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  • 週末 陶彫制作&RECORD挽回①
    週末になりました。今月の週末は陶彫制作一本に絞って作業をする予定です。朝から工房に篭り、明日の陶彫成形のためにタタラを数枚準備して、既に成形が終わった作品に彫り込み加飾を施していました。陶彫をやっていると自分の本領を発揮しているようで、気持ちが落ち着いていて迷いはありません。気温によって陶土の乾き方が多少違ってくるので、そうしたことで春を感じています。実際、今日の気温は高く4月並みの温度だろうと思いました。ストーブが午後から必要なくなりましたが、このまま暖かくなるとも思えず、午後は灯油の調達に近隣のガソリンスタンドに行きました。一応寒さ対策の準備は万端にしておくのが良いのです。今日は陶彫制作を早めに切り上げました。夕方はこのところ日々の制作に緩みが生じているRECORDの彩色をやろうと思っていたのでした。下書きが先行する私の悪癖が出て、10日分くらいが彩色もペン入れも出来ていなかったのです。2月早々に数点完成しただけで、これをなんとかしないとまずいなぁと思っていました。幸い下書きは日々やっているので、その都度のイメージは頭に留めています。このところ私は絵の具の垂らしこみに凝っていて、絵の具を画面上部からポタポタと落としています。陶彫制作でも私は仕上げに化粧掛けを施しますが、その際は化粧土を陶土の表面に勢いをつけてバシャバシャかけていますが、RECORDは勢いよくかけることはしません。上から雨垂れのように落とすのが良いのです。偶然出来上がった模様をどう効果的に生かしていくのか考えるのが楽しいのです。色彩の混ざり合いも微妙になって、濡れた絵の具同士が時にマーブリングになり、思わぬ美しさが出てきたりしています。それを壊さないようにペン入れをしていくのが、最近の私の流行です。何とか夜までRECORD制作に時間を割いて、ペースを挽回してきました。明日は朝から夕方まで工房で陶彫制作に関わります。頑張ろうと思います。
    上野の「日本のたてもの」展
    東京上野にある東京国立博物館表慶館で「日本のたてもの」展が開催されていて、「自然素材を活かす伝統の技と知恵」という副題がついていました。本展は日本の文化財建造物を、精密な建築模型にするとこんな感じになるのかという感慨を齎せてくれます。建築模型と言えどもその構造やら素材感が私にも伝わってきました。実際に見たことがある伝統的な建造物が、ほぼ10分の1の模型になっていることによってあらゆる角度から構造が見られました。また私自身が創作活動として架空都市を作っているため、建築模型には人一倍興味関心があるのです。図録から引用します。「我が国では古くから建築模型が製作されてきた。文化財建造物の修理事業においても、修理着手前や構造補強が必要な場合などで、実際の模型を製作して修理方法を検討することが少なくなかった。また、解体修理に伴う調査によって現状と異なるかつての姿が明らかになっても、管理や活用上復原が困難な場合に、調査で得られた知見について模型を製作することで記録保存することは有効な手段である。」(豊城浩行著)多くの建築模型の中で、私が想像で小人になってその内部に入り、暫し楽しめたのが茶屋でした。大きさも5分の1で、眼で遊ぶにはちょうど良く、喫茶の様子を思い描くことができました。「喫茶の作法は中国から禅宗とともに入ってきた。茶には覚醒作用がある。小室のなかで亭主が点前をおこない客人が茶を喫する、という作法が流行したのは中世後期の堺の町衆のなかであった。和歌ほど高級な趣味がなくとも寄合ができる、という意味で喫茶は町衆に重宝されたのであろう。織田信長が茶に傾倒したことから武士にとっては非常に重要な作法となった。茶室は、田舎家をまねた鄙びた小室を作った。茶人は競って個性的な意匠の茶室を工夫し、またそれの写しを作った。茶室は茶道の大衆化とともに現在も人気が高い。」(藤井恵介著)と図録にあり、模型とともに建築構造の面白さに惹かれました。
    「建国記念の日」は陶彫制作
    昨年の2月11日付のNOTE(ブログ)に建国記念の日について詳しい記述があります。建国が定かではない日本という国は、古代に妄想が広がり、私に興味関心を抱かせてくれます。ネットによると「2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、その即位月日を明治に入り、グレゴリオ暦に換算した日付である。」とありました。神話の時代を信じている日本人の祖先を私は愛しく思い、私自身も明確ではない国の起源に多大な魅力を感じています。私の創作活動にしても古代の不可思議な要素から引っ張ってきていることがあり、想像を逞しくすることが即ち私自身の創作の源になっているのです。そんなこともあって今日は朝から工房に篭りました。彫り込み加飾を2点行いました。もう少し制作工程を先にもっていけると思っていましたが、彫り込み加飾は意外にも時間がかかり、朝から夕方まで陶土の表面を削り取る作業を続けていました。