2020.11.07 Saturday
週末になりました。朝7時に工房に出かけ、10時までの3時間、新作の彫り込み加飾をやっていました。早朝制作を遂行したのは、今日は東京と横浜の博物館や美術館へ行く予定があったためでした。いつもならNOTE(ブログ)のタイトルを「美術館巡り」と書くところを「展覧会巡り」としたのは、博物館1館と美術館2館を回ろうとしていたので、表記を変えさせていただきました。東京上野にある東京国立博物館平成館で開催している「桃山ー天下人の100年」展はネットで予約を入れていました。家内と私の2人分を予めプリントアウトして持参しました。例年なら混雑を承知で出かけていく大掛かりな企画展は、今回ばかりはゆっくり見られる状態でした。本展は、安土桃山時代を中心に据えた文化の隆盛を代表作品で網羅した重厚な展示で、作品の質量とも圧倒的な迫力を感じました。狩野永徳と長谷川等伯の代表作品の一騎打ちやら、各種屏風の比較展示など、私にとって旧知の作品が居並ぶ中で、私は今まで注目してこなかった各戦国武将が纏った鎧兜のデザインに目が奪われました。「桃山ー天下人の100年」展の詳しい感想は後日にしますが、本展では立派な図録が用意されていて、これを読むのに時間がかかりそうです。もう一度時代背景を図録で学びながら、鑑賞を深めていきたいと思います。次に向かったのは新橋で、ここにあるパナソニック汐留美術館で開催している「分離派建築会100年展」は、以前から見たいと思っていたのでした。私は20代の頃にウィーンに暮らしていて、そこでは分離派と呼ばれる芸術家集団の足跡がありました。日本にも分離派を名乗る建築家グループがあるとは知らなかったので、どんな活動をしていたのか興味津々でした。西洋建築を日本が取り入れようとしていた大正から昭和の時代に、斬新なデザインを求めていた若手建築家グループがあり、建築に彫刻的な芸術性を持ち込んだ彼らの活動を、私はもっと知りたくなりました。この展覧会の詳しい感想も後日にいたします。次に向かったのは地元の横浜で、そごう美術館で開催されている「吉村芳生展」でした。展覧会のタイトルに「超絶技巧を超えて」とあった通り、鉛筆画としてはまさに超絶技巧の賜で、度肝を抜かれるような世界が広がっていました。これも感想は後日に回します。今日は3箇所の展覧会を回りましたが、いずれも迫力満点なものばかりで、足も眼も些か疲れました。「3館を回るのは、二足の草鞋生活の間だけだよね。」と家内に念を押され、創作活動一本になれば、もう少し緩やかに作品を見て回るつもりだと答えました。今日見た作品群はどれも咀嚼にどのくらい時間がかかるのか、腰を落ち着けてじっくり考察していこうと思います。充実というより、さらに凝縮した時間を過ごしたように感じています。
2020.11.06 Friday
故人である若林奮氏は、展覧会の説明によると、鉄を中心に、銅や鉛、硫黄、木などの素材を使って、地形や植物、気象、大気の状態などへの深い自然観と、空間や時間への強い意識にもとづく思索的な作品を制作したことで知られるアーティストでした。私が人体塑造をやっていた学生時代は、共通彫塑研究室にいらして、時折校内ですれ違うこともありました。神経質そうな面持ちの方で、近づき難い雰囲気があり、到底話しかけることはできませんでした。一度講評会にお邪魔したことがありましたが、難解な説明を理解することが出来なかった記憶があります。それでも魅力的な世界観を私は感覚で捉えていて、その作品を理解しようと努めてきました。版画による「若林奮」展は、町田市立国際版画美術館で開催していて、彼が町田市出身の作家であることで、今回の展覧会が実現したようです。白黒による版画を見ていて「鑑賞者のことを考えていないなぁ。」と家内がぽつりと言ったことが印象的でした。人に媚びていないと言った方がいいのでしょうか。作品はどれも若林ワールドそのもので、強烈な個性を感じました。題名にあった「鮭の尾鰭」とは何を指しているのでしょうか。博物館で見た旧石器時代の岩盤や骨片につけられた刻線に触発されたイメージというのが「鮭の尾鰭」シリーズになったそうです。そうした説明があってそれを手掛かりにイメージの謎解きをしていくのが若林ワールドなのだと私は思っています。「BLACK COTTON」という石版画のシリーズは圧倒的な表現力で迫ってくる版画でした。作家の生家が綿屋であり、綿の塊が焼けて黒くなった状態をイメージしているのかもしれず、これも謎の多い世界でした。そこにどっしりした存在感があるのは、作家がこの世界を彫刻にする予定だったのかもしれず、鉄を使ってCOTTONを作ってみたら面白いだろうなぁと私は感じました。作品を見る人がどう見るかは関係なく、作家が感じた通り素直に表現した作品というのが「若林奮」展の印象でした。
2020.11.05 Thursday
先日、東京都町田市にある町田市立国際版画美術館で開催中の「西洋の木版画」展に行ってきました。私は学生時代に彫刻を専攻しながら、興味関心をもって試してきた技法が木版画でした。ドイツ表現派のざっくりとした力強く象徴的な世界が念頭にあって、私もモノクロ版画に拘ってきました。本展で改めて古い時代からの西洋の木版画に接して、版のもつ魅力をもう一度確認しました。西洋で木版画が作られるようになったのは、紙が漉かれるようになった13世紀後半から1世紀を経て、14世紀後半に漸く始まったようです。最初の題材はキリストやマリアの聖像で巡礼者向けに販売されていました。15世紀末にA・デューラーの登場にとって飛躍的に木版技術と表現が進みましたが、16世紀には細密な表現が可能な銅版画に中心が移り、木版画は民衆的な刷り物にわずかな命脈を保つばかりになったようです。18世紀にイギリスで木口木版画の技法が確立されて、銅版画のように細かな線描が可能で、しかも活字印刷と同時に刷ることができたため、専門の職人が活躍しました。