2021.02.08 Monday
久しぶりにホームページのRECORDを3ヶ月分アップしました。昨年10月に2019年の10月から2020年の9月分までの1年間のRECORD撮影が終わっていて、カメラマンからそのデータをいただいているのですが、私のコトバが遅くなってなかなかアップが出来ていないのです。2019年は「~の風景」というテーマでRECORDを作っていました。その時に浮かんだコトバを紙切れにメモしているのですが、保管が悪くて既になくなっているものもあります。今回アップしたコトバは、ほとんど新たに考えたものばかりでしたが、コトバも造形と同じようにトレーニングが必要だと感じるようになりました。私の場合、造形と違うのはコトバは日常を表すことが多く、私の職種や立場から湧いてくることが多いのです。非日常を表現している詩は世の中にかなりありますが、私はそこに到達できないため、つい現実世界の素描から考えるしかないのです。RECORDはほとんどが非日常的世界です。視覚される写実性からカタチや色彩を抽出して、そこに象徴性をもたせたり、抽象化へ推し進めていくのを、私は難なく行っています。本来ならそうしたことも19世紀後半から20世紀初頭で芸術的な価値の変換が成され、私たちには前衛という名のもとで新しい美意識の獲得がありました。コトバも同じように歩んできたと察しますが、詩の前衛性を私は学んでおらず、今から思えば若い頃から私は詩に接する機会が少なかったのではないかと思っています。造形は気楽に接しているくせ、コトバは難解なものとして固定観念をもってしまった私は、RECORDは日々作れていても、コトバは月1回捻りだすのに苦労しているのではないかと考えているところです。今回アップしたRECORD3ヶ月分を見ていただけるのなら、左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が出てきますので、その中のRECORDをクリックしていただけるとRECORD3ヶ月分に辿りつけるかと思います。ご高覧いただけると幸いです。
2021.02.07 Sunday
先月の週末はほとんど厚板材を加工して土台作りに充てていましたが、今月の週末はもう一度陶彫制作をやっていこうと思っています。新作の陶彫部品がまだ足りないことが分かって、昨日は美術館に出かける前に、工房に行って土練りとタタラを準備しました。陶彫の成形をやっていると楽しさが甦ってきます。私はずっと陶土と付き合ってきました。焼成後の陶彫の素材感のことを思いながら、当初のイメージを確認しています。今回の新作は陶彫成形を矩形にすることがほとんどで、曲面が出てきません。陶彫の面白さは曲面にあると言ってもいいくらいですが、今回は敢えて脱情緒を狙いました。生物的な動きが出せるのが、陶彫表現の特徴と言えば特徴ですが、もう一度「発掘」という意味合いに戻すために、発掘された架空都市を作ることにしたのです。自己感情のコントロールは抽象的な規定を作ることで、内面に秘めていけると思っています。もともと陶土は可塑性があり、金属や石のような硬質な素材ではないため、幾何抽象には向きません。それでも矩形に拘って作り続けています。私の技術的な不器用さもあって厳密な平面にはなりませんが、建築と違い彫刻は平面を折ったような立体に見えれば可としています。今日の午前中は陶彫成形を1点作りました。午後は彫り込み加飾を行っていました。今日はいつものように美大受験生が工房に来ていました。彼女は鉛筆デッサンをやっていますが、短時間で形が取れ、また陰影がつくようになりました。若い人の進歩は凄いものがあるなぁと思いました。ただ、美術の専門分野への道はまだ始まっていないのが現状で、今は基礎トレーニングをしているだけで、これからスタートラインに立って、紆余曲折しながら自分を見極めていくのです。先が長いなぁと思いながら、夕方に彼女の自宅近くまで車で送りました。また次回頑張ろうと思います。
2021.02.06 Saturday
新型コロナウイルス感染症の影響で緊急事態宣言が出されている中、東京の博物館や美術館に行っていいものかどうか、数日前まで迷っていましたが、展覧会の開催期間終了が迫っていることもあって、インターネットやコンビニで事前予約をして、私も家内も防備を十分にして東京に出かけてきました。私は週末になると新作に関する制作ノルマがあって、今日は早朝に工房に出かけ、混合陶土を作るための土練りやタタラを準備して、明日の陶彫成形に備えました。私はウィークディは職場に出かけ、週末は工房に出かける生活がずっと続いています。週末の創作活動は、私に職場とは別の感慨を齎せてくれますが、それが癒しになるかと言えばちょっと違っていて、自分を創作に追い込んでいく辛さを伴い、楽しめる状況ではありません。私にとって刺激とも癒しともなるのが鑑賞です。ただしコロナ渦の中で鑑賞は途切れがちになっています。私にとって鑑賞は唯一の楽しみだと今回は自覚しました。ネット予約をして昼の12時半に東京上野の東京国立博物館表慶館に飛び込みました。現在「日本のたてもの」展を開催していて、国宝や重文に指定された社寺仏閣の模型が数多く展示されています。本展は建築模型の好きな私には堪らない魅力でした。