Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 新聞記事より「飾りのない描写」
    今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり 正岡子規」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「机の上の瓶より垂れる花房が短くて床に届かない、その景色を写生しただけの歌。ただ、病床に臥す俳人は藤を下から眺めている。『今を盛りの有様』なる花の、届かないというその一事を緊張の時として愉しんでいるのか、あるいは、何処かへ行き着く途上で生を中断せざるをえないであろう自身を花に重ねたのか。飾りのない描写だからよけい想像が蠢く。『墨汁一滴』から。」俳人正岡子規は日本の俳句に革新を齎せた人物として知られています。その革新とは何か、西洋美術にある写生という概念で、つまり飾りのない在りのままの描写です。見えた通りの風景を見えた通りの言葉にする、それは誰でもできるようでいて、誰にもできない表現だと私は思っています。それは作者の視点にあると私は考えていて、見えた風景のこんなところを捉えたのかと、改めて私は感心してしまうのです。完成した句はあたりまえな眼前の事を謳っているのに、どうして妙に心に届くのか、深い思考も感じられず、洒落た技巧もありません。その分、語られていない余白が気になって仕方がないという心理が働きます。そこから憶測が目を覚まし、きっと作者はこんな風情を感じ、あんな未来を予見し、そんな過去に囚われていたのではないか、と勝手な思いに駆られてしまうのです。彼の頭の中では、幾重にも思考が重なり合って、それらを昇華させ、あえて単純な言葉に辿り着いたのか、それとも何も考えず、天才肌をもって俳句を紡いだのか、そんなことは誰にも分かりません。比喩や暗喩の波間を漂い、また深海に身を沈め、さらに論理を駆使して武装を行なっている文章を、あれこれ壁に突きあたりながら把握した挙句に、ふと単純な言葉に気持ちが持っていかれるような爽快感が、正岡子規ワールドにはあると思っています。日本語の不思議な感覚を思わせる俳句の世界は、世界に冠たる文学ではないでしょうか。
    映画「死の天使ヨーゼフ・メンゲレ」雑感
    今日の午前中は工房で作業を行ない、午後から東京の新宿にあるミニシアターに映画「死の天使ヨーゼフ・メンゲレ」を観に出かけました。今日は私一人で行きましたが、嘗て私は岩波ホールで「メンゲレと私」というドキュメンタリー映画を観ていて、D・ハノッホ氏のインタビューに強烈な印象がありました。本作は新聞の映画評で知り、戦後メンゲレが南米に逃亡を図り、そこでどんな潜伏生活を送っていたのか、私には興味が尽きませんでした。医師ヨーゼフ・メンゲレは、アウシュヴィッツ収容所に送られてきたユダヤ人に対し、労働可能か否かを選別し、労働に耐えない人はガス室送りとなるが、そこで人体実験も行ったようです。図録によれば「彼らは『劣等人種』と『優等人種』の違いが遺伝子により裏付けられているのだと信じ、遺伝研究でそれを証明しようとした。メンゲレは収容者の血液を標本として採取し、人種に特有の蛋白質を見つけようとした。」(柳下毅一郎著)本作では収容所で人体実験を行う場面をカラーで表現し(それは顔を覆いたくなる場面も含まれていましたが)、南米での潜伏生活をモノクロで表現しています。まるでメンゲレにとって収容所時代が生涯の中で一番煌めく時代だったようにも感じました。その後に続く無味乾燥な時代が裁きと復讐から逃げ惑った時代で、本作ではここを中心に据えて、殺人者は己自身の幻影に追われる如く、憔悴の中で、時に周囲の理解者に癇癪を引き起こすこともあったのでした。それでもメンゲレは相変わらずドイツ民族の優位性を信じ、ヒトラーを敬愛し続けることが、私たち観客を戦慄させるのに十分な口撃力がありました。私はこんな実話を土台にしたドラマに真っ向から挑んだ制作者たちに作り手の覚悟を見ました。本作はそのテーマ故に多くの観客を惹きつけることはないと思いましたが、一人の怪物を丁寧に描くことに拍手を送りたいと思っています。ヨーゼフ・メンゲレは為名のままブラジルのサンパウロで69歳で絶命しました。海水浴中の心臓発作が死因で、裁きを受けたわけではありません。ただし、その後の調査によって埋葬された遺体がヨーゼフ・メンゲレと判明したのでした。私が今まで観た映画の中で、モヤモヤして納得のいかない結末を迎えた映画は他にないと思っています。その分、強烈な印象が残ることになりました。
    「P・ツーリズムの世俗化」について
    「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第2章  ピクチャレスクと観光」の中の「3ピクチャレスク・ツーリズムの世俗化」を取り上げます。ここではウェスト著作「湖水地方案内」が中心となります。「18世紀半ばから始まったピクチャレスク・ツーリズムの拡大を示すガイドブックに、ウェストの『湖水地方案内』(1778)がある。『半世紀にも渡って殆ど全ての訪問者が携えていった』という湖水地方最初のこのガイドブックは、ピクチャレスク・ツアーの人気に支えられてブームが一段落する1821年までに11版を数えるほどの需要があった。~略~ウェストの場合は、案内書に徹するために個人の感想を記録することはできるだけ排し、実用的な情報に絞って読者に紹介しようとしたことも原因の一つだろう。