Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • カッパドキア奇岩群
    カッパドキアを知ったのは学生時代に神田の古本屋街で立ち読みした古い美術雑誌に掲載されていた白黒写真からでした。地球上のものとは思えない不思議な世界に驚いて、思わずその古本を買ってしまったのでした。そのカッパドキアに1985年に行きました。まさか自分が写真で見た不思議な空間にいるとは信じられないくらいでした。トルコの中央アナトリアに位置していて、奇岩群にキリスト教徒が住み着いた場所があり、その人的に開けられた窓や扉がアートな空間を作っていました。ともかくカッパドキアという傑作な地名と独特な景観に身も心もすべて取り込まれ、現実とは思えない空間に酔ってしまいました。夢うつつな時間が流れ、近くに宿を取り、日暮れていく幻想空間にまた酔っているうちに、景観の精粋が心身にしみ込んで、ようやく次の場所に移動しようという気がおきてきました。ここで食べた奇岩のカタチをしたスイーツの強烈な甘さを舌に残しつつ、カッパドキアを後にしました。
    ハマム体験記
    トルコで一度は行ってみたいと思っていたのが、公衆浴場(ハマム)でした。カッパドキア観光のついでに寄ったユルギュップという小さな町で、このハマムを体験しました。公衆浴場と言っても日本の浴場とは異なり、腰巻をつけて、大きな平たい石の上に横になるというもので、石の下から熱が伝わって温かくなる仕組みになっていました。かなり身体が火照ってきたところに腰巻をつけた男が現れて別室に通され、身体中に石鹸をつけられてゴシゴシこすられました。この男は日本で言う三助で、自分の身体が揉みくちゃになるほど洗いました。もうこの体験はこれで充分と思いました。男女は時間で入れ替わるそうで、トルコの人にとってはリラックスタイムなのかもしれません。
    2つの地下都市
    トルコの地下都市を訪ねたのは20年以上も前のことなので、記憶が徐々に風化しています。訪ねた地下都市の名称はカイマクルとデリンクユでした。どちらがどうだったか忘れてしまいましたが、蟻の巣のように地下へ続く洞窟を地元の少年が案内してくれました。入り口には巨大な円形の石の扉がありました。この扉を転がせて入り口を塞いで、外敵から人々の暮らしを守るようになっていたのですが、扉がオブジェのように見えました。地下は8階まであって、ワインの製造所や教会などがあり、とくに印象的だったのは教会の床が十字架の形になっていたことです。通気口もありました。自分は狭い所が苦手で、人一倍圧迫感をもってしまうのですが、この地下都市では興味が先立って、閉所に対する強迫観念が吹き飛んでしまいました。それどころか自分の創作にこの地下都市の造形を取り入れられないものか、真面目に考えていました。そのくらいインパクトのあるひと時でした。
    円形劇場の景観
    自作に「発掘〜円形劇場〜」という陶彫レリーフがあります。HPのギャラリーにアップしています。ヘレニズム時代の遺跡をトルコやギリシャを訪ね歩くうち、円形劇場の見事な景観に心が奪われました。トルコのペルガモンは山の急傾斜にあり、眼下に広がる壮大な風景を舞台背景にして演じられるドラマはさぞ楽しかったであろうことが偲ばれます。エフェソスの円形劇場も巨大で、擂り鉢状の観客席から見える一本道が港に続いている景観に感動を覚えました。港から舟で来た人々がエフェソスに入ると円形劇場が真正面に見える演出に、当時の人々はこの都市の高度な文化を見たことでしょう。とにかく劇場は中心になる舞台に向かって円形の観客席が作られているので造形物としても極めてまとまりのある構造をもっています。張りつめた空気をそこに留めてしまう要素があって、遺跡としてもつい注目してしまうのです。それが発想の源になって、HPにあるような作品が生まれました。
    遺跡めぐり行脚
    1985年晩夏、5年間住んだウィーンの住宅を引き払って、ヘレニズム時代の都市遺跡を見にトルコやギリシャに数ヶ月の旅に出ました。交通手段はもっぱらバスと徒歩でした。ヒッチハイクもしました。何といっても遺跡は町から離れた山や土漠にあり、日本のように観光化されてはいませんでした。トルコのペルガモンやサルデス、エフェソスを振り出しにクシャダス、プリエネ、ミレトス、デイデイマ、アンタルヤ周辺の遺跡などを体力の続く限り見て歩きました。もう20年以上前のことなので、地名は虚ろに覚えていますが、印象はゴチャゴチャになって、どこの遺跡がどうだったかはハッキリしません。ただ都市を形作った計画はどこも立派で、当時の景観を思い浮かべるだけでワクワクしていました。この時、しっかり刻み込んだ敷石だけの景観やわずかに残った柱が、自分の作品として生まれるのは10数年先のことです。当時そんなことを考える余裕がなく、全身で遺跡のある場所の空気を吸っていました。