Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 RECORD撮影日
    毎年この時期に1年間分のRECORDを撮影しています。ホームページにアップするためですが、一日1点ずつ制作していく小さな平面作品であるRECORDは、その条件が厳しくて、その日に完成しないことも多く、それを挽回して今までも10月の撮影に間に合わせることをやってきていました。RECORDは職場から帰った夜に食卓で制作しています。下書きを描いて彩色し、ペン等で仕上げるのが通常ですが、デザインによってはその制作方法はさまざまです。小さな作品ですが、私の性格もあって気軽に作ることができず、つい完成度を求めてしまいます。タブローとはいかないまでも、軽いスケッチのような作品は1枚もありません。どこかで発想を変えようとしているのですが、イメージそのものが表現の追及を視野に入れているので、つい重くなってしまう傾向があります。今日はいつも来ている美大受験生たちが朝9時半に工房にやって来て、それぞれの課題を始めました。朝10時に懇意にしているカメラマン2人が工房にやってきて、撮影の準備を始めました。工房としては千客万来といったところでしょうか。私も含めて蜜にならずに、それぞれの場所に分かれて作業に入りました。カメラマンの方に眼をやると、昨年の10月からのRECORDを撮影していて、あの頃はこんなことを思っていたっけ、あの1ヶ月はこうだったという思いが去来します。今年の3月からは自宅のリフォーム工事に入っていて、いつも制作している食卓が使えず、職場の休憩時間や居間を使って下書きばかりをやっていました。それが徐々に山積みになっていき、過去の作品を1点ずつ仕上げていくのに大変なパワーを使いました。先月の夜は深夜までRECORDをやっていました。今日は私は14点目の陶彫成形をやっていましたが、10年以上も毎日作っているRECORDは、彫刻に匹敵する表現手段になっていると感じます。このNOTE(ブログ)もそうですが、私は日々積み重ねていく行為が好きなんだなぁと思っています。焦らず休まずというのが私の座右の銘で、私なりの人生の歩み方なのだろうと思います。
    週末 土練り&美術館散策
    週末になりました。週末になると私は職場の仕事を一時忘れ、創作活動に邁進します。心が解放される瞬間がやってくるのです。今日は武蔵野美術大学美術館で開催されている「脇谷徹ー素描ということ」展に行こうと前から決めていました。武蔵野美術大学美術館は東京都小平市にあるので、横浜から車を使っても2時間くらいはかかる遠距離にありますが、同展で私がどうしても見たい作品があったため、時間を割きました。私が彫刻を学んでいた40年以上前に、脇谷徹氏は共通彫塑研究室で助手を勤めておりました。私は本学で池田宗弘先生に懇意な指導を受けながら、保田春彦先生や若林奮先生がおられた共通彫塑研究室に興味津々で、度々外から研究室内を覗いていました。そこに脇谷徹氏の作った「金属素描」があり、鉄片を塑造したその造形に心が奪われたのでした。もう一度あの作品が見たいと思う一途な気持ちから車を小平市まで走らせました。今日は家内が付き添ってくれました。家内は空間演出デザイン(当時は芸能デザイン)を学んでいるため、こうした展覧会には独自の感想を持っていて、とくに全体を俯瞰した際に発する意見には鋭い洞察があったりして、私には最良の相棒とも言えます。「この人の素描を見ていると、形態の立体的追求が激しくあって、平面だと描画材料で真っ黒になってしまう。大学では油絵を学んだようだけど、これは彫刻に向いている。彫刻でないと進む方向が迷ってしまうのではないか。」と家内が言っていました。私も然り、数多くのデッサンが展示されていましたが、どれも平面的なものはなく、ハッチングの線は全て立体としての捉えがありました。「脇谷徹ー素描ということ」展の詳しい感想は後日に改めます。今日は美術館散策があったとしても自らの創作活動を止めるわけにもいかず、朝6時に工房に出かけ、土練りとタタラを数枚準備してきました。早朝制作は時々やっていますが、ウィークディには気分的な面で、これは出来ません。制作の後のスケジュールが美術館散策となれば、創作活動への意欲が湧きあがって早い起床も苦にならないのです。 土練り&美術館散策で今日は充実した一日を過ごしました。
    コロナ渦の文化イベント
