2021.03.05 Friday
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第5章「超越論的哲学としての、論理学の主観的基礎づけ」に今日から入ります。これも前章と同様題名が長いので表示を多少省略をさせていただきました。今回は第92節から第93節までを読み解いていこうと思いますが、第5章はこの2節だけで終わりになります。まず従来の歴史的論理学はリアルな世界に関係しているという箇所を引用いたします。「真の存在一般、述定の真理と理論一般および〈予め一般に存在する事柄として前提されているこのことへ、経験と理論的認識とによって肉薄していく可能性〉は、伝統的な形式論理学においては、一度も検討されたことのない自明なことであった。この伝統的論理学こそが論理学だーすなわち予めの所与と考えられるリアルな世界にとっての形式的命題論と形式的存在論だーと言えるかもしれない。」次に論理学を実証科学の一つと見なす論考のこんな部分に気が留まりました。「可能な絶対的明証性が成立していることは、論理学者にとってはアプリオリに確かなことであり、しかもこれらの明証性は認識能力をもつすべての人にとって一様に成立すると考えられている。この点は万人に平等である。それ自身の絶対的真理の中で絶対に存在している事物は、実際ありのままに観取され洞察されているか、あるいはそうでないのかのどちらかである。」次にデカルト以降の不十分な経験批判に関する論考が続き、「デカルトは超越論的なテーマを論考するために、素朴なアプリオリな相続財である因果性のアプリオリを利用し、存在論的な各明証性と論理学的なそれらを素材に前提して操作している。そのため彼は彼が発見した自我の、すなわち認識の順序では世界の存在に先立つ自我の本来の超越論的意味を誤認している。」とありました。超越論的現象学の普遍的な問題として、こんなことが論じられていました。「私の純粋意識の主観としての私のエゴへのデカルト的還元によって新しい種類の認識の可能性がーすなわちもっぱら私の純粋意識のさまざまな可能性によって、それ自体に存在する事物が、そのような意味をもって私にとって存在する事物としての、それ自体に存在する事物の超越論的可能性がー問題になったということと、さらにこの問題を含む可能性が、人々がすでに認識によって所有している実在物から、まだ所有していない別の実在物について推論するという、まったく別の可能性と混同されることとに起因している。」今回はここまでにします。
2021.03.04 Thursday
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第4章「論理学の諸原理の明証性批判から経験の明証性批判への回帰」ですが、題名が長いので表示を多少省略をさせていただきました。今回は第87節から第91節までを読み解いていこうと思います。ここまでで第4章「論理学の諸原理の明証性批判から経験の明証性批判への回帰」は終わりになります。「論理学者は彼自身の論理学の諸原理を根源的かつ明証的に獲得する際には、何らかの判断(範疇的形成物)を範例として念頭に置いている。彼はそれらの範例を自由に選択する意識の中で《何らかの諸判断》一般という意識を形成する。そして真理と誤謬についての各洞察は純粋に一般的に構想されていなければならず、それら洞察の典型的な本質類型は変更の中でも保持されるのである。」次に判断としての意味と判断内容としての意味を論じている節がありました。「《意味》には調和と不調和(背反)があり、しかもここで意味とか意味の全体とかが表現している事柄の場合に問題になるのは、実際適切に行われた判断、つまり整合性の意味での判断ではなくーやはり判断と真理の論理学である。互いに背反する諸判断が今はこうして一つの意味の統一性の中で調和しあっている。」また「すなわち判断指示という意味での判断の適切な遂行を可能にするために、統語法の素材ないしは核が果たす機能は、いったいどのように理解されるのであろう?この場合の解明は志向的な成立の中に含まれている。判断そのものはどれもそれぞれの志向的成立を、換言すれば、本質的な動議づけの諸基盤を有しているのであり、仮にもしそのような基盤がないとすれば判断は、何よりもまず確実性という根本様態で存在することができなくなるであろうし、さらに変様されて存在することもできなくなるであろう。」とありました。真理論理学の諸原理の適用として「明白にすべきは、〈論理学の諸原理が無条件に妥当するのは、意味的に共属関係にある核をもつすべての判断、すなわち統一的な有意味性の諸条件を充足している判断に対してだけだ〉ということである。」とありました。新たな諸問題に対して「論理学の諸前提とその《真理》の概念との批判を通して、おそらくわれわれは、経験とその諸対象ー《諸実在》ーへの還元ということには何の影響も与えずに、あの真理概念をこれまでとは違う、さらに広い意味で理解するようになるであろう。」今回はここまでにします。