彫り込み加飾は工芸的な作業ですが、私の集合彫刻には欠かせない要素です。古代の文様のような彫り込み加飾は、作品の雰囲気を決定していきます。彫り込み加飾は立体を際立たせる役目もあります。今月は陶彫制作一辺倒でいこうと目標を決めていますが、陶彫は手間暇がかかるのを改めて知り、気持ちの焦りも出てきました。私は3月末で公務員を退職するので、それから時間が自由になるため、今回の新作は大丈夫だろうと思いつつ、それでも今までの習慣で週末を計算してしまうのです。何十年も二足の草鞋生活を続けたことからなかなか転換ができない自分の習性なのかもしれません。今日は美大受験生が来ていました。相変わらず鉛筆デッサンを頑張っていて、私は彼女に背中を押されながら、彫り込み加飾に精を出していました。
    暁斎流の「鳥獣戯画」について
    先日、閉幕してしまった「河鍋暁斎の底力」展で、私が気になった数多くの下絵の中から、展覧会のポスターにもなっている作品を取り上げます。ポスターは「鳥獣戯画 猫又と狸 下絵」で、私はこれを見て忽ち河鍋暁斎の魅力に憑りつかれてしまったのでした。「鳥獣戯画」と言えば京都の高山寺に伝わる4巻からなる絵巻物で、とりわけ動物戯画が躍動感があって楽しいと私は感じています。これは鳥羽僧正覚猷の筆と伝えられていますが、確証はなく作者未詳になっています。一方、暁斎による「鳥獣戯画」は動物の風貌や動きが現代的で、含みがあるかのような表情が何かを語っているようです。最近発見された「猫又と狸」の下絵断片を修復して展示された作品は、浮かれた猫の微妙な表情が楽しいなぁと思いました。「鳥獣戯画 梟と狸の祭礼行列 下絵」も烏帽子をつけた梟の表情に、私は何かを感じてしまいます。吹き出しに台詞をつけて漫画にするか、今風アニメーションにしたいと私は勝手に想像してしまいました。一点の絵画からドラマを紡ぎ出し、それを自分の脳内で楽しむことも絵画鑑賞の醍醐味の一つかもしれません。暁斎はそうしたことに面白可笑しく対応してくれる稀な画家だと改めて認識しました。修復家より本作の修復に関する文章が図録に掲載されていました。「下絵が間違いなかったかを見比べるまでは非常に緊張するが、修復の正しさを確認するうれしい出会いの時でもある。下絵は日本ではあまり評価されていないが、1993年~94年に大英博物館で開催された暁斎展の折に『このような下絵の存在は、暁斎を理解するのに本画同様、大きな意味がある』と勇気付けられたことを、今でも忘れられない。」(大柳久栄著)ところで暁斎は発表する予定になかったさまざまな下絵が、展覧会の中心に据えられていることを果たしてどう思っているのでしょうか。あの世から止めてくれと叫んでいるかもしれません。
    東京駅の「河鍋暁斎の底力」展
    既に終了している展覧会の感想を述べるのは、広報という意味がなくなったために甚だ恐縮とは思いますが、私にとって大変面白い展覧会だったので、敢えて感想を言わせていただきます。東京駅にあるステーションギャラリーで開催されていた「河鍋暁斎の底力」展は、本画や版画が一切なく、素描、下絵、画稿、席画、絵手本などの弟子の手が入らない全て暁斎自身によるものばかりが展示されていて、それだけに描写や表現の力量が見られる凄い企画展でした。創作活動をやっている私にとっては画家の裏側が覗ける絶好の機会で、この人の筆力の凄さに舌を巻きました。図録を読むと暁斎曾孫の河鍋楠美氏によるこんな一文に、日本の芸術に関する認識の薄さが見られました。「(暁斎記念館が)財団法人の認可を得ようとしたところ、県の役人曰く、『下絵類が三千点あろうが、下絵類は紙屑だ。軸物が五、六本なければ認可しない』だった。」海外では下絵を譲って欲しいという古美術商が多いのに比べると、何と残念な回答でしょうか。「今夏、東京ステーションギャラリーの田中晴子氏から、『下絵、画稿類、席画、弟子のために描いた絵手本こそが、生の暁斎の力を表して』おり、『とりすました暁斎ではなく生の暁斎のすごさをわかりやすく伝える内容を目指し、着色された本画ではなく、暁斎の下絵や画稿だけでの展覧会』の企画をいただいた時、諸手を挙げて賛成した。」(河鍋楠美著)この提案によって本展が開催され、私たち鑑賞者を十分に楽しませてくれたのでした。「私は暁斎の下絵類のどういうところに惹かれたのか、原点を振り返ってみた。まずは暁斎の描写力を直に感じられる点だ。下絵は鑑賞を目的として描かれたわけではないが、筆を使い慣れた暁斎の墨線は、下絵であっても太さや勢いを巧みに使い分けていて、表現力がある。次に、描かれたモチーフが動き出しそうな生き生きとした表現が随所に見られる。人体も着衣の動きも、時にとてもドラマチックである。さらには、キャラクターとしての表情の豊かさもあるので、アニメーション的だし、実際にその動画を見たくなるほどだ。」(田中晴子著)私には個々の作品で取り上げたいものがありますが、機会を改めて代表を選んで別稿を起こしたいと思います。