    私の職種では年間を通じて、いくつかのイベントが計画されています。野外で行う体育的なイベントや室内で行う文化的なイベントがその代表的なものですが、野外に比べて室内で行うイベントは、新型コロナウイルス感染症の影響が色濃く出て、開催を中止したところもあります。医療機関や保健所の助言に従えば、この文化的イベントの開催を危ぶむ声もあるのですが、職場を運営する効果を考えた時に、多少工夫してでも開催をしていこうという判断を私が行いました。美術作品の展覧会などは比較的開催可能なところですが、合唱や舞踊という身体を使ったものは神経を使わざるを得ません。実際に7月に私自身が個展を開催しているし、美術館へも鑑賞に出かけているので、今日は検温チェックとマスク着用で防備して、終日の文化イベントに臨みました。新型コロナウイルス感染症対策は孤立化を招き、私たちの職種でも少なからず影響が出ています。日本の経済政策も、感染防止をしながら経済を回すことでバランスを取っているようです。私たちの職種でも人々のメンタルな面を、こうした文化イベントでそれぞれ救援や支援をしながら、感染症との綱渡りをしている感覚があります。今年は立場上、難しい判断に度々迫られてきた私ですが、職員と合議を繰り返し、何とか辛うじて職場を運営している状況になっています。それでもやってよかったと思える文化イベントは、芸術や文化のもつ力に生きる喜びを見いだせるので、今日は思った通りの充実した一日になりました。
    「Ⅱ 庭園とランドスケープについて」のまとめ
    「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅱ 庭園とランドスケープについて」のまとめを行います。ここではノグチの代表作品である4つの庭園が登場します。それぞれの庭園に関する文章からひとつずつ引用して、ノグチの庭園に対する考え方を示したいと思います。「ぼくが力をつくしたのは、日本人を通して歴史の黎明からぼくらにまで受け継がれてきたこの石の儀式をぼくらの近代という時代とその必要性につなぐ道を見つけることだった。」(パリ・ユネスコ庭園)。「上から見おろすと、この庭はそれをとりまく花崗岩の巨大な枠のなかに収められている。ドラマは静寂のうちに情け容赦なく演じられる。~略~太陽、立方体、ピラミッドはおたがいどうし、そして庭全体の地形と関係しあわなければならなかった。」(イェール大学図書館内庭)。「岩たちは大地の一部であるかわりに力を爆発させ、庭から浮きあがっているように見える(少なくともそれが意図だった)。庭そのものは造形されている。それは人間の手でつくられ、したがってーこれは彫刻だ。同心円状に敷かれた舗石のパターンは日本庭園の熊手に引かれた筋に似ていると言われるかもしれないが、それはむしろ様式化された海の波という中国の起源にまでさかのぼる。」(チェース・マンハッタン銀行)。「デザインの基本となるのは、この場所、大地とその上の空の神聖性に対するぼくの敬意の念である。ぼくはこの場所の賛歌を立ち昇らせたかった。大地そのものが媒体となるはずだ。敷地に石で建造された五枚の曲線を描く擁壁が、この大地をいくつかの大きな弧のなかにすっぽりと入れる。擁壁は、平らな歩行可能のエリアが以前はまったく存在しなかった場所に、そのようなエリアをつくるための装置である。」(イスラエル・ローズ彫刻庭園)。ノグチにとって単体の彫刻作品より、場の空間を創出させる庭園の造形の方がしっくりきているように思えます。それは伝統的な日本庭園ではないにしても新しい空間造形のカタチだろうと思います。
    「Ⅰ 彫刻について」のまとめ
    「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅰ 彫刻について」のまとめを行います。「Ⅰ 彫刻について」は10章に分かれていますが、論文形式でありながら短く内容がまとまっていました。彫刻に関するノグチの考え方がよく分かり、当時ノグチが考えていた空間把握などが現在にまで続いている様子が散見され、興味関心を持ちました。「ぼくらの空間体験は時の断片に限定されているのであるから、成長が存在の核心となるべきだ。ぼくらはふたたび生まれる。そして自然のなかに成長があるようにアートのなかにも成長がある。」また近代の彫刻の歩みに関して、「近代の彫刻には最初からふたつの傾向があったと。ひとつはメカニスクから派生し、それに基礎をおいてそれ自体へのフォルムへ向かうもの。もうひとつは自然の概念から出発してその内的な意味を探るもの。前者は、ロシアの構成主義者による作品にみられるように過去の人文主義的な伝統とはばっさり縁を切り、非具象と機械化の極限まで達する。後者のより有機的なタイプの最良の例は、カルダーのモビールやジャン・アルプの作品のいくつかである。」と語られていました。原初的な美については、「モダンアートに親しんでいる人びとは、すぐにプリミティヴに魅了される。しかしながらアーティストによる発見の過程は、おそらくは類似したような欲求と満足とにもとづくのだろうが、アーティスト自身の創作の展開に根ざし、それに付随するものなのである。」とありました。さらに建築と彫刻の関係性についての問いかけがあり、これはノグチの時代以降も続く課題なのかもしれません。「建物はほんとうにただの物理的なシェルターなのか、あるいは一種の象徴的オブジェであるべきなのか。建築家と彫刻家は同一であるべきなのか、それとも組み合わされるべきなのか。」ノグチが後半生を通じて、庭園や遊び場のデザインを自ら率先して施工してきて、その都度思いを巡らせた思考の軌跡を辿ってみることがその答えになるだろうと私は思っています。