その背景には、ガイドを雇わず独力で観光しようとするツーリストがウェストの時代に増えており、表現の豊かさはないが実質的には役立つ案内書のニーズが高まっていたということがあるだろう。実用書としては成功したウェストのガイドブックは、風景表現においては客観的な描写を追求することでステレオタイプ化は避けられなくなることを教えてくれる。ギルピンが目指したのも、既成の表象性をできるだけ排除して客観的に、そして正確に対象を描写することによって風景美を表現することだった。彼は、神の創造した自然は極めて多様なので、その『自然を綿密に模倣すればするほど、形式に堕することを免れるチャンスは大きくなる』と主張する。しかし、対象をどれだけ『綿密に』描き出そうとしても結局はステレオタイプ化を免れることはできなかったことは、彼の数々の旅行記の記述が証明している。~略~ウェストの『湖水地方案内』は初期のピクチャレスクが目指した客観的描写の典型例であり、実用書として成功した理由もその徹底さにあったと言える。同時に本書は描写の客観性や正確さの限界を明らかにし、読者に風景を伝えることの難しさを示した作品であると言えるだろう。」今回はここまでにします。
    新聞記事より「一葉の言葉」
    連日、米イスラエル軍がイランに軍事攻撃をしているニュースが流れていて、気持ちが塞ぎこみそうになっている時に、今日の朝日新聞「天声人語」の記事が目に留まって、ふと癒しを感じたのは私だけではないと思います。そうか、今日はひな祭りだったっけと思い、その情緒溢れる文面に匂い立つ季節感を取り戻しました。「19歳の春のこと、樋口一葉は日記に書いている。明治25年といえば、西暦では1892年、その3月3日は雨の降る日だった。〈上巳の節会なればとて、白酒、いり豆などととのへて一同祝ふ〉暦を見れば、一年には五つの節句がある。5月5日の端午、7月7日の七夕のほか、上巳の節句もその一つ。別の呼び名では、桃の節句であり、ひな祭りである。一葉の家には姉も訪ねてきて、家族みんなで祝ったらしい。日記を読み始めると、降りやまぬ雨、原稿の執筆、文人との交遊と穏やかな日が続く。貧しく、手狭な家にいても〈優々たる春の光、春の匂ひの、身にも心にも家のうちにもみち渡りたる〉。そんな我が親子の暮らしに、たのしきもの、ありやあらずや。一葉のささやかで、小さな幸せを感じる文章である。同時に、何とも切ない気持ちにもなる。のちに彼女が困窮を極め、病に苦しみ、24歳で逝ったのを知っているからだろう。その夭折を惜しむ。~略~連日の雨、夜の間に晴れ渡りて、うらうらと霞む朝のけしき、いとのどか也。一葉の言葉は、うつくしい。蕩々たる春の風が、梅の花をみだし、薫りたつ。鶯の声もひびいている。ああ我や、どの春を、よの人にお見せしましょう。」一葉が日記に書いた日と同じ、今日も雨がそぼ降るひな祭りとなりました。寒の戻りか、今日の工房は深々と冷え込んでいて、彫刻の作業場には情緒もなく、私は只管電動工具を動かしていました。樋口一葉がその短い生涯の中で紡いだ物語は、短編ながら珠玉の輝きがあると思っていますが、私にはどんなに創作の環境にあっても文学性を掠めるようなコトバが出てきません。高村光太郎のような骨太な詩が生まれることはなく、樋口一葉のような美しさを何気なく記せるものでもなく、私は工房の窓にあたる雨を眺めていました。
    「P理論の実践」について
    「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第2章  ピクチャレスクと観光」の中の「2ピクチャレスク理論の実践」を取り上げます。これはギルピンの著作「湖水地方観察紀行」が中心となる論文になります。ここで有名なナショナル・トラストの考え方が登場します。「土地所有者達は『好ましい趣味』を持って土地を管理する責務を担っているのであり、それによってその土地は『一種の国民全体の財産』と呼べる場所になる。この考え方がのちのナショナル・トラストや国立公園の創設の礎石になっていったということはよく知られている。ギルピンは廃墟の保護について、それがのちの世代のための『預託物』であり、所有者は単なる保護者にすぎないと言っているが、まさにこの「預託」あるいは『信託』と言う考え方を実践する公共の組織として作られたのが、ナショナル・トラストだった。~略~彼の描いた風景は、外面的な特徴を詳しく正確に描くということを基本にしており、表象的要素に多くを依存した18世紀前半までの手法から脱却し、一定のルールの中においてではあるが観察による対象の客観的な描写を目指したという点にその意義がある。~略~言語によって眼前の風景を読者に伝えることの難しさに彼は直面することになり、一度自らが否定したアナロジーや想像力といった観念的な手法に支えられた描写を部分的にせよ再導入することになる。『湖水地方観察紀行』には、観察力と想像力、客観と主観との狭間で揺れるギルピンの時代感覚が読み取れる。『湖水地方観察紀行』のもう一つの特徴は、伐採された森林や崩壊してゆく廃墟への言及がしばしば認められることであった。これは旅の途中でギルピンが仔細に風景の変化を観察していた証拠であるだけでなく、彼が自然と人間との関係について考究する手がかりともなっている。森林の伐採はこの時代の人間による自然破壊行為の代表的な例であるが、一方で廃墟をのみ込む植物の生命エネルギーは人為を越えた自然の力の象徴である。」今回はここまでにします。