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  • 「イギリスのシュルレアリスム」について
    「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)はフランス発祥のシュルレアリスムについて述べたものですが、イギリスでもその動きがありました。「イギリスのシュルレアリスム」について、気に留めた箇所をピックアップしていきます。イギリスには気鋭の評論家ハーバード・リードがいて、ロンドンで開催された「国際超現実主義展覧会」について講演をしています。「注目すべきことは、この展覧会の講演会でのハーバード・リードが、完全にシュルレアリストの立場をとっていることである。『芸術の意味』『今日の芸術』『芸術と工業』などの著者はまったく面目を一新した趣きがあるが、今後の仕事にいっそうの活躍を期待したいと思う。彼は二回にわたる講演で、イギリスにおけるあらゆる因襲的観念を批判し、シュルレアリスムの位置を確立しようとしている。~略~『人間の性格の分離は不定のものであり、またこの性格の選択された一部分にのみもとづいた芸術形式もまた不定である。古典主義のなかに見出される知性の芸術、印象主義の眼の芸術、表現主義の感情の芸術などーすべてこれらは芸術の部分的な不完全な形態であり、理想的先入観の種々な形式にほかならない。もしわれわれの目的がレアリテにあるとすれば、そこに人間的体験のあらゆる諸相を包含しなければならないのであって、夢や白昼夢、狂気、幻覚などに現われる無意識生活の諸要素を排除してはならない。』内部世界と外部世界との諸問題については、ブルトンたちの数年来主張してきた論拠に一致点を求めようとしている。~略~『シュルレアリスムの庭園のすべてがつねに美しいものではない。この不完全と崩壊の時代に、その芸術がその様式において単一であり、内容において肯定的であることは不可能である。創造の前には破壊がある。シュルレアリスムが嘲笑やファースの要素を帯びるとすればこの理由からである。』今回はここまでにします。
    週末 GWというけれど…
    昨日からゴールデンウィークが始まり、高速道路や駅、空港等の混雑ぶりがテレビ報道で伝えられています。好天に恵まれ、気温も上昇すれば、どこかへ出かけたくなる気持ちになるのは、心情としてよく分かります。私も教職に就いていた頃は、ゴールデンウィークが待ち遠しかった思い出が甦ります。私の場合ゴールデンウィークは、時間をかけて創作活動ができたからでした。教職員は暦通りの休みしか取れないため、飛び石連休になることはありましたが、通常の週末とは違い、連続して作品が作れる幸せがありました。ゴールデンウィークのための制作目標も考えました。彫刻を作り始めると、一日が短く感じられて、ゴールデンウィークもあっという間に過ぎ去り、なかなか目標通りにいかなかった自分に焦りも覚えました。栃木県益子町や茨城県笠間市に住む陶芸家の友達に会いに行ったこともありました。益子町の陶器市や笠間市の陶炎祭に自作の陶器を展示していた友達と、久しぶりに積もる話をして楽しく過ごしたことを思い出しますが、今でも時間が取れれば、それも可能です。今年の私は7月個展に向けて、陶彫立方体の制作に追われていて余裕が持てないのです。ゴールデンウィークというけれど、今の私にとって特別なことはありません。仕事を退職すると、ゴールデンウィークの有難味は薄れます。日常の工房通いが続いているだけです。朝9時に工房に入り、夕方は4時か5時まで工房に留まっています。作業の合間に休憩を取ると、身体が動かなくなるのは加齢の証かなぁとも思いますが、気分は上々です。最近は額に汗が流れるようになりました。水分もこまめに取っていますが、もう夏の態勢になっているのが、例年より早いと感じています。
    週末 飼い猫死亡と映画鑑賞の1週間
    週末になりました。今週を振り返ります。今週で一番印象が強かったのが、飼い猫として17年間連れ添ったトラ吉が、月曜日未明に亡くなったことでした。ワンボックスカーに焼成炉を積んだ火葬車というものがあって、自宅の庭先に車を停めてトラ吉を火葬しました。小さな骨壺に収まったトラ吉はリビングに置いてあります。17年間お世話をしていたので、その習慣が抜けずに家内はそのたびに思いに耽っていました。私は毎日朝から夕方まで工房に出かけていたので、トラ吉の使用したグッズの後始末は家内がやってくれました。火曜日の午前中、私は地域の公立中学校に呼ばれて、学校運営協議会に参加してきました。私は教職を退職してもう3年が経ち、そろそろ学校教育のことが頭から離れつつあるのに、こうした機会が与えられて学校現場に関われることを幸せに感じます。地元の学校が良くなることに尽力できればと思っています。この日の午後は家内とエンターティメント系の映画館に、現在流行っているアニメ映画を観に行ってきました。この情報は教え子から得たもので、私は20代の子たちと付き合いがあり、なおかつ美術を専攻する者として、日本が世界に誇るアニメーションに興味関心があるからこそ、今もアニメ映画に足を運ぶのかなぁと思っています。ヴィジュアル系表現の巧みさで言えば、日本のアニメーションには眼を見張るものがあり、人の心を掴むキャラクターを創り出す能力では、アメリカのディズニーに匹敵するのではないかと思っています。世界を席巻するサブカルチャーが日本で生まれたことに誇りを感じるこの頃ですが、自分がやっている空間造形もそうありたいと願っています。ともかく、今週も朝から夕方まで陶彫制作に励みました。