2021.03.03 Wednesday
今年のRECORDは年間を通した統一テーマを設けずに、月毎のテーマ設定をしています。1月は「心の棲家」、2月は「菌の触手」、今月は「蠢動の兆し」とさせていただきました。今月のテーマにだけ季節感を持ち込んでいます。3月は次第に春めいてくる時で、桜の開花予想があり、冬眠していた動植物が目覚める時季でもあります。私は最後の公務員管理職としての仕事があり、今月は多忙を極めますが、その中でも創作活動の灯を確実にともし続けていく所存です。週末ごとに作業をしている陶彫制作に比べ、RECORDは日々作り上げている小さな平面作品です。3月のRECORD制作は、昼間の仕事の多忙さが毎晩睡魔を呼ぶので、例年かなり厳しい状態になってしまうのですが、それでも頑張っていきたいと思っています。「蠢動の兆し」というテーマは春先に地中で動き出す虫をイメージしました。陶彫作品に甲殻類の虫を思わせる陶彫部品があり、そんなことも念頭に入れてRECORDを作っていきます。陶彫や木彫の立体作品に比べると、平面作品はイメージの自由さを感じます。しかし私は常に立体作品を意識しているため、RECORDにも敢えて不自由さを持ち込んでいる傾向があり、そこの転換ができていないのです。今月のテーマもある程度立体作品を意識してしまうだろうとは思いますが、いろいろ試せれば試していきたいと思っています。今月も頑張っていこうと思います。
2021.03.02 Tuesday
二足の草鞋生活の最後を彩る今月の制作目標を考えました。2021年3月、この1ヵ月で私の制作スタイルは一区切りです。来月から週末を考えなくてもよくなるので、今月に関しては来月を見通して制作目標を立てる必要があります。来月は毎日でも制作可能となれば、木材加工や木彫のような作業は全て来月以降に回した方が良いと考えます。乾燥期間を取らなくてはならない陶彫制作は、週末ごとに制作をしていくことが良いと思っていて、そうしたことを考えると今月は陶彫制作を中心に据えた制作目標を立てるのがベストです。先月も陶彫制作しかやってきませんでした。今月も同じ制作目標でいきたいと思います。陶彫制作は私の創作活動の要です。私の世界観は陶彫があって生まれるもので、陶彫制作一辺倒は私が望むものでもあるのです。ウィークディの仕事から帰ってから自宅の食卓で制作しているRECORDも今月を最後に見直しを図る予定です。春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、季節が暖かくなってくると睡魔に襲われることが頻繁にあり、3月はRECORD制作にとって辛い季節でもあります。RECORD制作で夜更かしをしていると朝の起床が大変で、定刻に仕事に行かなければならない自分に嫌気がさしたこともありました。それも今月で終わりです。鑑賞も仕事のない週末に限っていたので、それも混雑のない日に出かけることも可能になります。ところが今月はまだ週末に出かけざるを得ません。今月も展覧会に出かけたいと思っています。新型コロナウイルスの感染者が徐々に減ってはいますが、安心はできません。完全防備で展覧会に出かけるつもりです。
2021.03.01 Monday
思いが錯綜する3月になりました。錯綜と言うのは、今月いっぱいで私が退職を迎え、創作活動との二足の草鞋生活にピリオドを打つからです。私は昭和62年(1986)に横浜市の公務員になり、平成21年(2009)には管理職になって現在まで35年間勤めあげてきました。その間ずっと創作活動との二足の草鞋生活を送り、それが現在までの習慣になっています。東京銀座のギャラリーせいほうでの個展が始まったのが平成18年(2006)で、それから毎年陶彫による集合彫刻を発表し続けてきました。作業場として無くてはならない存在になっている相原工房は平成21年(2009)の夏に完成し、同年9月20日付のNOTE(ブログ)に「相原工房の出発」という文章を掲載しています。それまでは作業場を借りていて、道具を揃えるのも一苦労でした。最初から現在の形でやっているわけではないことを確認していくうちに、複雑な思いが込み上げてきて、タイトルにある通り思いが錯綜することになりました。泣いても笑っても残り1ヶ月。来月から新しい生活形態が始まります。今は最後の二足の草鞋生活を思いっきり楽しんで過ごそうと考えています。今月の制作目標は別稿を起こします。今月は公務員管理職としての職務整理をきっちりしていかなければなりません。35年前に海外から帰国したばかりの放浪癖のある若者を雇ってくれた横浜市に感謝を込めて、しっかりと次の方に引き継ぎをしていきます。二足の草鞋生活をしていくために、それが職務に影響してはいけないと、私は仕事を人一倍やってきたつもりです。負い目をバネに仕事に励んできましたが、その原動力を来月から根本的に見直さなければならない時期にやってきたと自覚しています。今月は錯綜する思いを整理して、次のステップに備えたいと思います。