2015.06.07 Sunday
今日は今夏個展で発表する「発掘~群塔~」の撮影日でした。この撮影日が作品の完成日となります。陶彫部品を組み合わせて集合彫刻としてまとめ上げる私の作品は、スタッフの協力がなければ組み立てられない作品なのです。初めて作品が組み立てられるのが撮影日と言うわけで、私自身も自分の作品の完成した姿を今日初めて見ることが出来たのです。作品は当初のイメージ通りになっているか、表現としての主張がきちんと伝わるようになっているか、全体のまとまりはどうか、表層的ではない完成度はどうか、さまざまな感情や思索が頭を過ぎっていきます。今日は朝9時に若い女性スタッフ2人、後輩の男性彫刻家、家内と私の5人で、工房内の作業机の移動を行いました。午前10時にカメラマン2人が登場し、手始めに木彫だけの野外撮影になりました。好天気に恵まれ、太陽光線がくっきり影を落とすなかで、順調に撮影が進みました。室内撮影に移行して、漸く「発掘~群塔~」の木彫屏風に陶彫部品が取り付けられました。この時、初めて自作の完成を胸中で祝いました。イメージ通りになっていたので、気持ちが弾み、少しずつ心の緊張が解けてきました。先日撮影した「発掘~丘陵~」も室内に設置しました。これが昨年夏から今年夏までの1年間の創作活動の全てだと思うと感無量でした。手伝ってくれたスタッフに感謝です。夕方3時には撮影が終わっていましたが、自分は日頃の疲れが出てヘトヘトでした。これから搬入日に向けた梱包作業に入ります。昨年より1ヶ月遅い梱包期間です。ギャラリーせいほうでの個展はまだ始まっていません。梱包も大変な作業です。次にやってくる搬入日を目指して頑張りたいと思います。
2015.06.06 Saturday
いよいよ明日が「発掘~群塔~」の撮影日となりました。今日は撮影のための準備に追われる一日でした。陶彫部品の修整が出来ているか、接合に使うボルトナットの塗装はどうか、木彫付き厚板の油絵の具は隅々まで効果的に塗られているか、床置きの大きな陶彫部品に不具合がないか等々、朝から夕方まで気を回しながら細々と動いていました。これは結構疲れる仕事でした。屏風の蝶番だけは自分ひとりではどうにもならないので、明日スタッフが来てから対応しようと思います。図録のレイアウトも大胆なアイデアが思いつかず、完成した立体作品を前に途方にくれています。毎年のことながら新作の状況が異なるせいか、撮影前日に余裕を感じることは今だかつて一度もありません。これは個展の搬入にも言えます。撮影や個展の展示が「一番おいしい仕事」と家内は言いますが、この仕上げに至っても不安を拭えない自分がいます。微細なことが自信喪失に繋がりそうで、また冷静になれば心配は不要と思ったりしますが、この揺れ動く心は一体何でしょうか。造形作品は自分の全てです。命懸けと言っても過言ではありません。この作品の実質のゴールは図録の撮影日なのです。明日がどうなることやら、半分は楽しみで半分は不安に駆られています。この歳で何年経ってもそんな初心な経験をさせてもらえるのは、創作行為ならではのことではないかと思っています。
2015.06.05 Friday
中学校の歴史の教科書に登場するフランシスコ・ザビエルは、一度は図版で容貌を見たことがある日本では有名な宣教師の一人です。初めて渡来した九州や伝導をした山口県には所縁のものが残されています。自分がザビエルに関する文庫本を手に取ったのは、随分前に行った長崎県の日本26聖人記念館でのことでした。彫刻の師匠である池田宗弘先生がキリスト教彫刻を作っていることがあって、自分の興味関心も遠い欧州から遙々やってきた宣教師に向けられていました。日本でキリスト教を根付かせるために、どんな困難な道のりがあったのか、当時の日本人の宗教観はどんなものだったのか、キリスト教伝来の史実を知りたくて「ザビエル」(結城了悟著 聖母の騎士社)を読みました。現在読んでいるドイツロマン派に関する書籍は重いので、時として軽量な文庫本を携えることがあります。「ザビエル」はそんな一冊でした。著者の結城氏はスペイン人で日本に帰化した司祭だったようです。本書にはザビエルがスペインのハビエル城で生を受け、パリ大学で学び、やがて信仰生活に入り、イエズス会の創立に尽力し、東洋各地へ布教を行い、日本を経て中国に至るところで絶命する、言わばキリストに捧げた真摯な人生が描かれています。