    「シュルレアリスムの作家像」について➁
    「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「シュルレアリスムの作家像」の後半に掲載されている芸術家の言葉についてピックアップいたします。芸術家はハンス・アルプ、サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト、アルベルト・ジャコメッティ、ホアン・ミロ、ポール・ナッシュ、パブロ・ピカソ、マン・レイ、イヴ・タンギーの9人の言葉が取り上げられていましたが、言葉によっては短文があり、主張が明確に述べられている長文の5人に絞らせていただきました。「理性は人間に向って、自然の上位に立ち万物の尺度となるように命ずる。そこで人間は自然の法則に反して生きかつ創造しうるものと思い込んでしまう。ところが彼の生むのは出来損ないだ。」(アルプ)「自発性というものについても、ぼくはやはり豚の脚だといいたい、しかもそれはあべこべの豚の脚であって、いわば伊勢海老の如きものである。これは人の知るように、豚の脚とは反対に、骨骼は外部に現われていて、美味な肉つまり狂気はその内面を占めている。」(ダリ)「一度物体が構成されると、ぼくはそこに自然に、ぼくを深く感動せしめた影像や印象や事物、自分になにか非常に近いと感じられる諸形態をふたたび発見するのがつねである。」(ジャコメッティ)「18世紀の終りに狂人呼ばわりされたブレイクは、万物のなかに彼がつねにアルビオンと呼んだ世界の秘められた意義を認めた。同時にその作品は彼の生国の強い影響を受けている。彼の詩は一言半句すべてイギリスから生まれたものである。彼の全生涯は彼の内部の眼が知覚するための象徴を発見するために捧げられた。しかし惜しくも彼の手はまれにそれを表現し得たのみであった。」(ナッシュ)「一枚のタブローを描きはじめようとする時のぼくはそれがどうなるかをまったく知らないのだ。ひとつの形体は、それがどんな形であるかを考えてみるまでもなく生まれ出てくる。他の形体もそれにつづいてくる。すべてが意識的な干渉なしに生じる。ぼくは最後の筆を措くまで、全体の観念を持たない。」(タンギー)今回はここまでにします。
    「シュルレアリスムの作家像」について➀
    「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「シュルレアリスムの作家像」について気になった箇所をピックアップいたします。ただし、本章は個々の芸術家の言葉を掲載しているため、前後半に分けて書いていきます。今日は芸術家の言葉の前に、その導入としての論考を中心にしていきます。まずシュルレアリスムで使われる技法の解説から。「コラージュとは、いわば既成の絵を切り抜いた貼り合わせ絵である。~略~ブルトンは『平凡な銅像でも溝のなかに立っていると驚異の対象となる。平常な位置から対象を追放して夢のなかでしか見られないような、異常な位置に置くことが芸術の重要な機能である』といっているように、コラージュは超現実主義詩法の完全な絵画的適用であるといわねばならない。」次にフロッタージュについて。「フロッタージュ(摩擦画)はエルンストの発見した手法であって、子供がよく銅貨や木理に紙を当てて鉛筆を擦って遊ぶ手法である。~略~近代絵画における触覚の役割は非常に大きなものであるが、彼はこの触覚的な苛立たしさのいわばネガティヴを取るために、あらゆる材質に応用して見た。これは物質に内在する不思議な呟きを触発するのであった。」次はダリの絵画論について書かれた箇所を引用いたします。「彼は偏執狂的な絵画によって、ヨーロッパの絵画史を作りかえているのだ。近代絵画は立体派以後、造型的様式はいよいよアブストラクトな傾向を帯びて来たのであるが、ダリはむしろこうした系統の全き対蹠点に位置している。彼はイギリスのラファエル前派に関する特異な論文のなかで、セザンヌの林檎はプラトニックな食べられないゴツゴツしたものであるが、ラファエル前派の描いたそれは水々しく形態的にも真に重力と弾力をもった感性的な林檎であると歎賞しているのは、現代絵画の形態学に興味ある暗示を与えるのである。彼の一定義にしたがえば『美は可食的である』ということになる。」今回はここまでにします。