2026.02.20 Friday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第1章 ピクチャレスクとは何か」の中の「4ピクチャレスクと森林」の気に留めた箇所を取り上げます。「激動のピクチャレスクの時代に描かれた田園風景の中で、現実の変化が際立ち、それゆえに風景美に最も影響が大きかったと思われるのは森林である。~略~ピクチャレスクの観察者達は、この植林の動きを批判している。彼らの反発の理由は、外来種の植林はその土地の気候や風土に合わないため発育が悪く、また外来種であること自体が在来種から構成されてきた従来の風景の調和を乱すからというものである。しかし、彼らが外来種を排除する姿勢を見せたのは、発育が悪いという実利面や美観の面からだけではない。ピクチャレスクの風景は多分に表象的な要素をも含んでいた。~略~世代を越えて人々が試行錯誤を繰り返しながら積み上げてきた経験を尊重することで、理想社会の調和は多様性を統合しながら実現されるものであることが強調される。その結果として、各々の環境に応じて社会に階層的序列によって支配される秩序が生じたとしても、それは特定の世代によって修正されるべきものではない。バークは社会が形成されてゆく様を『自然の過程』と表現し、この尊重こそ革命中のフランスの指導者に欠けている点であるとする。自然の森は、時間の経過と共に様々な多様性を許容しながら理想的な美観を呈すべく形成されてゆくように定められているものであり、バークにとってはそれこそ人間社会が形成される際にモデルとすべきものなのだ。~略~庭園は、イギリスという国はどうあるべきかをエリート達が議論する場であったということだろう。その議論を通して、伝統的な社会・階層・秩序が維持されるべきことが主張され、その維持はキリスト教的なモラルにもつながっていた。風景論全般が一種の『リベラル・アーツ』だったのであり、ピクチャレスクの風景はそこに意味を読み込むテキストでもあるという一面を持っていたのである。」今回はここまでにします。
2026.02.19 Thursday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第1章 ピクチャレスクとは何か」の中の「3ピクチャレスクと革命」の気に留めた箇所を取り上げます。「ピクチャレスクの時代には風景との接し方に大きな変化があったが、この時代の政治や経済の影響も無視できない。18世紀後半から始まった政治・農業・産業の分野における革命は、風景の見方だけではなく現実の風景そのものにも影響を及ぼした。~略~ピクチャレスクが描いているのはノスタルジックな風景であると歴史主義者達は主張したが、ギルピンは視覚的特徴がピクチャレスクの条件に合致しているものは伝統的な田園風景に限らず描写の中に織り込んでおり、そこには産業革命との関連が明らかな事象も観察・描写の対象から排除されてはおらず、その美と醜の両面を描いている。」この時代はフランス革命やアメリカの独立戦争があり、革命の機運が高まっている中で、社会の構造が風景に与える影響もあったようです。「ピクチャレスク・ツアーの訪問先の村々の多くは、近代化の嵐から守られたパストラルの理想郷として描かれる傾向があった。この背景には18世紀の前半から始まっていたパストラリズムや原始主義(プリミティヴィズム)の流れがあるが、そこにも近代化への反発を見出すことが出来る。~略~1790年代に対岸の革命の最中に高まった自国讃美の潮流は、18世紀半ばからすでに始まっていた。このナショナリズムの傾向は、プライスやナイトの風景論のみならずメイスンの『イギリス庭園』などにおいても自生種の植物の礼賛と外来種の排斥という形で現われている。また風景美への関心の中で、労働者の住居を外観だけ模倣したコテージ・オルネ(装飾コテージ)なるものを地主が庭園の中に新しく建てることが流行するが、これはパストラリズムや労働者の理想化の影響である。実際の建築をめぐって、現実の貧困層の住居の改良運動と富裕層のコテージ趣味の発展とは相互に刺激し合いながら発展していった。」今回はここまでにします。
2026.02.18 Wednesday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第1章 ピクチャレスクとは何か」の中の「2ピクチャレスクと観察」の気に留めた箇所を取り上げます。「自然は第二の聖書であるという認識があり、18世紀後半になっても自然の探究は基本的にはその創造主である神をより深く理解することに結びついていた。キリスト教神学の枠組みの中で自然の探求は深められていったが、その主たる手段は『観察』だった。~略~絵画の重要性が示しているように、ピクチャレスクの追求の中で最も重視されたのは視覚による観察対象へのアプローチである。~略~アディスンは『スペクテイター』において『想像力の楽しみ』についての一連の文章を1712年に書いているが、その最初で彼は『想像力に着想を与える』のは『全ての感覚のうちで最も完璧で最も喜ばしく』、『最も多様な思考で心を満たす』視覚であるとして、目の優位を説いた。」その後、ピクチャレスクにおいて視覚だけでなく、聴覚や触覚という諸感覚も重要であるという論考が続き、次のような文章が登場しました。