ザビエルが清貧で人徳のあった人物であったことは疑う余地もなく、彼をここまで崇高にした宗教とは何かを考えさせる一冊になっていると思いました。文中で自分が興味をもった一節があります。日本人の謙虚で生真面目な姿勢が読み取れる箇所です。「すぐに信者にならないで、まず第一に教えを聞き、正しいと思うと説教者の私生活を見る。教えと生活が一致するなら、そのとき教えを受けるであろう。」と書かれた日本人の総体的な特徴は、現在忘れられつつある日本人の特性をもう一度考え直す契機になるのではないかと思うのです。
2015.06.04 Thursday
先日、上野の東京国立博物館に「鳥獣戯画 京都高山寺の至宝展」を見に行ってきました。今までにない大変な混雑ぶりで、鳥獣戯画の人気が伺えました。今回は鳥獣戯画の「平成の修理」が終わり、その過程で得られた知見によって、鳥獣戯画の成立と伝来の謎が少しでも解明できればという期待が込められた展覧会でもあったと考えられます。鳥獣戯画が描かれた背景に、京都の古刹である高山寺を再興した明恵上人がいます。有力帰依者の寄付によって多くの文化財が高山寺に集まり、その中に鳥獣戯画があったようです。これはどこで描かれたものか、誰が描いたものかを決定できる有力な説はありません。動物を擬人化した滑稽な物語も、その意図するところもわかっていません。漫画のルーツと言われる定説も、漫画が明治以降に西洋から入ってきたメディアであることを考えれば、すんなりとルーツと言えるかどうか疑問です。鳥獣戯画は甲乙丙丁の4巻から成る墨絵で、その中でも有名な甲巻を見た感想は、その筆の卓抜さ、手ワザの抑揚、動作の瞬間的把握に改めて驚きました。実物は意外に大きい画面なんだと思いました。ここで図録に掲載された文章から自分の興味を引いた部分を書き出してみます。「絵仏師あるいは、宮廷絵所の絵師という高い階層に属したものが、高い地位にある人物の注文を受けて『鳥獣戯画』を描いたのであって、絵師のただの筆遊びではなく、何らかの目的をもって制作されたと考えられるからである。~略~描かれた動物たちは神と交流するものとされ、神聖視されたものであったという解釈から、神を慰撫し、鎮魂する意図を見出す意見がある。~略~『鳥獣戯画』が描かれた当時は、戦乱によって非業の死を遂げた高貴な人物が多々いたであろう。絵巻を制作させた高貴な人物が、その怨霊化を鎮めるために呪術的な目的で制作したとも想像できるかもしれない。」(松嶋雅人著)まだまだ研究の余地がある鳥獣戯画。今後も新たな発見があるのではないでしょうか。魅力のある画業を後世に残していきたいものだと思いました。
2015.06.03 Wednesday
最近工房によく出入りしている若いアーティストが2人います。時にはスタッフとして私の作品を手伝ってくれますが、通常は創作活動をやっています。一人は中国籍の子で都内の美大に副手として勤務しています。もう一人は大学院先端芸術表現科に籍を置く学生で、染織を媒体にした作品を作っています。今日の話題はその学生に纏わる留学のことです。彼女は板染めという伝統技法を現代表現にアレンジした作品を作り続けていますが、半年間のインドネシア留学が決まり、日本から今日旅立ちます。当面ジョグジャカルタにある宿舎付きの工房に身を寄せる予定だそうですが、バリ島を初め各地を回って染織について学ぶ計画があるようです。彼女の留学が実り多い成果を生むことを願ってやみません。留学はネットの普及から現在では特別なことではなくなりました。語学を海外で学びたい学生は大勢います。留学が単なる旅行気分の延長で終わるのか、それとも深く文化や民族に触れ、やがて国際社会の中で生きていく糧となるのかは本人次第です。私も1980年から85年までヨーロッパにいました。自分のことを鑑みると留学が実効に結びつかなかった点を言えば成功とは言えません。空虚な時間が流れていっただけという印象が拭えません。それでも記憶の蓄積が現在の創作活動に結びついていると考えれば、無駄ではなかったと思えるのです。彼女の旅立ちに向けてエールを送ると共に、留学経験が今後の豊かな人生観を培ってくれるなら、絶好の期間に恵まれたと言っても過言ではありません。