古来から現存している木造建築は日本が世界に誇る造形物で、その構造が模型で見られたことで心が湧き立ちました。詳しい感想は後日改めます。次に向かったのが東京駅でした。東京駅にある東京ステーションギャラリーは、私がよく行く美術館の一つです。ここは魅力的な企画が多く、しかも利便性が高いので今までも頻繁に利用していました。今回は「河鍋暁斎の底力」展を開催していて、しかも明日が開催期間終了になっているので、慌ててコンビニで予約を取ったのでした。本展は河鍋暁斎の本画はなく、下絵等だけで展示がされていました。暁斎の驚くほどの描写力は見ていて飽きないほどで、さすがに眼が疲れました。しかも下絵は作者の迷いや思考が垣間見れて、表現を決定するまでに苦しんだ跡が残っています。私も創作をする者の端くれとして、暁斎の悩みに共感を覚えるのです。これも詳しい感想は後日に改めますが、展覧会が終了してから感想を述べることになって申し訳ないと思っています。今日は充実した一日を過ごしました。
2021.02.05 Friday
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第61節から第64節までのまとめを行います。この節では非リアルな対象性に立ち帰ることから論考が始まっていました。「経験は、対象としての意味をもつ諸対象がわれわれに対してもつ存在の最初の設定である。このことは非リアルな諸対象にとっても明らかに完全に妥当し、それらが種概念的なものや判断のイデア性や、あるいは交響曲などのイデア性の性格をもっていても、同様である。したがって外的経験も含めてどの場合にも次のことが当てはまる。すなわち明証的な自己能与は、経験される対象の構成すなわち自己形成の過程として特徴づけられるーもちろん最初はたんに限定された構成にすぎない。なぜなら対象は顕在的な経験の多様性をも越える現存在を必要とし、それ自身の存在意味のその契機も、それ自身の構成的な解明を求めており、それが可能になるのは〈経験自身に内包されていて、そのつど開示される志向性〉によってである。」次に超越という語彙が出てくるところを引用いたします。「さまざまな対象性についての意識に対するあらゆる種類の対象性の《超越》である(そしてそれに応じて変化した仕方で、すなわち意識主観の極として理解された、そのつどの意識ー自我に適合した仕方で)。しかしそれにもかかわらずわれわれが内在的な対象と超越的な対象を区別するとすれば、それはこの最広義の超越概念の内部での区別を意味するにすぎない。」次に論理学的形成物の産出についての論考を引用します。「われわれが問題にしているのは〈リアルな心的諸過程の中に与えられている非リアルな諸対象〉であり、われわれはこれらの対象を、決して心的な諸実在についてではなく、それらイデア的諸対象についての実用的なテーマ設定の中で検討し、行為によって然るべく形成しているのである。」また幾度となく出てくる明証性について「ごく一般的に言えば、明証性とは〈場合によっては非常に複雑な段階系列として構築されて、それ自身の志向的な対象性を本来の《そのもの自身》の様態で呈示する意識の仕方〉に他ならない。」とありました。今回はここまでにします。
2021.02.04 Thursday
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第59節から第60節までのまとめを行います。第59節では明証についての考察がありました。「明証とは、〔対象〕自身を与える志向的能作である。さらに正確に言えば明証とは《志向性》の、すなわち《何かについての意識》の卓越した一般的形態であり、明証的に意識された対象的なものはこの形態の中で、それ自身が把握されたもの、それ自身が見られたもの、つまり〔主観の側では〕意識的に対象自身の許に存在する、という仕方で意識されているのである。あるいは明証とは本源的な意識のことだ、と言ってもよい。」第60節では明証性ならびに対象性についての考察がありました。まず明証性を中心に論考している箇所を引用いたします。「明証性は意識生活全体に関わる総合的ー普遍的な志向性の在り方であり、これによって意識生活は一つの普遍的な目的論的構造を具備し、《理性》を重視することによって、正当性を証明し(それと同時にさらに正当性を習慣的に獲得し)そして非正当性を破棄する(そうすることでそれらの不正を獲得した所有物と認めるのを止める)一貫した傾向をもつのである。」次に対象性と明証性に関与した論考を引用いたします。「対象性の範疇と明証性の範疇は相関関係である。志向的に総合され一貫して保持される志向的統一体としての、しかも究極的には可能な《経験》の統一体としてのーさまざまな対象性の各基本的種類には《経験》の、つまり明証性の、基本的種類が属しており、さらに対象自身の完全性が向上した場合には、志向的に示される明証性のスタイルの基本的種類も属することになる。」そもそも論理学とは何かを論じる中に、さまざまな要素が含まれていて、それらをひとつずつ論じて、全体として論理学の体系を作ろうとする本書の意図は分かっているつもりでも、詳細な部分で自分の思考がついていけなくなることがあります。今日はここまでにしたいと思います。