2026.03.04 Wednesday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第2章 ピクチャレスクと観光」の中の「3ピクチャレスク・ツーリズムの世俗化」を取り上げます。ここではウェスト著作「湖水地方案内」が中心となります。「18世紀半ばから始まったピクチャレスク・ツーリズムの拡大を示すガイドブックに、ウェストの『湖水地方案内』(1778)がある。『半世紀にも渡って殆ど全ての訪問者が携えていった』という湖水地方最初のこのガイドブックは、ピクチャレスク・ツアーの人気に支えられてブームが一段落する1821年までに11版を数えるほどの需要があった。~略~ウェストの場合は、案内書に徹するために個人の感想を記録することはできるだけ排し、実用的な情報に絞って読者に紹介しようとしたことも原因の一つだろう。その背景には、ガイドを雇わず独力で観光しようとするツーリストがウェストの時代に増えており、表現の豊かさはないが実質的には役立つ案内書のニーズが高まっていたということがあるだろう。実用書としては成功したウェストのガイドブックは、風景表現においては客観的な描写を追求することでステレオタイプ化は避けられなくなることを教えてくれる。ギルピンが目指したのも、既成の表象性をできるだけ排除して客観的に、そして正確に対象を描写することによって風景美を表現することだった。彼は、神の創造した自然は極めて多様なので、その『自然を綿密に模倣すればするほど、形式に堕することを免れるチャンスは大きくなる』と主張する。しかし、対象をどれだけ『綿密に』描き出そうとしても結局はステレオタイプ化を免れることはできなかったことは、彼の数々の旅行記の記述が証明している。~略~ウェストの『湖水地方案内』は初期のピクチャレスクが目指した客観的描写の典型例であり、実用書として成功した理由もその徹底さにあったと言える。同時に本書は描写の客観性や正確さの限界を明らかにし、読者に風景を伝えることの難しさを示した作品であると言えるだろう。」今回はここまでにします。
2026.03.03 Tuesday
連日、米イスラエル軍がイランに軍事攻撃をしているニュースが流れていて、気持ちが塞ぎこみそうになっている時に、今日の朝日新聞「天声人語」の記事が目に留まって、ふと癒しを感じたのは私だけではないと思います。そうか、今日はひな祭りだったっけと思い、その情緒溢れる文面に匂い立つ季節感を取り戻しました。「19歳の春のこと、樋口一葉は日記に書いている。明治25年といえば、西暦では1892年、その3月3日は雨の降る日だった。〈上巳の節会なればとて、白酒、いり豆などととのへて一同祝ふ〉暦を見れば、一年には五つの節句がある。5月5日の端午、7月7日の七夕のほか、上巳の節句もその一つ。別の呼び名では、桃の節句であり、ひな祭りである。一葉の家には姉も訪ねてきて、家族みんなで祝ったらしい。日記を読み始めると、降りやまぬ雨、原稿の執筆、文人との交遊と穏やかな日が続く。貧しく、手狭な家にいても〈優々たる春の光、春の匂ひの、身にも心にも家のうちにもみち渡りたる〉。そんな我が親子の暮らしに、たのしきもの、ありやあらずや。一葉のささやかで、小さな幸せを感じる文章である。同時に、何とも切ない気持ちにもなる。のちに彼女が困窮を極め、病に苦しみ、24歳で逝ったのを知っているからだろう。その夭折を惜しむ。~略~連日の雨、夜の間に晴れ渡りて、うらうらと霞む朝のけしき、いとのどか也。一葉の言葉は、うつくしい。蕩々たる春の風が、梅の花をみだし、薫りたつ。鶯の声もひびいている。ああ我や、どの春を、よの人にお見せしましょう。」一葉が日記に書いた日と同じ、今日も雨がそぼ降るひな祭りとなりました。寒の戻りか、今日の工房は深々と冷え込んでいて、彫刻の作業場には情緒もなく、私は只管電動工具を動かしていました。樋口一葉がその短い生涯の中で紡いだ物語は、短編ながら珠玉の輝きがあると思っていますが、私にはどんなに創作の環境にあっても文学性を掠めるようなコトバが出てきません。高村光太郎のような骨太な詩が生まれることはなく、樋口一葉のような美しさを何気なく記せるものでもなく、私は工房の窓にあたる雨を眺めていました。
2026.03.02 Monday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第2章 ピクチャレスクと観光」の中の「2ピクチャレスク理論の実践」を取り上げます。これはギルピンの著作「湖水地方観察紀行」が中心となる論文になります。ここで有名なナショナル・トラストの考え方が登場します。「土地所有者達は『好ましい趣味』を持って土地を管理する責務を担っているのであり、それによってその土地は『一種の国民全体の財産』と呼べる場所になる。この考え方がのちのナショナル・トラストや国立公園の創設の礎石になっていったということはよく知られている。ギルピンは廃墟の保護について、それがのちの世代のための『預託物』であり、所有者は単なる保護者にすぎないと言っているが、まさにこの「預託」あるいは『信託』と言う考え方を実践する公共の組織として作られたのが、ナショナル・トラストだった。