また木版画が美術表現として見直されるのは1880年代末のことで、その契機になったのは日本の浮世絵版画でした。印象派の画家たちの間で、浮世絵の斬新な画面構成が流行したのはあまりにも有名で、少なからず日本が西洋近代絵画に影響を与えたのは事実です。本展で私が注目したのは近代から現代に至るアーティストによる版画表現です。私にとってお馴染みのドイツ表現派のキルヒナーや後期印象派のゴーギャン、抽象絵画のカンディンスキー、抽象彫刻のアルプなどの版画作品を見ていると、私は20代から休止している版画表現をもう一度やってみたい衝動に駆られます。とりわけ本展出品者の中で唯一の知り合いである故日和崎尊夫氏の木口木版画「KALPA」シリーズを見ていると、木版画をやっていた当時を思い出し、まだ自己表現が熟さないうちに技法を投げ出してしまった自分を恥じました。来年3月で公務員の仕事を退職する私は、彫刻の他に版画をやろうと決めています。実は木版画ではなく、その時は銅版画を試したいと思っているのです。
2020.11.04 Wednesday
先日、川崎駅前にある映画館TOHOシネマズへ「異端の鳥」を観に行ってきました。本作を私は新聞で知りましたが、上映館が少ないため自宅近くの映画館を探して、しかも深夜の時間帯に行ってきたのでした。家内が同伴してくれましたが、「少年の心が迫害によって失われていく物語」と家内は評していて、この映画は好きになれないと言っていました。私は本作がモノクロ映像だったために、この映画が商業性を狙っていないことや、謂れのない虐待がどこからくるのかを真剣に考える契機になって、実に印象深い作品だったと思いました。図録によると「第二次大戦中、ナチスのホロコーストから逃れるために、たった一人で田舎に疎開した少年が差別と迫害に抗い、想像を絶する大自然と格闘しながら強く生き抜く姿と、異物である少年を徹底的に攻撃する”普通の人々”を赤裸々に描いた」とありました。題名を象徴するものとして、少年が身を寄せた鳥売りの男の行為が挙げられます。「戯れに、ペンキを塗った小鳥を空に放した。群れの鳥たちと合流しようとする小鳥だったが、色を塗られた鳥は群れの仲間たちにとってもはや”異質な存在”だった。小鳥は突かれ羽を捥がれ、無残な姿で地面に墜落する。」この場面を少年は自分に重ねていたのかもしれません。度重なる人間のもつ闇を体現し、自らも犯罪に染まっていく少年。でも決して弱いわけではなく、少年には逞しさが備わっていきました。司祭に少年が拾われた際には、宗教も客観性をもって描かれていました。監督インタビューでこんな語りがありました。「この物語は悪についての探求、反対に、善、共感、愛でもある。これらが存在しない場合、我々は必然的にその価値に目を向ける。『異端の鳥』で善と愛を垣間見るとき、これらの本質に感謝し、より多く求める。これは、人間が善を求めているという映画のポジティヴなメッセージである。~略~原作でも映画でも、少年は戦争を生き抜き、荒廃したヨーロッパをさまよい、両親を失った数十万人の子供たちの代表であり、ある種の象徴だ。そして、それは今世界中で軍事紛争が進行している場所どこでも同じである。」いじめや虐待や迫害は現代にも通じる負の部分で、今も黙して語らぬ人々がいることを実感しました。
2020.11.03 Tuesday
今日は文化の日です。そもそも文化の日とは何ぞや、というのが私の疑問でしたが、調べてみると文化の日という名称は昭和の時代に始まっていることが分かりました。11月3日は、1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視していることから、1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法で「文化の日」と定められたそうです。日本国憲法は、公布から半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されたため、5月3日も憲法記念日として国民の祝日となっているのです。11月3日はそれ以前は明治天皇の誕生日だったこともあって、今と異なる名称がつけられていました。いずれにしても秋が深まったこの日を、文化的なことをやる一日として過ごすことに意義があると思い、私は創作活動に励むことにしました。と言っても私には陶彫制作しか選択肢がなく、18点目の陶彫成形に励んでいました。新しい陶彫成形が出来上がるたびに、まだ彫り込み加飾を後回しにしている陶彫部品が目立ち、彫り込み加飾をいつやろうか思案しています。彫り込み加飾は工芸的な作業で時間がかかるのです。今日の午後は乾燥している陶彫部品に仕上げと化粧掛けを施し、窯に入れました。今年の窯入れも先日から堰を切ったように始めていて、今も乾燥している作品を全て窯に入れてみたい欲求に駆られます。とりあえず大きな陶彫部品を3点仕上げて、窯入れの準備をしましたが、窯には2点しか入れられず、残りの1点は次回に回します。今日の作業中はずっと身体がだるく、最近疲労が溜まっているのかなぁと思いました。夕方リビングにあるマッサージ機に暫しかかっていました。このところ夜は映画館や美術館に出かけていて、鑑賞内容が消化しきれてないのかもしれません。ウィークディの仕事も神経を使うものが多く、心身とも余裕がなくなっているのでしょうか。やる気が空回りしている可能性があり、ちょっと立ち止まってみようと思います。昼間の仕事で言えば、あと5ヶ月は責任職にいるわけで、何年やっていても慣れないところがあると私は自覚しています。創作活動も自分の癖で全力投球をしてしまうため、これも慣れるものではありません。圧迫される壁を乗り越えていく日常、これが疲労の原因です。自重しないとまずいかなぁと思いつつ、焦らず休まずのペースでやっていく所存です。