堂内を飾る荘厳な宗教画に辟易していた時期があり、自分の生育歴にない異文化の胎内で、やりきれない嗚咽感に襲われたことがありました。そんな若かりし頃の記憶からは想像も出来ないのですが、現在の自分はキリスト教美術によって癒やされています。本展に出品された宗教画のうちボッティチェリの作とされる聖母子像4点に、自分は静かで深い感動を受けました。羅列すると「聖母子と二人の天使(ワシントン・ナショナルギャラリー)」「開廊の聖母(ウフィツィ美術館)」「聖母子と二人の天使、洗礼者聖ヨハネ(アカデミア美術館)」「聖母子と二人の天使(ストラスブール美術館)」の4点です。注文主は当時フレンツェで富を成していたメディチ家とも考えられ、青年だったボッティチェリのスタイルにはリッピやヴェロッキオの影響が見て取れると図録にありました。経済の繁栄と密接だったそれぞれの画家の工房に思いを馳せながら、丁寧に描かれた宗教画をじっくり見せていただきました。
2015.05.26 Tuesday
陶彫による集合彫刻を作っていると、作品によっては同じような陶彫部品が複数出来上がってしまう場合があります。まして過去の作品と混同することだってあり得ます。この部品はどの作品の一部なのかを明確にするために、新作には新しい目印が必要です。そこで考えたのが小さな和紙に印を押して番号を付記する方法です。印はその作品によって異なるので、部品を取り違えることはありません。木彫された厚板屏風にも陶彫部品と同じ番号を貼り付けておけば、どの位置にどの部品を接合するのか明確になって、自分以外のスタッフがやっても作品が組み立てられるというわけです。そこで新作が出来上がる度に、新しい印を彫っています。今回の作品にも新しい印が必要になり、ようやく印を手がけ始めました。印を作るために印刀や印床を持ち出してきて、いよいよ今晩から始めます。印はこれだけでも立派な作品です。篆刻の厳密なルールを自分は知りませんが、文字をテーマにした小さな抽象絵画だと勝手に思っていて、陰刻陽刻の織り成す迷路のような世界に自分は魅了されるのです。そんな自由気儘な印をこれから作っていこうと思っています。
2015.05.25 Monday
今月の初旬に関西に出張で行ってきました。京都にある京都国立近代美術館で開催していた「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」は現代の生活と美術の関わりを改めて考える機会になりました。現代美術というカテゴリはあるにしても、自分は現代作られている作品は全て現代美術ではないかと思っています。ならば現代という時代が作らせている美術を定義するとすれば、現代美術とは、現代という時代を美術を媒体にして表現する行為ではないかと思っているのです。これは前時代的な額縁に納まっている美術ではなく、現代とはこういうものだと美術を窓口にして作家が提示しているものだとも言えます。その中で自分はドイツ人造形作家のゲルハルト・リヒターの数点の絵画に注目しました。フォト・ペインティングという技法で名を成した作家ですが、写真のブレやボケを絵画にすることによって生じる不思議な感覚が印象に残ります。突き放した絵画表現と言うべきか、極私的な写真表現と言うべきか、誰もが知る写真特有な画像が絵画に模されて、その両媒体の関係性を鑑賞者に提示されていて、その面白みや可笑しさが伝わってくると自分は解釈しています。現在生きていて、私たちを取り巻いていて、皆が共有している現象が、視点を変えることで楽しくなって豊かな世界に導いてくれるもの、これが現代美術かもしれないと思っています。そこに難解なものは微塵も無いと思います。
2015.05.24 Sunday
今日は日頃から工房で創作活動を展開する若いスタッフ3人がやってきました。加えて家内と私の計5人で「発掘~群塔~」の下塗りとドリッピングを行いました。全員が美術系の大学出身で、普段から絵の具の扱いには慣れている面々です。言わば塗りワザを持った子たちで、今回はそれが証明された結果になりました。油絵の具の数色をバケツで混ぜて、溶剤で塗り易くしてから刷毛で7点の屏風を塗っていきました。彼女たちのその手際のよさと早さはこちらが驚くほどで、7点の画面は見る見る塗られていきました。薄く塗られた箇所を再度塗る拘りもあって、昼ごろには下塗りが終了していました。この塗りワザのチームが力量を発揮したのは、寧ろ午後のドリッピングで、単一に塗られた画面にさまざまな色彩を振りまいて斑点をつけていく作業です。これは所謂職人には不可能な作業ではないかと思っていました。「自由にやっていいよ」と自分は指示を出しましたが、彼女たちの絵画やデザインで培ったバランスが働いて、美しいドリッピングが完成していきました。全体を見通して適度に絵の具を散らせる感覚が一人ひとりにあって滅茶苦茶な状態にはならないのでした。それだけでも充分に作品になりうるような斑点が重なり、作業している子たちも楽しんでいました。今日の作業は計画より早く終わり、そのお礼として彼女たちを工房から車で15分のところにある横浜動物園「ズーラシア」へ連れていきました。自分も家内も久しぶりの「ズーラシア」でしたが、スタッフの中には初めて訪れる子もいて、楽しく充実した一日を過ごせたのではないかと思っています。陶彫部品と色彩の調整は明日の晩から始めようと考えています。