~略~彼の描いた風景は、外面的な特徴を詳しく正確に描くということを基本にしており、表象的要素に多くを依存した18世紀前半までの手法から脱却し、一定のルールの中においてではあるが観察による対象の客観的な描写を目指したという点にその意義がある。~略~言語によって眼前の風景を読者に伝えることの難しさに彼は直面することになり、一度自らが否定したアナロジーや想像力といった観念的な手法に支えられた描写を部分的にせよ再導入することになる。『湖水地方観察紀行』には、観察力と想像力、客観と主観との狭間で揺れるギルピンの時代感覚が読み取れる。『湖水地方観察紀行』のもう一つの特徴は、伐採された森林や崩壊してゆく廃墟への言及がしばしば認められることであった。これは旅の途中でギルピンが仔細に風景の変化を観察していた証拠であるだけでなく、彼が自然と人間との関係について考究する手がかりともなっている。森林の伐採はこの時代の人間による自然破壊行為の代表的な例であるが、一方で廃墟をのみ込む植物の生命エネルギーは人為を越えた自然の力の象徴である。」今回はここまでにします。
2026.03.01 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日から3月で、そろそろ新作の制作に拍車を掛けなければならないかなぁと思っています。私は教職が長かったせいで、3月は年度末という意識が強くて、1年間の締めくくりを感じてしまいます。退職してから数年経っているので、12月を1年の締めくくりにすれば良いのになぁと思いますが、昔から使っているバインダー製の小さな手帳は、日記を4月始まりにしています。先日も年度で替えていく新しい日記を購入してしまいました。そんな年度末の3月ですが、桜の季節とともに歩んで行けるので、日本人には馴染みがあるのだろうと思います。季節はまだ三寒四温ですが、これからは確実に暖かくなっていくので、制作時間を朝9時から夕方3時までのルーティンに戻していこうかと思っています。このところ美術鑑賞も映画鑑賞も少なくて、そろそろ感性に潤いが必要かもしれません。夜には読書もRECORD制作も継続していて、私は社会との繋がりが希薄となった自由気儘な人間なのに、何かと忙しい毎日を過ごしています。勿論これは生活のための仕事ではなく、好き勝手に自分で進めている活動なので、気遣いはまったくありません。自分自身の輪郭を辿り、心の底を広げ、そこから造形して立ち上げていくものをギャラリーで発表し、見に来られた人の心に刻まれることがあれば、私は満足です。それは結構難しいことで、人の気持ちに入り込める造形は、並大抵の力量では太刀打ちできないと考えています。そのために毎日制作をやっていて、一人で悩み、一人で納得したりしているのです。そこに正解はありません。それでも突き進めていくのが作家魂なのだろうと思っています。今月も頑張っていく所存です。
2026.02.28 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行なうのですが、今日は2月の最終日なので、今日は1ヶ月分の振り返りを行ないます。2月は28日しかないので1カ月が早く過ぎました。今月は28日間のうち25日間は工房に通いました。工房に行かなかった3日間は雪が積もった日と「如月展」の搬入日と搬出日でした。工房での制作は、1カ月間ずっと壁に掛けるパネルに貼り付けるレリーフ制作をやっていました。毎日、電動糸鋸盤を駆使して杉板の刳り貫き作業ばかりで、これはほぼ工芸的な技法なので、彫刻を作っているようには思えませんでした。毎日制作状況をメモしている小さな手帳を見ると、制作時間が長くなってきていて、これは寒さが緩んでいる証拠になります。亡父の残してくれた工房周辺の植木畑を見ると、梅の花が咲いて、そこに鳥たちがやってきています。青空が広がる日には、その花々の楚々とした煌めきと鳥たちの囀りが空に映えて美しいなぁと感じました。また柑橘類も実をつけていて、確実に季節は冬から春へ変わろうとしている息吹を感じます。それに伴い花粉も飛んでいて、私は今もくしゃみが止まりません。今月は衆議院選挙があったり、確定申告もありました。今月の鑑賞では「鹿子木孟郎展」(泉屋博古館東京)に行きました。元管理職で同僚だった女性作家による刺し子展(ブラフ18番館)にも顔を出しました。鑑賞の機会としては少なかったと思いますが、退職校長会による「如月展」を開催していた関係で、気分的には慌ただしい感じを持ちました。読書では隠れキリシタンを調査した論文を読み終えて、現在はピクチャレスクとイギリスの関係を論じた書籍を読んでいます。文中には些か難解な表現もありますが、ボケ防止と思って、難題に齧りつきながら理解に努めています。RECORDは遅ればせながら夜の時間を決めて作っています。前にも書きましたが、RECORDは造形的発想の訓練にもなっていると感じていて、イメージを鍛錬するためにやっているとも言えます。明日から3月で光陰矢の如しを実感しています。