「諸感覚を通した観察は自然への接し方を変えることになり、ピクチャレスクの風景描写の変化と同様に近代科学全般を後押しした。ピクチャレスクが流行したのは、ちょうど近代科学の黎明期だった。ピクチャレスクは観察対象からの刺激を諸感覚を通して受け取るようになっていったが、その変化と18世紀後半における神経繊維をめぐる生理学の目覚ましい発展とは無関係ではないだろう。~略~ピクチャレスクと博物誌という自然に対する二つのアプローチは相容れないものではなく、両者をいかに融合するのかはこの時代に目指された課題の一つだった。~略~ギルピンやペナントのみならずピクチャレスクの時代の旅行記の殆どは、風景美の描写だけではなく、旅先で作者達が『観察』した多くの生き物や出来事などを記しており、そこには博物学の視座が取り入れられている。」今回はここまでにします。
2026.02.17 Tuesday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第1章 ピクチャレスクとは何か」の中の「1ピクチャレスクの展開」の気に留めた箇所を取り上げます。「ピクチャレスクの流行に実際に貢献したのは、オリジナルの水彩画などの風景画ではなく版画である。ギルピンが『版画論』を書いた背景には、18世紀半ばからの版画熱があった。オリジナルを入手することが難しかったこの時代、版画は比較的簡単に手にはいるため関心を持つ紳士達が多かった。その版画市場を拡大した立役者がサンドゥビーであり、彼は風景画を中心に多くの版画を作成し、また自ら出版社を立ち上げて販売した。版画の版権対象は1767年に拡大し、その上に巧みな広告戦略などの効果もあって版画界は隆盛を見たが、そこに描かれた風景はピクチャレスクへの関心を高めるのに大いに貢献した。」ピクチャレスクとは風景画を準拠枠とする芸術表現形式であることは前のNOTE(ブログ)に書きましたが、それは写実表現ではあるけれど、見た風景そのものというより観念的な要素もあるようです。「美に主観を認める立場によれば、美の概念は文化や歴史によっても変化し、あらゆるものに見出すことが可能であるということになる。ナイトのみならずプライスまでもが『醜』にピクチャレスクさを見出していることはその証拠の一つである。そもそも眼前の風景がピクチャレスクだと言い始めたのは、風景そのものがピクチャレスクの理念に合致するように変わったのではなく、風景を見る目が変わったからである。一方、ピクチャレスクの対象から喜びを得るには『画家の目』が必要だとされるが、その目は絵画に精通することによって得られるとナイトは言う。そして、絵画から抽出されて記憶の中に蓄積された観念が、想像力の持つ『自発的な』作用と連合する必要がある。従って、絵画に親しむ機会の無い者は眼前の風景がピクチャレスクかどうか判断できないことになるので、ナイトにとってのピクチャレスクは教育や所得・資産に関わる、つまりは特定の階級の人々に限定された問題となる。それに対して、一定のルールのもとで風景を判断しようとするギルピンの形式主義は、見る側に条件を課さないと言う意味でナイトらのエリート主義に対抗する一面を持っていたと言うこともできる。」今回はここまでにします。
2026.02.16 Monday
私は毎年夏に開催する東京銀座の個展の他に、冬には横浜で開催しているグループ展に参加しています。「如月展」は退職中学校校長会のメンバーで構成されていて、今年で47回目を迎えます。メンバーのほとんどが後期高齢者で、書をやっている私の同期と私だけが若い世代に入ります。出品構成者が退職中学校校長なので、会の運営が高齢になるのは分かり切っていることですが、最高齢が90代後半と聞くと、愈々人生100年時代に差し掛かっているのかなぁとも思います。この時期に各自が作品を携えて、ここに集い、コミュニケーションを図ることが目的になるのではないかと会の代表を務める方がおっしゃっていましたが、まさにその通りです。校長を退職した後、社会的な交流が少なくなる中で、こうした機会は貴重な時間となるのは間違いありません。私も普段は自宅と工房を行き来する生活で、人と話す機会は減りました。ただ、私の場合は週末になると、後輩の彫刻家や教え子の美大生たちがやってくるので、完全に孤立しているわけではありません。週2回通っているスポーツ施設でも水泳を通して連帯感が生まれているのも確かです。そうした中で、「如月展」は全員が元校長という立場なので、独特な雰囲気が漂っていることもあり、会話も教育を交えたものになっています。そしてこの人たちは「如月展」のために展示用の物作りをしている人たちで、第二の人生を楽しんで歩んでいるのだろうと察しています。以前のNOTE(ブログ)に「如月展」の情報を掲載しましたが、ここでもう一度記しておきます。第47回「如月展」会期:2026年2月16日(月)~2月22日(日)11:30~16:30(搬入を16日11:30~14:00、搬出を22日14:00~16:30)会場:ギャラリーミロ(横浜市中区吉田町4-1 tel045-251-5229)最寄りの駅はJR関内駅、市営地下鉄関内駅、そこから歩いて数分です。私は22日の搬出日には一日画廊におります。ご高覧くだされば幸いです。